2月19日、ぼに太が突然死んでしまった。

 

すべては自分が悪いのだが、この日に死ぬと思っていなかったので、呆然としてしまった。

うんともすんとも言わないぼに太。

ぜんまい巻いたりとか(そんなもの、どこに付いてるの?)、電池入れ替えたりとかしたら(どこに入れ替えるの?)、また動き出したりしないのかな・・・なんて考えがぐるぐる頭を駆け巡る。

 

診察台で冷たくなったぼに太を前に頭の中が真っ白で空っぽになっていたら、動物病院の人が「預かる」と言ってくれた。

いつまでいいのか聞いてみると「いつまででもいい」というありがたいお言葉。

実は大学の新学期が1週間後に迫っていたため焦っていた。そういう状態で慌ただしく埋葬したくなかったので、お言葉に甘えて3月9日まで預かってもらうことにした。

 

最後の最後くらいぼに太だけのために時間を使いたい。

・・・とは言っても、今さら何をしても全く無意味でしかないのだが。

 

そんなわけで、今、動物病院で眠っている。

 

実を言うと、「いなくなった」という実感がない。

というか、自分でも何をどう考えているのかわからない・・・というのが正直なところ。

かなり不安定になっていると思う。

もしかしたら動物病院で眠っているという妙な安心感みたいなのもあって、死んだという実感が湧いていないのかもしれない。

どこかからふっと出てきそうな気もしている。

 

 

しかし、埋葬する日がだんだんと近づくにつれて、「ぼに太を埋めてしまったら、もう戻ってこないんだ」という思いが強くなってきた。

 

4年半前にケネディーさんが死んだときには思いつきもしなかった発想である。

ケネディーさんも突然死んでしまったのだが、そのときは、ケネディーさんを埋葬する場所を探すのに必死で、それどころではなかった。

 

最近はペットの墓地もちらほら出てきたが、当時、トルコで動物を埋葬するのは日本と違ってかなり大変だということを知った。

その時は教え子の猫のお墓に一緒に埋葬させてもらうことになり、事なきを得た。

ぼに太はケネディーさんの隣に埋葬するので、今回はお墓探しの心配はない。

そのせいか、いろいろな考えが頭の中をぐるぐる回っているような気がする。

 

 

話がそれてしまったが、「ぼに太を土に埋めてしまったら、もう戻ってこない」ことに気づいたときに、ふと思い出したのが、ペットを剥製にするという方法だ。

ペットを剥製にするというのはひとつの供養の方法らしい。

 

その次に思い出したのが、最高に苦手な(自分にとっては恐怖そのものでしかない)ミイラ。

 

これまではどちらも自分には恐怖心から受け入れがたいものだったのだが、「ぼに太を土に埋めてしまったら、もう戻ってこない」ことに気づいて初めて、そういうことをしたい人たちの気持ちがわかったような気がした。

 

しかし、そういう供養をする人たちには申し訳ないが、個人的にはそれは動物たちが喜ぶことなのかな・・・と思う。

そんなことをしたところでぼに太は戻ってこない。

剥製を見ていても悲しくなるばかりだし、何より自分には人間のエゴのように思えてしまう。

 

ある人がペットの毛をぬいぐるみにするという方法もあると教えてくれた。

これも、そういうことする人には申し訳ないが、自分にとっては何か違うような気がしてならない。

ぬいぐるみにするためにどのくらいの毛が必要なのかわからないが、そんなことして癒されたり、供養になったりするのかね?・・・というのが素朴な疑問。

 

他にも毛や骨をリメイクする方法もあるらしいが、自分の中ではしっくりこない。

 

ぼに太が死んだ時、動物病院の人に「毛を持っておきたいか」と聞かれた。

全く思いつきもしなかったが、とっさに「ほしい」と言った。

(そのようなわけで、ケネディーさんの毛は持っていない)

しかし、数週間経って、その毛にさえも違和感を覚え始めている。

ずっと持っていていいものなのか?

そもそも持っていたところで供養になるのか?

 

 

ふと、動物病院の人の「いつまででも預かる」という言葉を思い出した。

そう言えば、未来の医学に期待を馳せた「クライオニクス」という方法もあったなぁと思った。

 

「いつまででも預かる」と言ってくれているし、医学が最高に進歩する日まで預かってもらおうかな?

 

・・・しかし、これもまた何かが違うように感じられた。

確かにいつか復活してくれたら最高に嬉しいが、それでもやはりいつかまた死んでしまうのである。

 

 

どんなところで眠っているのかわからないが、いわゆる霊安室みたいなところで眠っているのだろうと思う。

なんか、迎えに行ったら、目を覚まして動き出したりしないかな・・・なんて有り得ないことを考えてしまっている。

 

 

しまいには、「レンジでチンしたら復活しないかな」などと本気で考え始めている自分。

 

 

全くもって、愚かな考えでしかない。

そもそもぼに太は既にいなくなっていて、残っているのは「いれもの」でしかないのに。