愛読してる希実子さんのブログを読んでいて
自分の体験も重ね合わせながら
「強く美しい姿勢に見えるけれども、そういう考えに至るまでにどれほどの葛藤や苦々しい思いがあっただろう、幾度、弱さと向き合ってきたのだろう」
と、彼女が乗り越えてきたであろう過程に思いを馳せていた。
するとブログの最後に「つくし」の写真が載っていた。
ああ、昔は家族でよく採りに行ってたっけ……
大人になってから全然採ってないな……
そう思った途端、突然、幼少のころに見た光景がふたつ脳裏に蘇った。
それはつくしが出る頃より少し後の、暖かい春の日々。
ひとつめはいつも遊んでた「広場」と呼んでた場所に生えてた赤くて小さな花。
ふたつめは通学路にある田んぼという田んぼに一面に咲いていた赤い花。
どちらも「レンゲ草」という花である。
そうだ、私がいちばん好きな花だ。
どうして今まで思い出さなかったんだろう。
花の話に触れる機会は、これまでにもいろんな場面であったはずだけど
いちばん好きであるはずのレンゲ草は不思議と思い浮かばず
自分で話題にすることも、誰かに伝えることも長年なかったのだった。
レンゲ草が好きな理由は
最初は「自分が生まれた季節に咲く花だから」というだけだった。
だけど小学生になって、
レンゲ草はトラクターに踏み潰されて土に練り込まれても
その命は肥料となって田んぼの土壌を作る、という話を本で読んでからは
「私の好きな花はそんなに強い花だったんだ!?」
と強烈に心を惹かれて、さらにもっと好きになった花だったのだ。
しかし、好きな花は何ですか?という問いに
レンゲ草と答える他人は周りにはいなかった。
春限定でもあるし店にも売ってない、鉢植えにもない。
どっちかというと野草っていうか雑草扱いのレンゲ草を
好きだという人に出会ったことはなかった。
実はそういうところもたまらなく気に入っていた(笑)
話題にする機会がなかったというよりは
好きなのは自分だけでいい、みたいな気持ちもあって
言いたくなかったんだなたぶん。
ネットで少し検索したら
もう現代の田んぼではほとんどレンゲ草を扱った緑肥は行ってないらしい。
ああ、それでレンゲ草自体を見る機会が減ったのか。。
だからよけいに、思い浮かばないレベルまで記憶の地中に埋もれてたんだろう。
踏まれても花じゃなくなっても
その身は役立ち続けて
また春になったら花として蘇る
普段から自分のことを
雑草的な感じがする部分は心地いい、と思ってるところがあるのだが
そっか、それは好きな花がレンゲ草なところからも始まってるのかもな。
レンゲ草みたいな生き様が、
自分の求める歩み方なんだろう、きっと。
希実子さんの今日のブログは、
読者として感じ入っただけではなく
自分の奥底にあったものを改めて思い出し、気づいたきっかけにもなった。
辛くて、悲しくて、動揺して、嘆いて、落ち込んで、閉じこもって
怒りに震えて、歯を食いしばって、悔しすぎて、引きちぎられそうで。
そんな思いをすることはこれまでにもたくさんあったし
これからも避けられはしない。
だけど花には到底見えないそのもがきを肥やしにして
レンゲ草のようにまた返り咲く春。
大事な人たちにも、もちろん自分にも
そんな春がたくさん、たくさん、訪れますように!