音楽を聞くようになった少年が自分も楽器を手にしたいと憧れるのは必然。
幸い三つ上の兄がガットギターとヤマハのフォークギターを持っていたので中一か中二の頃にはそのギターを拝借してポロポロとやりだした。
最初の頃はコードブックと明星や平凡に毎号付録でついてきたソングブックのスコアを見比べてコードをつま弾く程度。最初に覚えたのは多分井上陽水の夢の中へ(笑)


そのうち兄はエレキを買い(いや、自分の見立てでは両親に買ってもらったのでは?と疑っている。なんたって、高校生にもなって親と一緒に楽器屋に行ってたのだから・・・。)、チャーやツイストなんかの和製ロックがお茶の間にも登場しだすと俄然自分もエレキが弾きたくなる。

兄の就職が決まった中三の卒業間近、遂に兄のエレキギターを引き継ぐことになった。ヤマハのサンバーストのレスポールSL380だったはず。

これで当時流行っていたツイストの銃爪(ひきがね)やチューリップの虹とスニーカーの頃(汗)あたりのコードをコピーしていた。そう、まだまだリフやソロ部分をコピーするなんて技は持ち合わせていなかったのだ。


その後、高校に入り学祭バンドのメンバーがフェンダーのテレキャスターを手に入れた際、彼のそれまでの愛器だったグレコ製の白のストラトキャスターを引き継いだ。

金属パーツがゴールドの珍しいSE700というタイプで定価70,000円のものを25,000円で譲り受けた記憶がある。もちろんバイトで貯めたお金で。

ただ、そのストラトのことよりスタジオで彼のテレキャスターの音を聴いたときにそれまでのストラトとは明らかに音が違っていてビックリした記憶の方が大きいのが悲しいところ。

それにしてもあの頃中古とはいえまだまだ高価だったフェンダー(まだジャパンはなかった)を高校生がどうやって買えたのか・・・。謎。


このストラトを手に入れた頃にはクラッシュやモッズを聴き出していて、パンクやビート系のバンドがストラトを使用しているなんてことはほぼなかったことから、せっかく手に入れたストラトであるにもかかわらずそんなに愛着が湧かなかったのだから、バイトをしてまで手に入れる必要があったのか?というところ。


そういえば、このストラトを手に入れるために兄から譲り受けたレスポールを誰かに売ってしまったのが兄に知られてしまい、しこたま嫌味を言われた思い出もあるな。


憧れだったジョー・ストラマーや森山達也が手にしていた黒のテレキャスターへの思いが日に日に強くなっていくのは当然といえば当然ということで、またまたバイトの日々を過ごすことになる。

高2の冬休み、そのバイト代とお年玉を手に黒のテレキャスを求め地元の有名楽器店へ。何も知らない純な少年は楽器店に行けば自分の欲しい楽器は売っているものと大きな勘違いをしていたのだが。

地元で有名な楽器店といえども北海道の小都市のそれほど大きくもない楽器店に目当てのテレキャスの在庫があるはずもなく、それどころか幼気な少年の望みを叶えるために希望のブツを取り寄せてくれるような親切心も持ち合わせてなかったようで、店内に飾られていたウォールナットのテレキャスター(後年、ジョージ・ハリスンが使用していたタイプのものだと知りました)を強く勧められ楽器店慣れしていない少年は言われるがままに手にしていた60,000円を差し出すことになる。ボディとマッチングカラーヘッドのトーカイTE60-RRというやつで、定価が60,000円だったからびた一文まけてくれなかったということになる。

いやぁ、今考えると幼気な少年の思いなんか無視して自分とこの売上優先のあこぎな商売をする店だったのでは?と疑ってしまうのだが、当時は憧れのテレキャスターをようやく手に入れたという喜びの方が大きく、その時のバンド名「BROKEN KIDS」をレタリングシートでギターに貼り付けて一人悦に入っていたのだから、純粋といえば純粋すぎる少年だったのだよ。


購入後ほどなくしてジャック部分が外れてしまうというちゃちな作りも露呈したのだが、その後20年近くも手元に残していたのだからかなりお気に入りだったのは紛れのない事実。

モッズやARB、リザードの曲をコピーして、学祭やライブハウスでの卒業記念企画ライブでも使った思い出深いギター。子育て中のロック空白期間に手放してしまったのが悔やまれる。


そういえばこのギターを売りに行った楽器店の店主はえらく感じがよい方だったのだが、純な少年に店頭在庫のギターを売りつけたあの楽器店に勤めていたことがあるということをその時に教えてもらった。こういう偶然ってあるんだよなぁ。ちなみに買ったところと売ったところは距離にして200㎞ほど離れてますが。


自然な流れでギターを手にした自分であるが、クラッシュ、ARB、リザードなんかの曲を聴いて耳に残るフレーズがギターではなく実はベースのフレーズだったというのは自分でもホントは気づいていたはず。

思い返すと15の頃、ロンドンコーリングを聴いて痺れたのはポール・シムノンの手によるイントロのベースだったし、ARBBAD NEWSでも頭から離れなかったのは石橋凌の歌でも田中一郎のギターでもなくサンジの弾くベースラインだった。


そんなことに気づくまでに5年以上費やした22の頃、ようやくベースを手に入れることになるのだが、その頃住んでいた倶知安には楽器店はなく、いや、××楽器という名の楽器の置いていない電器屋兼レコード店があった、その××楽器がスーパー内に出店していた小さなレコードコーナーのお姉さんに頼んで希望のベースを取り寄せてもらったのだ。この時には自分の欲しいものを取り寄せるくらいの知恵はついていたのだよさすがに(笑)


この時に手に入れたのはアイバニーズのRB840の黒。そう、ようやくここで黒を手に入れたという・・・。ただ、この時もほんの一瞬はまっていたレベッカ、そのベーシスト高橋教之が使っていたアイバニーズに流れてしまうという、後から考えるとかなりの大失態。なぜにフェンダーに行かなかったのか・・・。

この後もそうなのだが、40を過ぎるまでの間、こと楽器に関してはなぜか本当に欲しいものを外してしまうという流れができてしまっていたのは自分の優柔不断さというか考えの浅はかさがよく現れた出来事なのである。


まだまだ続く楽器コレクションの旅。憧れのベースに辿り着くところは次回ということで。 

Continue・・・。