トルコ🇹🇷は今日、ラマザン(断食月)の最終日。
日本では
「ラマダン」とか「ラマダーン」とかと
言われることが多いかと思いますが、
トルコ語では「ラマザン」と言います。
ざっくりご説明すると、
夜明けから日没まで一切の飲食を断つ
ということを1か月間続けます。
(飲食以外にも禁止行為はいろいろあります)
イスラムの行事は「イスラム暦」と言って
月の満ち欠けによる太陰暦に則って行われます。
そのため、毎年約11日繰り上がっていきます。
より詳しくお知りになりたい方は、
こちらのサイトをどうぞ。
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5A4A5B9A5E9A5E0CEF1.html
(国立天文台のサイトより)
このほかにもさまざまなサイトがあるので、調べてみてください。
今年のラマザンは3月11日に始まりました。
そして、今日が最終日です。
まだ断食期間中ではありますが、
トルコは午後から
ラマザン・バイラム(断食明けの祭)
という祝日に入ります。
3日半という、個人的には不思議な期間です。
(今日の半日は前日祭にあたります)
数週間前に
4月8日月曜日と4月9日火曜日の午前も公休にする
という政府の発表があったので
学校や公的機関は9連休になりました。
そんなわけで、わたしが勤務している大学も9連休です。
(とは言っても、テスト準備や雑務があるのですが・・・)
実は3月31日日曜日、トルコは統一地方選挙でした。
そんなわけで(?)投票のために帰郷した学生たちを中心に
先週の前半から既に「自主休暇」状態だったりします😂
それはさておき、
毎年ラマザンになるたびに
書こう、書こうと思っていたことがあります。
わたしの最大の欠点のひとつに
「やろう」と思っているうちに
時間だけが膨大に過ぎてしまう
という「浦島花子」なところがありまして
タイミングを逸したままになっていました😅
話はそれますが、
この欠点が災いして
ぼに太とケネディーさんの記録も
ブログにアップせねば・・・と思っているうちに
気づけば、おふたりともあの世に送り込んでしまいました😓
そんなわけで
今年のラマザンこそは!
と意気込んでいたのですが、
気づけば今日は最終日😱
これを逃すとまた書けなくなるので
今日はしっかりと書きたいと思います。
さてさて
「書きたかったこと」というのは
ラマザンの時、ムスリムでない人は(付き合い)断食すべきか否か
ということです。
トルコ以外のイスラム圏を知らないので
トルコだけについて言及しますが、
トルコは他の国や地域に較べて、かなりゆるゆるです。
人と環境によりけりだと思います。
なので、断食をしないムスリムさんも多いです。
ラマザンの時は人前での飲食を控える風潮もありますが
断食している人が目の前にいるにも関わらず
全く何も気にせずに食べまくっている人もいて
やっぱり人それぞれみたいです。
他の国や地域の人たちは知りませんが
日本人は(わたしも含めて)ラマザンの時の飲食を
(例えば道端でお水を飲んだりとか)
つい遠慮してしまう傾向があるように見受けられますが
はっきり言ってしまえば、気にしすぎのようです😅
わたしはもともと、
ラマザンであろうがなかろうが
食べていない人の目の前で
食べたり飲んだりするのが好きではないので
基本的にそういうことはしないのですが、
ラマザンの時は授業の前に学生たちの前で
お水を飲んだりするのは控えていました。
授業時に食べ物の話をするのも避けていました。
意識させちゃうかな・・・と思ったので。
(実はなぜかわからないのですが、
授業が食べ物ネタになってしまうことが多いのです😅)
ただ、先日
女子学生たちのある行動を目の当たりにした後
そういう遠慮をするのを一切やめることにしました😂
(この話はまた後日ということで・・・)
話がだいぶそれてしまったので、本題に戻します。
ラマザンの時、ムスリムでない人は(付き合い)断食すべきか否か
ですが、わたしは「絶対にしない」派です。
それは、断食をしても何の意味がないからです。
自分にとっても、ムスリムさんにとっても、世界にとっても。
お付き合いで断食する方々を否定するつもりはありません。
中には「ゲーム感覚」でやっているという方もいます。
