今回はモッズじゃない別のバンドを、と言ってもモッズ繋がりではあるのだけど。
高校を卒業し18で就職した僕の最初の勤務地は北海道の倶知安町だった。
同じ北海道の函館に住んでいた僕ですらその場所を知らず、勤務地の連絡があった時に学校では使いもしなかった地図帳を開いて場所を確認したくらい僕の中ではマイナーな街だった。
今でこそ比羅夫地区のスキー場一帯が人気を博し世界的にも有名なリゾート地となっているが、当時は今ほどの賑わいは全くと言っていいほどなく、人口30万人(当時)の函館で育った僕には、人口1万9千人(当時)の淋しい街はどうにもこうにも何もない(自然だけは余りあるほどある)ただの田舎町にしか映らなかった。
1983年4月、初めて倶知安の駅に降り立ち、店も人もまばら、でも道路わきにはまだ大人の背丈以上に積まれた雪だけがどこまでも続く光景を目にした僕は愕然としてしまったよ。
そんな町での生活が2年か3年ほど過ぎたころ、この倶知安出身の10代のバンドがデビューするということを北海道のローカル番組かフールズメイトという雑誌かのどちらかで知った。しかもレコード会社はモッズと同じEPIC/SONY、モッズのツアーのオープニングアクトまでも務めるという。おいおい、こんな町でデビューしちゃうほどバンド活動してる奴らがいたのか(どこにスタジオなんかあったんだ??)、バンドやってそうな若い連中なんか見たことないぞ・・・、と。
そんな町での生活が2年か3年ほど過ぎたころ、この倶知安出身の10代のバンドがデビューするということを北海道のローカル番組かフールズメイトという雑誌かのどちらかで知った。しかもレコード会社はモッズと同じEPIC/SONY、モッズのツアーのオープニングアクトまでも務めるという。おいおい、こんな町でデビューしちゃうほどバンド活動してる奴らがいたのか(どこにスタジオなんかあったんだ??)、バンドやってそうな若い連中なんか見たことないぞ・・・、と。
早速デビューシングルの「次の汽車に乗って」を町のレコード屋(この町には電器屋さんと一緒になった小さなレコード屋が2店舗、スーパー内にちっちゃなレコードコーナーが1つだけあった)で買い、寮の部屋に戻りすぐに針を落として聞いてみた。「次の汽車に乗りこの街を出て行く」と歌われるサビが印象的で、モッズ、ARB、ルースターズなんかとはまた違った、でも確実にそれらのバンドで育ったはずだということが伝わってくるサウンドで、これからきっと大きく羽ばたいていくんだろうなぁなんて思えたものだ。
ただ、「狙いさだめた、あの娘にきめた 背伸びしてみた」、「そうさあの娘はウワサのトゲトゲガール」と歌われるB面のモダンガールって曲を聴いたときは一抹の不安も・・・。
デビューアルバム「BOYS BE MODERN」、ジャケットに映った4人のスタイルはモッズに似てはいるものの若さゆえか明らかにポップさが滲むその姿とアルバムタイトルから、モッズと同じレコード会社とはいえ違うプロモーションのされ方をされるだろうということは容易に推察できた(案の定、その後女子からの人気が高まっていった)。
アルバム1曲目のタイトル「NORTH1・WEST4」は倶知安駅の住所、北1条西4丁目のことだ。「粉雪が舞う深夜のステーション」の歌詞で始まるこの歌は、「次の汽車に乗って」と並ぶ僕のお気に入りの曲だ。ただ、僕にとっての倶知安は粉雪ではなくいつまでも深々と降り続ける雪であり、前の汽車に乗ってこの街に辿り着いた場所であり、彼らとは逆の意味で心に刻まれていたのだが。
「別れ別れになって」という曲にも「さびれた街だから一人また一人 都会を夢見てはまた一人消えて」とあるように、このアルバムは倶知安という街の風景とそこで暮らした青春時代のことが多く歌われている。
