前回のブログで一風堂(土屋正巳)と山本翔、モッズの繋がりについて少し触れたのだが、彼らはEPICというロックレーベルの所属であった。
今でこそエイベックスなどレーベル自体が注目の的になることも珍しくはないが、日本においてレーベル自体が注目されることになったのは、やはりEPICからと言ってもいいのではないだろうか。
もともと海外のレーベルであったEPIC・ソニーを日本でも立ち上げることになった経緯は昨年発売されたPlayer誌別冊の丸山茂雄氏(EPICの創始者)へのインタビューで明らかにされているが、ここで語られる所属アーティストの売り出し方(育て方といった方が正しいのかな?)が興味深い。
それまでの歌謡曲的な数撃ちゃ当たる(シングル2,3枚で売れなきゃ終わる)手法ではなく、アーティストの数を絞り、すぐに売れなくてもアルバム3枚までは我慢、そしてマスメディアの宣伝にお金はかけずにライブをサポートすることにしたという。
モッズは当時のディレクターが洋楽的なアプローチを指向し、少し他とは違った売り出し方がされていたようだが、これで佐野元春、渡辺美里、大江千里、岡村靖幸、TM NETWORK、シャネルズなど、80年代を代表する超メジャー級のアーティストが育っている。
この他ロックバンドとしては一風堂、モッズの他にストリート・スライダースやヒートウェイブ、子供ばんど、Be Modern等、今も続くバンドや解散後も活躍を続けるアーティストが並ぶが、バンドはライブ、ライブハウスでなんとかなるということを証明したのがシャネルズ、佐野元春、モッズで、EPICが大きくなっていくベースがこの3組にあったという。
また、TVKのロック番組「ファイティング’80s」は表には一切出されていなかったがEPICがお金を出して提供していた番組だったという。モッズがレギュラー的に出演していたのはそういうことだったのかと気付かされたが、ARB、ルースターズ等EPIC以外のバンドも出演していたのは、EPIC所属のバンドばかり出演しているのはフェアじゃないというようにEPICが考えていたからだというのは、このレーベルの懐の深さを知ることができる一つの逸話だろう。
別冊とはいえ丸ごと一冊の雑誌になってしまうほどのEPICの80年代とは、それだけそれまでのレコード会社、レーベルのあり方を根底から覆すほどの大きなムーブメントだったのだろう。(この別冊Player、1冊3,520円は雑誌として少々高すぎですが・・・)
当時、自分の中でもう一つロック色の濃いレーベルとして印象が残っているのはビクターのインヴィテーション。EPICと比べると超メジャーなバンドはサザンオールスターズくらいだが、ARB、アナーキー、ストリート・ビーツ、シーナ&ロケッツ、スター・クラブ、UP-BEAT、BUCK-TICK、レピッシュ等々、多くのパンク~ビート系のバンドが所属していた。
ブラック・キャッツ、BOOWYもデビューはこのレーベルからだがほどなくして別なレコード会社へ移籍している。
EPICの土屋正巳とモッズのようにレーベル内でのプロデュース的な繋がりがこのインヴィテーションにあったのかどうかは知らないが、サザン(桑田佳祐)とARB(石橋凌)、ARBとアナーキーなどバンド間の横の繋がり、絆が深い印象があるレーベルでもある。
インヴィテーションは90年代に入りビクター内にSPEEDSTAR RECORDSが設立されることで消滅したようだが、日本のロックレーベルといえばインビテーションが今でもまず浮かんでくるのは、やはり長きに渡りARBを聞いてきたからこそだろう。
他にストラマーズが所属していた徳間ジャパンのジャパン・レコードも一時期モッズ、BOOWYなどが所属していて、レーベルのロゴとともに印象深いが、今は歌謡曲、演歌系のレーベルとなっているようだ。
セカンドアルバムリリース後ヘロイン所持の疑いで逮捕(その後保釈)されたモモヨ(リザード)に対しレコード制作を打診しリリースしたトリオレコードも現在では考えられない懐の深さで印象が深い。このトリオレコードの英断(⁉︎)がなければ、バンド史上の最高傑作「ジムノペディア」が世に出ることはなかったかもしれないと思うと
トリオレコード様様であるが、当時はそんなのが普通だったのだろうか?ここにもロックレーベル、レコード会社の一つのあり方が垣間見えたりするのである。
モッズがジャパンレコード時代に立ち上げたスカーフェイスレーベルや、シティロッカー、ジャンク・コネクション、クラブ・ザ・スター、キャプテンなどのインディーズレーベルの話も語り出すと尽きないのであるがそれらはまたの機会に。
では、また次回。