仕事の関係で通信業界のビジョンを描いた書籍を読んでいるのだが、これが意外にも難解で手こずっている。

著者、座談に登場する方々すべてが京大出身ということもあるのだろうか、単語の一つ一つが聞いたこともないものばかり、当然横文字多し、で、思想・哲学にまで及ぶものだから、学問なんてものから殊更距離をとっていた自分には1ページ進めるのも至難の業である。


ただ、その中でひとつだけ心に引っかかる言葉があった。

ウェルビーイング

肉体的、精神的、社会的すべてにおいて良好な状態のことを指すらしいこの言葉を用いて、著者は通信(コミュニケーション)の未来はこれ(ウェルビーイング)を実現することを目指すべきだということを述べている(はず)。


異なる社会、異なる思想、異なる信条、異なる嗜好(思考、指向も)等々無数の多様性を受け止める利他的ともいえるコミュニケーションの実現が我が国の通信業界のあるべき姿だと自分なりに理解したのだが、その壮大さに少しだけ衝撃を受けた。
これって、たった今起きているどこかの国のあり様や、GAFAと呼ばれる今どきの企業群による市場における寡占状態とは真逆の位置を目指そうとしているのとイコールであるのだから。


少し視点を変えて、ロックにこのウェルビーイングの思想は持ち込めるのか?なんてことを考えてみたが、これはこれで難解すぎてどうにも自分の手に負えるシロモノではないということはあまりにも明白であった。


所詮ロックなんて偏った嗜好の愛すべき野郎ども(女子も含めてね)に放たれる音の矢であり、万人に愛されるロックなんてくそっくらえだ。でも、そんな偏ったものひとつひとつを受け入れる、もしくは存在することを認める寛容さがロックにおけるウェルビーイングか。


う〜ん、やっぱりよくわからないな。


とりあえずはビーイング繋がりで今日のところは大江慎也のアルバム、ヒューマンビーイングでも聞いて夜を過ごそう。

そう、苦手なことに出会うととりあえずはロックに逃げる自分には、哲学することも、ウェルビーイングを語ることも土台無理なことだったということで・・・


では、また。