BOOWYを知ったのは17歳の頃だから、すでに40年は過ぎている。
雑誌で紹介されていた小さな記事、暴威というバンド名とその名のとおりのルックスに目を引かれたのが最初の出会い。しかし、聴きたいバンドが山ほどあっても軍資金が少ない高校生、バンドのデビューアルバムを手にするのは翌年、就職して給料をもらうまで待つことになる。
デビューアルバムに初めて針を落としたとき、以前雑誌の記事で目にしたルックスから想像していたサウンドとの乖離に少し、いや、かなり戸惑いながらも次に期待ということで、ほどなくセカンドアルバムのインスタントラブもリリースと同時に購入したはず。
ジャケットから伝わるバンドの雰囲気、帯に書かれた「愛ヲコメテ、中指ヲタテテ・・・・・・」の言葉に、そしてインナー一面に写されたステージ写真に今度こそ間違いないと期待を膨らませたことを思い出す。
ただ、LONDON GAME VOL.1なる会報に見立てた歌詞カードを兼ねたインナーの裏面の左下に書かれた「氷室京介は昭和35年生まれの赤木圭一郎!?」の内容に一抹の不安を覚えたことも確か。
曲のポップさがファーストより際立っていたにも関わらず、ビート、エッジの鋭さを感じたのはサウンドプロデュースの主導をバンド自身が担ったのが大きかったのだろうか?
歌詞の面では感情移入できるものはなかったものの(あくまでも個人的嗜好です)、しばらくの間、夜ベッドに入ってからのヘビロテになるほどに聞き込んだのだから、かなりお気に入りの一枚ではあった。
続くサードアルバムでタイトルをバンド名の「BOOWY」としたとおり、セカンドで垣間見えたサウンドの方向性がすでにこのサードアルバムである意味頂点を迎えたのは名プロデューサー佐久間正英の手腕によるところだろうか。BOOWYの一枚と聞かれれば間違いなくこのアルバムを推すだろう。
翌年リリースされたシングル「わがままジュリエット」でどこか違和感を覚え、
その後ほどなくしてリリースされたアルバム「JUST A HERO」でその違和感は決定的となり、自分の中でのBOOWYが終焉を迎えたのは、世間でのBOOWY人気、評価とは全く逆の流れであるのだから、僕の音楽的嗜好もわかりやすいといえばわかりやすいだろう。
※その後のアルバムは40歳を過ぎてから手に入れてしっかり聴いています。
JUST A HERO以降のバンドはもちろん、解散後の氷室、布袋の活躍(高橋まことも松井常松もそれぞれ息の長い活動を続けてますし)は知りつつも触手を伸ばさずに今に至っていたが、昨年末、YouTubeで見つけた2019年の布袋のツアーで実現した布袋、松井、高橋の共演映像のバンド感の素晴らしさにちょっと感動したところに、紅白での布袋(実のところバックの井上富雄目的だったけど)の姿にもちょっと心惹かれ、思わず布袋、松井、高橋の共演が実現したGUITARYTHM Ⅵ TOUR 2019“REPRISE”のBlu-rayを手に入れた。
ソロ部分にほぼ知っている曲はないものの、そのステージングに目を奪われ、井上富雄のベースを堪能したところで、いよいよ松井常松、高橋まことの登場。
メインステージ中央から伸びる花道の先にある客席中央に設けられたコンパクトなステージで奏でられるBOOWY時代のナンバー。昔ならこんな同窓会的なステージに嫌悪感を覚えたはずが、そんなものは微塵も感じずに彼らのサウンドに引き込まれたのは、自分が歳を重ねたきた以上に彼らのロックバンド然としたステージングによるところなのは間違いない。それほどに3人が繰り出す音の塊が素晴らしかった。
正直、氷室がいないことが正解だとさえ思えてしまうほど、なんならソロ活動と並行してこの3人でバンド活動を続けてみたら?なんてことを想像してしまうほどにだ。
2022年の厳冬、20代の前半に別れを告げたはずの青春の光は、30年以上の時を経て新たな光となって僕の目の前に現れた。
こんなリユニオンなら悪くない。そう思える出会いがこれからもあるのなら、少しずつ老いていくのもいいかもね。
そういえば、スタークラブの周年ライブでアキラ、タツヤ、ルー、エディ、ノーファンなんかが登場するのも微笑ましく見れちゃう自分だったし。
それではまた次回。