94年9月、初めてのカンボジア。
沢木耕太郎の書いた
「地雷を踏んだらさようなら」(一ノ瀬泰造)の書評を読み、
どうしてもアンコールワットが見たくなった。
治安の問題もあってか
観光客はそれほど多く、
旅行するための情報もほとんどなかった。
旅行人が出していたコピーサービス、富永氏の情報を元に
プノンペンでは有名なキャピタルGHに泊まる。
食堂の飯のまずさにうんざりし、
これから約1週間のカンボジア旅行に不安を感じる。
アンコール観光の拠点、シエムリアプへ飛ぶ。
キャピタルGHのレストランにあった情報ノート「俗物図鑑」によると
260GHというところの評判がよかったので
空港からバイクタクシーでこの宿に向かった。
当時、日本人旅行者はそれほど多くなかったが
その大半はこの260GHに泊まっていたように思う。
案内された部屋はシングルベッドが2つに
天井から大きなファンがぶら下がっているだけのシンプルなもの。
最も驚いたのは、
共用スペースにある食べ物、飲み物はノートに記録したうえで
自由に飲み食いができ、
チェックアウト時に清算するという、
性善説の極みのようなシステムだ。
バゲットやそれにつけるジャムやバター、
インスタントのコーヒーなどなど。
宿泊者は各々が好き勝手に飲み食いしていた。
ここでは夕食も作ってくれた。
夜のシエムリアプは治安も悪く(夜中に銃声が聞こえた)、
ほとんどの旅行者はここで夕食を食べていた。
プノンペンの食事がまずかっただけに非常に助かった。
滞在者のほとんどが日本人。
典型的な日本人宿だったかもしれないが
日本語で心置きなく会話できるのは、それはそれで楽しいものだ。
3日ほど観光。
先にプノンペンに戻った旅行者から
飛行機ではなく、ボートで戻ることを薦められる。
水上家屋といった日本では見ることにできないものもさることながら
移動そのものが楽しかったと話していた。
実は帰りのエアチケットはすでに購入済み。
どうしようかと迷っていると、別の旅行者が買い取ってくれるという。
チケットに名前が載っていたのか、もう忘れてしまったが
買い取ってくれた旅行者と
後日プノンペンで会えたのだからノープロブレムだったはず。
ボートは悪天候のため、予定していた日には出航せず
1日、ボーっとしゲストハウスで過ごしていた。
シエムリアプに着いた日には10人以上いた宿泊者も
プノンペンに戻り、
この日の夕食はチケットを買い取ってくれた人と私、
そして別のGHに泊まっていながら、
噂を聞いて訪ねてきたカップルの4人だけとなっていた。
翌朝、宿の主人が船着場まで送って行ってくれた。
奥さんは移動中にお食べと、バゲットを数本持たせてくれた。
この船旅は、これまでの旅行中の移動で
最も苦しい移動となった。
船酔い、そして悪路でのピックアップトラックでの移動。
プノンペンに戻り、キャピタルGHにチェックイン。
少し休んでから階下のレストランに行くと、
エアーチケットを買ってくれた旅行者と再会。
彼がチェックアウトするまでに旅行者は誰も来なかったという。
もしかしたら宿泊者はゼロかも?
(このGHを知っている人なら信じられないかもしれないでしょう)
数年後、ナイロビで出会った旅行者が260GHに泊まった。
私が宿泊していた当時、宿の奥さんは
宿泊者に宿の情報ノートに顔写真を貼るようにお願いしていたので
私も貼ってきたのだが
その写真をこの旅行者が発見!
