周知のとおり現在ライブハウスは大きな苦境に立たされている。ここ札幌でも20年近く多くのミュージシャンに愛され、僕の長女も高校生の頃アマバンドで出演したことのある「COLONY」がつい最近閉店した。

僕自身、2月末に札幌cube gardenで予定されていたザ・コレクターズのライブが中止、また、飛行機の予約も済んでいた7月の東京キネマ倶楽部でのザ・モッズのアコースティックライブも中止になり、一体いつになったら思いっきりライブを楽しめる日が来るのか全く先が見えない状況だ。

ライブができないミュージシャン、ライブを楽しむことができないオーディエンス、集客を断たれたライブハウス、どれもこれもがあまりにも悲しすぎる状況ではないか。

それでも悲しんでばかりもいられないので、今日は様々なライブ会場に思いを馳せて。

10代を過ごした70年代後半から80年代初頭にかけての函館時代、ライブ(当時はどんなものもコンサートと言ってたな)といえばアマ・プロどちらも市民会館が中心だった。小ホールと大ホールがあり、小ホールでは市内の楽器屋が定期的に行っていたハイカラコンサートという市内のアマチュアバンドを集めたイベントによく出かけた。このイベントではたまにプロのバンドをゲストに迎えるのだが、フリクション、山本翔、一風堂という今考えるとあまりにも貴重すぎるゲストバンドのライブを小ホールの方で体験させてもらった。

また、僕と同じ高校出身の辻仁成が率いるエコーズのライブを小ホールで楽しむために180㎞ほど離れた苫小牧から車で駆け付けたこともあった。

大ホールでは小学生時分にダウンタウンブギウギバンドのコンサートに誰かに連れて行ってもらった記憶があるが、これが僕の人生初のコンサート体験。その後、中学生になるとチャーと原田真二のジョイントコンサート(これは月間明星の読者招待イベントだったはず)、庄野真代(!)、松山千春、ゴダイゴ、サザンオールスターズなんかのメジャーどころを、高校に入りNEWS BEAT GIGツアーでついにモッズのライブを初体験し背中に電流が流れるような衝撃を味わった。

RCサクセションのライブでは一緒に行った今は亡き友人がキヨシローが観客席に投げ放った女性用の下着をキャッチするなんてこともあった。

このほかに駅前の拓銀ビルに拓銀ホールという市民会館の小ホールよりひとまわり小さなホールがあり、ここで観たのはアナーキーののライブ。

また、モッズのNEWSBEAT GIG(もしかしたらカウンターアクションツアーかも・・)も当初はこの拓銀ホールで開催される予定で、ライブ当日会場に行ったら機材車事故で急遽中止、代わりにソノシート(NEWS BEAT/KNIFE & PISTOL)が配れるなんていうサプライズもあった。

そして人生初ライブハウス体験は高校卒業直前の函館、中心街から外れた場所にあったココという名の小さなハコ。で、ライブを観に行ったのではなく、市内の高校卒業間近の仲間が集まって行われたライブ企画ににわか結成バンドのギターで出演。確かARBのユニオンロッカーやリザードの浅草六区を演奏したはずだ。

高校卒業後に就職して勤務地となった倶知安にはライブ会場はなく電器屋の2階にある広間みたいなとこで行われた友部正人の一人ライブが衝撃だった。これ以外はライブの度に列車に揺られ札幌まで遠征していた。

その後転勤した苫小牧では職場から徒歩2分のところにアミダというライブハウスがあり、ここではウィラードのライブがあり、穴井仁吉の低音でブンブン唸りまくるベースに度胆を抜かれた。

ただ、苫小牧でもロックバンドのライブはほとんどなく、結局札幌まで遠征することになるのだが、この苫小牧時代の後半からは少しだけロックと距離があった時代なので頻繁にライブに通うことはなかった頃だ。

そして、現在住むここ札幌には多くのライブハウが存在するが、倶知安から通っていた昭和の終わりの頃はやはりホール中心だった。

道新ホールでARBを初体験、市民会館ではモッズ、大谷会館でルースターズと九州出身のビートバンドはほぼホールコンサートだった。ARBの解散コンサートは札幌サンプラザとちょっと意外な会場。

