ロックにのめり込んでからすでに45年が過ぎ、その間に多くの曲やアルバムに出会ってきた。

手元に残っているレコードやCDだけでも800枚近くあるから、処分したもの、レンタルしたもの、ダウンロードしたものまで含めるとゆうに1,000枚、10,000曲は軽く超えていることになる。

それだけ多くの音楽に出会ってきたのだから、この曲を聴いたら、あのアルバムのジャケットを目にしたら、必ず頭を過ぎる光景や思い出なんてものがある。

今回はそんなものをいくつか。



まずはキャロルのラストライブ。

これを観て蘇るのが中2の時のMの家に遊びに行った時の光景。


通っていた中学の中でも1,2を争う強面で不良仲間の多かったMはその風貌からは想像できないのだが、なぜかベイ・シティ・ローラーズが好きだった。そんなことから違うクラスだったにも関わらず、恐い方々とは距離を置いていたローラーズ好きの自分にもちょくちょく声をかけてくれていた。


Mは中一の頃にはすでにエレキギターを持っていて、そのギターを見せてもらおうと、ある日もう一人の友人とMの家にお邪魔することに。


ローラーズの話やギターの話をしながら、隣のお茶の間のテレビに映っていたのがキャロルのラストライブ。番組として放映されていたのかビデオだったのかはわからないが、この時初めて演奏するキャロルを観たはず。

このラストライブの逸話なんかを次々話してくれるMに、ローラーズ好きとはいえ、やはり本物の不良はキャロルに夢中になるんだなと納得。


そのあとそのテレビからはあの三菱銀行人質事件のニュースが流れることに。

キャロルの映像を初めて見た衝撃は軽く越してしまうほどの衝撃だったのは言うまでもない。

その後暫くしてMは引っ越して市内の別の学校へ転校してしまい、いつか一緒にローラーズのコピーバンドをという夢はあっけなく幕を閉じてしまったが、あの日、あの部屋の光景はキャロルのラストライブとともに40年以上経った今も僕の脳裏に焼きついたままだ。


続いてストラングラーズの4枚目のアルバム、レイヴン。

黒カラスが立体的に浮かぶあまりに印象的なジャケットを初めて目にしたのは同級生Hの部屋で。

千葉県流山市から転校してきたHと同じクラスになったのは中3の時。五十音順での席順で僕の前がH。野球部のHとバスケ部の自分はなぜか馬が合い、昼休み時間やちょっとした空き時間なんかは、帰宅部の同級生Nを交えた3人でいつもたわいもないことを喋り合って過ごしていた。

そのNとHの家に遊びに行ったのが卒業間近の頃だったのか、3人別々の高校に入学した後だったのかは曖昧。


2階にあるHの部屋で、最近これが気にいっているんだと言って聴かされたのがレイヴンのレコード。
♫シャ・シャ・ア・ゴーゴー♫とリフレインされるナンバーに一度聴いただけなのに耳から離れないほどに釘付けになった。


そのアルバムから流れる曲をバックにHが「俺、高校卒業したら●●大学に行こうと思ってるんだ」と語りだし、いつもふざけてばかりの奴の唐突な将来像を語る姿に、三菱銀行人質事件を目にした時とは違った意味で大きな衝撃を受けたのだ。

そう、自分はまだ将来のことなんて1ミリも考えていなかったのだから。

なんてことのないちょっとした時間のはずだったのだが、今でもレイヴンのジャケットを目にするたびに、少し大人びた表情で語るHと、それに打ちひしがれた若き日の自分を思い出してしまうほどの思い出になっている、



ナックのマイ・シャローナを教えてくれたのはビートルズフリークのF。

Fは中一の時の同級生、ロック好きでお互いの家が歩いて5分もかからないとこにあったので、クラスが別れた後も、中学を卒業してからもよく行き来をしていた。

にわかにマイ・シャローナが注目されだした頃、Fは「ついにビートルズを超えそうなバンドが出てきたぞ」と興奮気味にナックというバンドを僕に教えてくれた。
確かにいい曲だと思いながらも、これが第二のビートルズというほどのバンド??と少しだけ疑問に思ったことは心の奥にしまっておき、テキトーに相槌を打って合わせておいたっけ。

そんなFが「俺、ついにヴァイオリン・ベースを手に入れたよ」と興奮気味に電話してきたのはお互い別々の高校に進んでから。
「ポールが持ってた、あのベースと同じタイプのだよ」とさすがビートルズフリークだけあって喜びもひとしおらしい。
だが、そのあとの言葉を聞いて背筋が凍った。

「楽器屋に飾ってあったのをいただいてダッシュで逃げて来たんだ。いやぁ、捕まらないかと焦ったよ」と。
こいつどうしちゃったんだ?

ジョンが撃たれた日、「ジョンが死んじゃったよ、どうしよう・・・」と泣きながら電話をしてきたアイツと本当に一緒の奴なのか?


「そうなんだ・・・。じゃあ、また」と電話を切り、その後段々と彼から距離を置いてしまった自分。

あの日、Fを叱って楽器屋に返すよう説得せずに彼から離れてしまった自分の弱さと狡さ、自分もアイツと一緒じゃないか。


Fが自宅の前で僕を撮ってくれた一枚の写真は今でもアルバムの中に大切にしまっておいたまま。


マイ・シャローナを聴くたびに、人懐っこいFの顔と、Fを放っておいたままにしてしまったあの日の自分が、あまりにも切なく、ほろ苦い思い出となってさざ波のようにじわじわとこちらの方に押し寄せてくる。


いろんなことが思い返される曲やアルバムはまだまだあるが、今日はこの辺でもういいかな。

それにしても思い出すのが10代の頃のことばかりなのは、ほんの数年しかなかったあの青き日々があまりにも凝縮された濃密な時間だったせいなのか、それともただ単に歳をとってしまっただけのことなのか・・・。

まっ、そんなことはどうでもいいか。


最後はルースターズのフラッシュバックを。