ちゃんと勉強しなかったかもしれないけど、

一応、私は法学部出身なので

学生時代は友人と当時の政治について話すこともよくありました。

議論って言うよりはだいたい文句だけど(笑)

 

今現在は、あまり立場をはっきりさせない方が良いかなと思って

政治的発言をツイッターに載せたりはしません。

もちろん他のメディアでも。

 

だけど、検察庁法改正案については反対の意を表しています。

 

これは今の長官云々ではなくて、

検察の人事権を時の政府が掌握してしまう、

その恐ろしさを感じたから。

 

私たちは第二次大戦の前、戦時中を経験していない人がほとんどで、

今のおじいさん、おばあさんの世代ですらもう

当時は子供だったという方、戦後に生まれた方も多いでしょう。

 

だけど、伝え聞く話で、

エンターテイメントがどのように縛り付けられ、

統制され、弾圧されてきたのかを知っています。

 

我々がこれからも自由にエンタメを仕事とし、

また、楽しませてもらうためには必要なこと。

私は自分の好きなアーティストが、俳優が、小説家が、漫画家が、

表現の自由を奪われないように未来を守りたい。

 

大げさだと言われるかもしれませんが、

大政翼賛会とか治安維持法とか、

あの時代の悪法を歴史の教科書で学んでいれば

混乱に乗じてどんどん国民としての権利が奪われてしまうことも想像できます。

 

<今現在の内閣>を肯定する人がいてもいいけれど、

それを別の見方から評価する人がいるからこそ、

正しい政治が行えるというもの。

 

私は、自分の愛するエンターテイメントが失われるかもしれない

そう直感した時には必ず声を上げると

学校で歴史を学んだ時に決めていました。

 

どちらの意見であれ、声を上げるのは大切なこと。

私が今回声を上げた理由はただ一つ。

「愛する人、愛する物がいつでも隣にありますように」

 

現代ビジネスの2017年の記事で少し長いですが、痛いほど胸に刺さります。

是非ご一読を。

「戦時下の演劇人」が教えてくれる、それでも声をあげることの意味