B00005GFEK BEST SELLECTION
THE STALIN

英語を完璧に理解できる一部の人を除く大多数の日本人にとって、洋楽と邦楽を聴く際の大きな違いは歌っている言葉の意味がダイレクトに理解できるか否かと云う点だろう。


ハイスタの台頭によって日本のパンクシーンの主流となった、メロコア、スカコア等と呼ばれるバンドの中には英語で歌うバンドも少なくない。

彼らの方法論は80年代に日本のインディーズシーンを圧巻したハードコアパンクと同じように、既存の日本のロックシーンに対するアンチテーゼの表現としてサウンドを重視したものだと思う。

その結果、ロックのメロディーに乗せる言語として日本語よりも英語の響きの方を選択したのだろう。

ロックのサウンドに乗せるには、単純に英語の響きの方がカッコイイという感覚は理解できる。

日本語で言ってしまうには気恥ずかしい言葉でも、英語で聞くとカッコ良く感じる事も少なくない。

乱暴に言ってしまえば、英語で歌うアーティストのファンの中には、歌詞にあまりこだわらないという人が多数いる事も事実だろう。


個人的には、音楽を聴く上で歌詞というものはかなり重要なファクターであるが故、米英のアーティストのCDを購入する際は、歌詞カードのついていない事が多かった廉価な輸入版ではなく日本版を購入したりもした。

そして自分なりに翻訳する作業を行うこともあったけれど、訳詩を読む事も多かった。

翻訳家の感性に委ねているのだから、単語の直訳に近い訳詩もあれば抽象的なものもあった。



THE STALINを初めて聴いた時に一番刺さって来たのはサウンドよりもむしろ歌詞、言葉だった。

攻撃的なサウンドに乗った言葉の一つ一つは日常的なものだったにもかかわらず、組み合わせが非日常的だったからなのかもしれない。

英詩を直訳した詩のようだと思った。

  
    世界の果てまで オレをつれてってくれ

    つぶれていってもいいんだ 失うものは何もない

    冷たい水晶を 今夜お前と食べよう    

    のどが切れても かまわないから    

     

    Oh Oh Oh STOP GIRL Oh Oh Oh STOP GIRL    

    Oh Oh Oh 嫌だといっても愛してやるさ


    それでもお前は耳を閉じないでくれるか

    体が重い 時間は背中を向けてる

    声が沈む 空気はカミソリ

    何も見えない時でさえ 全てを許してかまわない


    Oh Oh Oh STOP GIRL Oh Oh Oh STOP GIRL    

    Oh Oh Oh 嫌だといっても愛してやるさ

                                  STOP GIRL/WORDS BY 遠藤 ミチロウ


通り一遍等なラヴソングよりも、数倍の説得力があった。

垂れ流される薄っぺらな使い捨ての言葉よりも、突き刺さるものが存在していると感じた。



意味さえないとも取れる言葉の羅列の中に、共感するものを感じるか、あざとさを感じるか、馬鹿バカしいと思うか、それとも興味すらも持たないか。

インストルメンタルではなく言葉が存在している歌である以上、表現者の発する言葉に耳を傾けることは大切な事なのではないだろうか。


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