時計台の向かいにあった道新ホールは北海道のアマチュアバンドがブレイクしていくための登竜門的な会場でもあってデビュー直前の地元バンドのライブ企画も多く開催されていたな。

札幌のライブハウスは20代中ごろスタークラブのライブが行われたベッシーホールが最初だったか、今はなきレコード店キクヤ楽器が運営していたメッセホールが先だったか記憶が曖昧だ。
ベッシーホールはパンクバンドの聖地クラブカウンターアクションができるまでは多くのパンクバンドのライブが行われており、ライブ中にステージの写真を撮っても全然叱られなくてビックリだった。ケントリなんかもこのハコで観たのだが、当時は確かまだ1ドリンク制というのはなかったはず。

狸小路にあるサウンドモールにはパーソンズ、すすきのの西端にあった昨年末閉店したクラップスホールにはストリートビーツを観に(この時は観客の少なさに驚愕するもライブの熱さは絶品だった)出かけたが、COLONY、メッセホール、ベッシーホール、サウンドモール、クラップスホール、クラブカウンターアクション、810、ZEPP SAPPORO等々、狸小路、ススキノ界隈は東京新宿に匹敵するくらい多くのライブハウスがひし
めきあっている。

中心街から少し離れた所では白石区のPIGSTY、そして西区二十四軒には僕が最も愛するライブハウスペニーレーン24がある。
ペニーレーン24はキャパ500名くらいの札幌では大きめのライブハウス。ステージも比較的高く設置されておりミュージシャンをしっかり観ながらライブが楽しめるのも大きな魅力。
ペニーレーン24を初めて訪れたのは1990年12月19日、ポール・シムノンがクラッシュ解散後に結成したハバナ3AMの来日公演。目の前で動く生のポール・シムノンのカッコよさに惚れ惚れした覚えがある。話はそれるが、その際に購入したツアーTシャツが今では20,000円以上の高値で取引されているのだから驚きだ。
その後はソロとっなった札幌出身パンクロッカーKENZIのソロライブの時もこのペニーレーン24を訪れた。
ここ10年ほどは年に1,2回行われるモッズのライブ観戦で訪れるのが恒例行事。一度、モリヤンの体調不良でツアー中止となった時の代替フィルムライブで初めてイスが置かれたこの会場を経験した時はちょっとした違和感。ただ、この時はベーシストのキーコが駆けつけてステージに登場し、いつもと違った演出も楽しむことができたのだが。
ここペニーレーン24はライブハウスにありがちな音響トラブルや開演時間の遅れもほとんどなく、いつ行っても心からライブを楽しんで帰ることができる素晴らしいところだと思っているが、ひとつだけある難点はコインロッカーが会場外に一旦出ての2階に設置されているため、冬のライブの際はコートをロッカーに仕舞ってしまうと開場までの時間は極寒の中薄着で耐え忍ばなければならないことか。これさえ解消されれば完璧なライブハウスだ。

最後に自宅から徒歩10分の場所にあるリボルバー。おおよそパンクバンドが出演するライブハウスがあるような場所柄ではない地域のビル地階へ降りると、廊下を挟んで左がバースペース、右がライブスペース。ここでは元ZETTのウルフがソロで出演したライブイベントを深夜まで満喫した。ペニーレーンとは違いどこか近寄りがたい雰囲気のライブハウスかと思いきや、気軽にウルフ本人とも話ができそのライブスペースでCDにサインまでもらえたりと意外にもフレンドリーなところもあって驚き。終電時間すぎまでライブが続くが、歩いて帰ることがでる場所なのでそれもよしとしよう。

さてさて、まだまだいろんな会場で様々なバンド、アーティストのライブを観戦してきたが、それらは次の機会に。
来年のモッズ40周年にはこの自粛モードも全面解除となって、僕にとって日本一のライブ会場日比谷野外音楽堂でのアニバーサリーライブを楽しめることを祈りつつ、今夜は今日から1週間限定有料配信される「THE MODS SWICHLIVE 2018」を酒を飲みながら楽しむことにしよう。
生きてるうちにこんなライブの楽しみ方も経験できてよかったんだと思いながら。