昨夜は下北沢に「イシノマキにいた時間」という
舞台を観に行ってきました。


最初にこの舞台のことを知ったのも
CUEの鈴井亜由美さんの思いつき日記だったし、
今回の東京での公演の予約受付を知ったのもそうでした。

(朝、寝ぼけ眼で読んで、そのままリンクされていたサイト
チケットの予約まで完了しちゃいました。)



私が初めて福島カツシゲさんを知ったのは、
NACSシゲちゃんのライトフライトだったと思います。
もう4年前になるの?早いなー。


NACSファンの皆さんはご存知だと思いますが、
昨年の震災後、すぐに現地へ入られたカツシゲさんを頼って、
シゲちゃんも一緒にボランティアをしていましたよね。
正直、シゲのその行動が私は意外だなって思ったんだけど、
同時に更に好きになりました。(あ、そんな事はどうでもいいんだけど)

そんなカツシゲさんだから出来たこの作品を
もう一度、あの時の気持ちを思い出し、
これからの事を見つめるために是非見ておきたいと思いました。


まだこの後、熊本公演もあるそうですし
その先もきっと全国で公演されることと思いますので
完全なネタバレとは行きませんが
大まかにどんな話かということを書いておこうと思います。



お芝居の舞台は2011年11月。
既に震災から月日が流れ、ボランティアの数も激減。
そこに残ってボランティア団体を仕切る二人と
カムバック組と呼ばれる、
行って帰ってを繰り返すフリーターの青年のお話。


仮設住宅が建ち。被災者の方への支援の形も変わり始め、
初期の物資の提供や町にあふれる瓦礫の撤去、
浜の清掃などから、一歩踏み込んだ段階に来ていました。

地元の方々との温かさに触れ、一見順調に見えた活動も
段々と「どこまでがボランティアなのか」分からなくなっていきます。
お互いを尊敬しながらも、少しずつギクシャクしてしまう。
ボランティアとは何なのか?何をすべきなのか?

一方で、被災地を離れると
震災の出来事すべてが「過去」であり、
触れて欲しくない話として捉えられ始めていました。

そうした現実に直面した時、
ボランティアの彼らはどのように感じたのか?
どのように被災地の、そして自分自身の未来を見つめたのか?



中盤までは軽妙なやり取りに何度も笑い、
そして終盤に近づくにつれ、胸がぎゅっと締め付けられるような
切ない気持ちになりました。
最後には会場のあちこちで鼻をすする音。
私も泣かないようにと堪えていたけれど、涙がぽろぽろ。

最後の最後に席を立つまで、
心が暖かい空気に包まれた舞台でした。




震災の日、私は一人で自宅にいました。
鍵をかけていなかった窓が右へ左へと何度も何度も
ばたん、ばたんと動き、
おさまったのかと思えばまた揺れる・・・
おまけに、私の自宅付は最初の地震と同時に
一斉に停電し、夜22時半ぐらいまで真っ暗闇の中でした。

一体何が起きているのか?
その間に津波があったことすら知らず、
ただただ布団にくるまって電気がつくのを待っていました。


当時、私は3月中に書かなければいけない作品があったのですが、
やる気が出ないから・・・としばらく放置していました。
(アマチュアだったから放置できた訳ですけど)
震災の後、〆切は迫るのに今度は、
「こんな事して何になるんだろう?
音楽なんて飢えも寒さもしのげないのに・・・」と
違う理由で詞を書けなくなってしまいました。

今まで書いてきたものが嘘の言葉のような気がして。
自分自身が「うた」を聴こうと思えたのは
5月、6月くらいになってからだったと思います。

被災地の方々が、あの曲を聴いて元気が出た、
この曲が心にしみたと仰っているのを聴いてから。


あの当時、あんなにいろんな事を考えて
あちこちで募金しまくっていたのに、
今はDEPAPEPEさんのLiveで義捐金ピックと引き換えに
お金をちゃりんってするだけ。
その瞬間だって、特に強く深い思いがある訳じゃない。


「人は忘れてしまうもの。だからこそ語り継がなければ」
その言葉が胸に刺さります。
こうして、語り継いでいくお芝居があるからこそ、
当時を思い出し、立ち止まって考えることができる。
素晴らしいことだと思います。
これからも長く公演を続けていただきたいし、
いろんな地方で、老若男女たくさんの人に観ていただきたいです。


長くなっちゃったけど、是非、
サイトにある東京公演の予告もご覧ください。

HP:  『イシノマキにいた時間』