「別れ別れになって」という曲にも「さびれた街だから一人また一人 都会を夢見てはまた一人消えて」とあるように、このアルバムは倶知安という街の風景とそこで暮らした青春時代のことが多く歌われている。
多分、僕がこのバンドを気に入って聞いていたのは、同じ時に、同じ年頃で、同じこの街で過ごしてきたからこそ感じることができる一種のノスタルジックな感情を引き出す曲たちに共感できたからなんだろう。その証拠に、新曲毎にその影が徐々に薄れていくにつれこのバンドのレコードは買わなくなった。だからと言って、このデビューアルバムの素晴らしさが変わるものでは全くないし、今でも僕にとっては大切な1枚だ。
さて、BE MODERNにまつわる思い出を一つ。
当時の職場にSさんという僕の母と同じ年代の女性がいたのだが、僕がROCK好きと知ったSさんが「私の息子もROCKが好きで、BE MODERNの天坂君と仲いいんだよ」なんて教えてくれて、息子さんを紹介された。
さて、BE MODERNにまつわる思い出を一つ。
当時の職場にSさんという僕の母と同じ年代の女性がいたのだが、僕がROCK好きと知ったSさんが「私の息子もROCKが好きで、BE MODERNの天坂君と仲いいんだよ」なんて教えてくれて、息子さんを紹介された。
ある日飲み屋街の外れのパチンコ屋で(後にも先にも一人でパチンコ屋に行ったのはこの時だけなのだが)ボーっとパチンコをしてたら「××さん」と声を掛けられ、振り向くとそのSさんの息子さんが立っており、「天坂と一緒だから紹介するね。天坂、この人モッズの大ファンで、お前のレコードも買って聞いてくれてる××さんだよ」なんて、BE MODERNのボーカル天坂晃英君と僕を引き合わせてくれた。
パチンコ屋でお互い「どーも」なんて言いながら握手なんかしてもらった。
当時、すでにかなり売れてたにも関わらず、ロッカーのオーラはあまり感じさせず(スマン!)、どちらかというと恥ずかしがり屋的で、意外に背が高いなぁなんて印象だった。
そんな縁があってのことか、その後、このSさんの息子さんを通じてモッズの歌を題材にした映画「夜のハイウェイ」のビデオのサンプル盤をいただいたなんてこともあったな。
その後、僕がBE MODERNの新譜が出ても買うことがなくなってしばらくしたころ、彼らが解散するというニュースを目にした。ボーカル天坂君と他の3人のメンバーの音楽的な確執があってのことなんだと思うが、当時の4人のインタビューで「ボーカルのレベルでいうと弱い」なんて他のメンバーに言われているのを読んだ時にはBE MODERNの世界観=天坂晃英と勝手に思い込んでいた僕はちょっとショックだったな。
解散後はご存じのとおり天坂君以外のメンバー3人は「SPARKS GO GO」として活躍を続けている。
天坂君はTHE STANDSというバンドを組みアルバムをキャプテンレコードから出すもすぐに解散、ソロとしても活動しモッズのアルバムにも参加していたようだがいつの間にか音楽界からは去ったようだ。
BE MODERN解散時のインタビューで「青春野郎ですから、俺はほんとに」なんて語っていた天坂君。僕は断然彼を支持するのだ。
そうそうBE MODERNの解散と時を同じくして僕は転勤のため6年間過ごした倶知安を去り次の街(苫小牧)へ引っ越すこととなった。汽車ではなく自分の車に乗ってなんだけど。

以前のブログで触れた僕の友人が新しく立ち上げたパンクパンド「ベインビール」が2月29日(土)渋谷TAKE OFF7でのライブに出演するらしい。お近くの方で興味のある方はぜひ。
震えて待て!!
※この渋谷TAKE OFF7ってBE MODERNのライブもよくやっていたハコだったような。
※この渋谷TAKE OFF7ってBE MODERNのライブもよくやっていたハコだったような。