二十歳そこそこの頃、モッズの森山達也が履いていたラバーソールが滅茶苦茶カッコよく映り、どうしても同じようなやつが欲しかった。
ただ、当時住んでいた町にはロックファッションを扱うショップどころか洋服屋ですら1軒しかなく、100㎞離れた札幌にだってラバーソールを置いてある店があるかどうかわからなかった。というか、どんなショップに行けば置いているのかすらよくわかっていない田舎者だった。
ドクターマーチンでさえ、現在のようにどこにでも置いているような時代じゃなかったし。
そんな時、東京に住む彼女(今の連れ合いだけど)の所へ遊びに行ったついでにたまたま寄った新宿ALTA。そこで目に飛び込んできたのがアストアロボット(だったはず)のラバーソール。
↓画像拝借
当時はクレジットカードなんか持っているわけもなく、それでも「今買わなきゃもう買えない」くらいの気持ちで有り金のほとんどを差し出した記憶がある。
ようやく手に入れた厚底のソール。そりゃあ、天にも昇る、この厚底なら太陽にだって手が届くかも、そんな気分だった。
田舎町で履いたところでスーパーマーケットに入っているレコード屋くらいしか行くとこはないし、そのスーパーマーケットの中じゃ「あの人なんか変な靴履いてる」とジロジロ見られるのが関の山だというのにだ。
彼女の実家で玄関口にあるその靴を見た親父さんが後から「●●君は足でも鍛えてるのか」と言っていたらしい。まぁ、何も知らない人が見たらそんなもんだろう。
そのラバーソールも子供が生まれる頃にはドクターマーチンの3ホールに変わってしまった。
ロックファッションといえばもう一つ、ドクロ(今はスカルって言うらしいが)ものが外せない。
どこかのロックスターが身に着けていたのを見て憧れたというよりは、高校時代に猛威を振るったクリームソーダの流行が始まりだった。
そのトレードマークのやつはもちろん
ドクロ柄のTシャツやパーカーなんかを目にするとついつい手が伸びるほうだったので、いつも着るのはドクロ柄のものだった。
が、ある日、長女が通っていた幼稚園で父の日用に描いたという絵を見て愕然とした。幼稚園の教室に飾られた長女が描いた父(自分)の姿、そいつが着ているパーカーのど真ん中にはしっかりとドクロが描かれていたのだ。
ドクロからも、あれだけ好きだったロックからも少し距離を置くことになるほどのカウンターパンチだった。
あれから約25年、ロック熱の再燃とともにドクロ熱も復活して久しいオヤジの現在、Tシャツどころか、リングやブレスレッドまでドクロものを身に着ける始末だ。
クリームソーダのスマホケースを出せばあちこちで知らない人から声をかけられるのがちょっと嬉しかったりしていたが、最近のiPhone用のがなくて、機種変後は使えてないのが少しだけ寂しくもあり。
ってことで、どうせならクリームソーダの財布を手に入れてしまおう! と、ポチッとしてしまった晩秋の休日、人生で初めて手に入れたライダースを着て外に出たのがちょっとだけ嬉しくもあり、恥ずかしくもあり・・・。
60歳を目前にしても相変わらず懲りないおバカなオヤジである。