バンコクで会った時
「いったいいつから旅行しているのですか!?」と驚かれた。
ちなみに私の写真は、このノートの最初の号?に貼ってあった。
いわゆる安宿はインドネパールで経験済み。
しかし、いわゆるバックパッカー的な旅は
このときのカンボジアが原点であり、
その後の人生に大きな影響を与えているのは間違いない。
沢木耕太郎の書いた
「地雷を踏んだらさようなら」(一ノ瀬泰造)の書評を読み、
どうしてもアンコールワットが見たくなった。
治安の問題もあってか
観光客はそれほど多く、
旅行するための情報もほとんどなかった。
旅行人が出していたコピーサービス、富永氏の情報を元に
プノンペンでは有名なキャピタルGHに泊まる。
食堂の飯のまずさにうんざりし、
これから約1週間のカンボジア旅行に不安を感じる。
アンコール観光の拠点、シエムリアプへ飛ぶ。
キャピタルGHのレストランにあった情報ノート「俗物図鑑」によると
260GHというところの評判がよかったので
空港からバイクタクシーでこの宿に向かった。
当時、日本人旅行者はそれほど多くなかったが
その大半はこの260GHに泊まっていたように思う。
案内された部屋はシングルベッドが2つに
天井から大きなファンがぶら下がっているだけのシンプルなもの。
最も驚いたのは、
共用スペースにある食べ物、飲み物はノートに記録したうえで
自由に飲み食いができ、
チェックアウト時に清算するという、
性善説の極みのようなシステムだ。
バゲットやそれにつけるジャムやバター、
インスタントのコーヒーなどなど。
宿泊者は各々が好き勝手に飲み食いしていた。
ここでは夕食も作ってくれた。
夜のシエムリアプは治安も悪く(夜中に銃声が聞こえた)、
ほとんどの旅行者はここで夕食を食べていた。
プノンペンの食事がまずかっただけに非常に助かった。
滞在者のほとんどが日本人。
典型的な日本人宿だったかもしれないが
日本語で心置きなく会話できるのは、それはそれで楽しいものだ。
3日ほど観光。
先にプノンペンに戻った旅行者から
飛行機ではなく、ボートで戻ることを薦められる。
水上家屋といった日本では見ることにできないものもさることながら
移動そのものが楽しかったと話していた。
実は帰りのエアチケットはすでに購入済み。
どうしようかと迷っていると、別の旅行者が買い取ってくれるという。
チケットに名前が載っていたのか、もう忘れてしまったが
買い取ってくれた旅行者と
後日プノンペンで会えたのだからノープロブレムだったはず。
ボートは悪天候のため、予定していた日には出航せず
1日、ボーっとしゲストハウスで過ごしていた。
シエムリアプに着いた日には10人以上いた宿泊者も
プノンペンに戻り、
この日の夕食はチケットを買い取ってくれた人と私、
そして別のGHに泊まっていながら、
噂を聞いて訪ねてきたカップルの4人だけとなっていた。
翌朝、宿の主人が船着場まで送って行ってくれた。
奥さんは移動中にお食べと、バゲットを数本持たせてくれた。
この船旅は、これまでの旅行中の移動で
最も苦しい移動となった。
船酔い、そして悪路でのピックアップトラックでの移動。
プノンペンに戻り、キャピタルGHにチェックイン。
少し休んでから階下のレストランに行くと、
エアーチケットを買ってくれた旅行者と再会。
彼がチェックアウトするまでに旅行者は誰も来なかったという。
もしかしたら宿泊者はゼロかも?
(このGHを知っている人なら信じられないかもしれないでしょう)
数年後、ナイロビで出会った旅行者が260GHに泊まった。
私が宿泊していた当時、宿の奥さんは
宿泊者に宿の情報ノートに顔写真を貼るようにお願いしていたので
私も貼ってきたのだが
その写真をこの旅行者が発見!
バンコクで会った時
「いったいいつから旅行しているのですか!?」と驚かれた。
ちなみに私の写真は、このノートの最初の号?に貼ってあった。
いわゆる安宿はインドネパールで経験済み。
しかし、いわゆるバックパッカー的な旅は
このときのカンボジアが原点であり、
その後の人生に大きな影響を与えているのは間違いない。