人に褒められるような、

 

目立ったり、崇められたりするやり方だと

 

神様と交信出来る徳が溜まらないんだって。

 

誰にも知られない

 

誰にも褒められない

 

でも神様は見ている

 

ただ、その一点だけで日々を生きると

 

徳が溜まるんだって。

 

あの人は立派だねぇ、、と人に褒められなくても

 

目立たなくても、どんなに地味でも、

 

肉体がなくなってから幸せになった方が良い。

 

だって人間は一人で死ぬし

 

亡くなる時、自分を讃えていた人々は一緒に来ない。

 

考えてみると、人に褒められる事って

 

めっちゃ無意味だと気づいた。(今更です、すみません💦)

 

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例えばだけど、

 

チェリまほの安達みたいに

 

誰にも褒められなくても、讃美されなくても

 

電球替えたり

 

立花君から押し付けられた仕事をこなしたり

 

看護婦さんや、電車の車掌さんとか

 

仕事だからやって当たり前と人々に思われて

 

褒められる事が全くなくても、

 

徳は溜まっているとおもう。

 

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年収が高い職に就けなくて

 

どんなに貧乏だったとしても

 

毎日道端の空き缶とか拾っている人だったら

 

人に見つからないでコッソリ拾ってたら

 

神様に愛でられそう。

 

ご近所の掃除は、もしかしたらご近所さんに

 

見つかって褒められそうだから

 

徳が積めないかも知れない。

 

ビルの掃除の人とか、とても徳が溜まってると思う。

 

やって当たり前と思われる仕事だけど

 

人々に快適を与えている。

 

私は、もし2024年以降も生きていて、

 

60歳になって今の仕事を退職する事になったら

 

掃除婦になりたいなぁって思ってるんだ。

 

今の職場、60歳までだからさ。

 

掃除婦は大変そうだけど、

 

心が綺麗になるかなって期待してる