初めてチェンライに来たのはいつだったろうか?記憶が定かではないのだが、恐らく95年9月だったと思う。メーサイ-タチレク国境を越えるために、近隣国を旅行したあと、日本で手配したチケットでバンコクから飛んだと記憶している。この頃、不定期ではあるが、この国境が開いているという情報得ていたので日本にいるときから行ってみようと思っていたのだが、残念ながらこのときこの国境は閉じており、越えることはできなかった。確か、チェンライに3泊するつもりだったのに、あまりにも退屈なのでチェンマイに移動し、チケットを振り替えてもらった記憶がある。また、このときの移動でバスがエンストを2回起こし、2回目は直らずに別のバスに乗り換えた記憶もあり、第一印象は決していいものではなかった。
その数年後の正月、2泊3日で再びチェンライにやってきた。このときもこの国境を見るために来たのだが、残念ながら閉じていたので、越えることはできなかった。とりあえず見に行った国境で、恨めしげにタチレクを眺めていたものだ。この2回のチェンライでは、ゲストハウスやレストランに馴染みもできず(タイ語もそれほど話せなかったが)、もちろん現地の人と親しくなる機会もなかった。
タイに住み始めて数ヶ月経ったとき、当時バンコクの語学学校に通っていた私は、2週間ほどの休みを得ることができた。最初は、日本にいたときに時間の都合で行けなかったラオスのルアンパバンに行こうと思った。ビエンチャンからルアンパバンと移動し、ルアンパバンで次の目的地を考えていた。ボートでフエサイまで行って北タイに入るか、ビエンチャンに戻ってタイ東北部を旅行しようか……だが、噂に聞いていたスピードボートを見てみると、とても耐えられる代物ではないと思い、ボートの旅は選択肢から消えた。そんなとき、ラオス航空がチェンマイに飛んでいることを知った。予算にはゆとりがあったので、こちらを選択、一気にチェンマイまで飛んだ。チェンマイまで来ると、再びメーサイ-タチレク国境が気になってきた。このときは国境が開いているという確実な情報も得ていた。チェンマイには1泊しただけですぐにチェンライへ移動した。このときはある程度情報も得ていたので、あるGHを訪れた。そこで知り合った旅行者から色々と話を聞くこともできた。翌日、タチレクまで日帰りで行ってきた。念願の陸路国境越えであったが、正直なところほとんど印象には残っていない。ただ、スタンプをもらえたことがうれしかっただけは覚えている。このときもGHの方とはそこそこ親しくなったが、今ほどの思い入れはなかった。
さらに数ヵ月後、再び1週間ほどの時間ができた。バンコクにいても面白くなかったので、とりあえず行ったことのあるチェンライに行ってみた。ある夜、ふらついているとタイ人の男が声をかけてきた。単なる客引きである。といってもいかがわしい店ではなく、レストランであったのだが……ちょうどタイ語を学んでいるところだったので、タイ語の実践と思い、彼とできる限りコミュニケーションを取るように心がけた。すると彼はなぜか私を気に入り、翌日も来るように言ってきた。翌日行ってみると、一人の日本人がその店にいた。その彼Yさんは、チェンライに住んでいるということだった。Yさんからは在住者ならではの情報を手に入れることができた。そんなYさんとの出会いもあり、その後1年ほどは少しでも時間ができるとチェンライに行くようになった。チェンライに行った日は、毎晩Yさんと話をしていた。Yさんの話には、リピーター的な日本人の話題がよく出た。実は現在チェンライ繋がりで付き合いのある日本人の何人かは、このYさん経由で知り合った方々なのである。TさんやIさんなどは、Yさんがチェンライを去った後、チェンライで偶然出会い、話をしてみるとYさんと話をしているときによく話題になっていた人であることをお互いに知ったのだった。そのため、Yさんを交えて会ったことはない。意外なものだ。
TさんやIさんをはじめ、この店の常連と親しくなり、そこからタイ人の知り合いも紹介してもらい、いまやバンコクよりもチェンライの方が友人・知人が多くなってしまった。何度も来るうちに、いくつかのGHに泊まってみてお気に入りのGHもできたし、レストランでも顔なじみとなったところができてきた。そうなると居心地が良くなる一方で、ますますチェンライに来るようになった。
次回からは、そんなチェンライにまつわる話を書いてみたいと思う。