ただ、それは単なる「絶食(=食事を抜いている)」であって
イスラムで言う「断食」とは全く異なります。
はっきり言わせていただくなら
「おままごと」でしかありません。
わたしが断食をする敬虔なムスリムだったら
「ムスリムになってからやってよ」
と言いたくなるだろうと思います。
そのようなわけで、
お付き合いで断食される方を否定するつもりはありませんが、
冷ややかな目で眺めているというのが正直なところです。
(きつい言い方でごめんなさい🙏)
ただ、今から約20年前
某システムの仕事で某公的機関で働いていたときは
「半分だけ断食」
していました。
と言っても、もちろん本気の断食じゃありません。
苦し紛れの言い逃れです😅
その某公的機関は筋金入りの敬虔なムスリムさんが多く
ラマザンに入った途端、いろいろな人に
「りょうこも断食しろ」
と言われたり
「りょうこも断食するのか」
と聞かれたりするようになりました。
1回か2回ならいいのですが、
毎日、それも1日に何人もの人に聞かれ
正直うんざりモード😓
中には
「◯◯(←ある町の名前)にある日本企業は全員断食してる!」
と言い出す人までいて、さらにうんざり😓
(真実のほどは定かではありませんが、本当だとしたら
こういうことの強制はあってはならないことだと思います)
ある日、あまりにも言われ続けて
限界に達してしまったわたしは、気づいたら
「わたしは半分断食してる!」
という言葉が口から飛び出していました。
言ってしまった後、一瞬「やばっ!」と思ったのですが、
「半分断食」という言葉は
予想に反し、かなり好評だったようで
「りょうこは半分断食しているらしい」
という話が広まり、その後は
「断食しろ」
みたいなことは全く言われなくなりました。
何も言われなくなり、わたしもホッとひと安心。
「助かったぁ〜♪」と胸をなでおろした次第です😆
ところで、
咄嗟に思いついて口から飛び出てしまった
「半分断食」
という言葉ですが、
その根拠はいったい・・・???
当時は2月で、日没の時間は4時台だった
・・・ということもあって
お昼は食べていませんでした。
断食明けの食事に誘われることも多く
お昼を食べていたら、食べられなくなるので。
(仕事が忙しかったとか、
胃が常にぐるぐる回っている状態で
食べる気がしなかったという事情もありますが・・・)
また、今はだいぶ変わったようですが、
当時、そこの公的機関は
ラマザンになるとお茶屋さんも休業してしまっていました。
周りは断食している人だらけだったので、
日本人はわたしも含めて皆
お水も持参していなかったと記憶しています。
トルコ人エンジニアは飲みまくってましたが(笑)
そんなことから
朝、ホテルを出てから断食明けの時間まで
飲食をしていないことになるので
「半分断食」
という言葉が咄嗟に思い浮かんだのではないか
・・・と思われます😅
だいぶ後になって知ったのですが、
「半分断食」
というのは、実際に行われているそうです。
誰がするのかと言うと、
お子ちゃまたちです。
大人やお兄ちゃんやお姉ちゃんが断食するのを見て
「やりた〜い♪」と憧れるお子ちゃまたちが
「半分断食」をするのだとか。
小さくて1日断食するのは無理なので
例えばお昼まで断食するというようなことを
するのだと教えてもらいました。
それから数年後、
某国国営放送の日本語デスクに入ったのですが
突然このときのことを思い出し
非常に恥ずかしい気持ちになりました。
国営放送の日本語デスクの人間として
あるまじき超お馬鹿な発言ですよね〜 😂
まぁ、某国政府主催の断食明けの食事会で
「私も少しは断食らしい感じをもとうと思い、今日は昼食を抜いている」
とのたまった某国代表もいらっしゃるので
当時は何も知らず、致し方なかったということで
許していただくことにしましょう😊
(余談になりますが、某国政府主催の断食明けの食事会は
この方が2005年に初めて始められたようですね)
かなりの長文になりましたが
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
長年書けなかったものを
ようやく書き上げることができて
うれしいです。
断食にまつわる思い出話はいろいろあるので
また折を見てお話したいと思います。