Why be moral ? | punctus

Why be moral ?

殺ってもイケルしイケテルのに

--小泉義之


「どうして人を殺してはいけないのか」と問うあなたには残酷な雰囲気がある。あなたは、殺すか殺さないかを自由に選択できると前提している。

あなたは問いを誰に向けているのか。任意の誰かに向けている。そしてまた、収容監禁されて身動きのできない人間に対して、要するに、殺すか殺さないかを自己決定できる余裕のない人間に対して、あなたは問いを向けているのだ。
「どうして人を殺してはいけないのか」という問いには、殺す実践か殺さない実践によって答えるべきであるし、問われた者はすでに答えているし、問う者も現に自ら答えているのである。

世間においては、殺してもやっていけるし殺しても褒められるのだ。「殺してはいけない」というルールはどこにも存在しない。ルールに従うことによって殺人が起きないような聖域はどこにもないし、「それが決まりだ」と答えられるような先生や大人はどこにもいないのだ。にもかかわらず、そんなルールが校則のように成立していると思い込むことがまさに学校化された思考である。そして、「どうして殺していけるのか」という問いを立てることができないというその視野の狭さが、殺人を暗に擁護していることを思い知るべきである。「殺してはいけない」というルールも「殺し合ってはいけない」というルールも存在しない。そんなルールに従って社会が形成されているわけではない。社会契約説は単なる嘘である。

いずれにしても「どうして殺してはいけないのか」という問いには、「殺してはいけない」ようにする実践によって答えるべきである。


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これは倫理の授業で衝撃を受けた文章。先生が「見殺しって言葉知ってますか?」って私たちに問いかけたとき私はドキリとした。

我々は実際に人を殺していないという実践をしているのだろうか。今現在パレスチナでは人が殺されている。私は人を殺していないという実践をしているのだろうか。BC時代から何も変わっていない。変わらねば。