親鸞は
「善人なほもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや」
と言った人
「善人ですら、極楽浄土に行けるぐらいだから
悪人だったら、なおのこと、極楽に行けるに決まってる」
って意味です
「えー、そんなん、おかしいやん!」
って思いますけどね
実際に親鸞が言いたかったのは
悪人って言っても
好き好んで悪人になろうと思った人ばかりではないし
本当は善人になりたかったけど
環境が悪かったり、能力が足りなくて
気が付いたら悪い人になってしまってた
そういう人のこと
そういう人って
自分って、なんて運が悪いんだろうと思ったり
そういう人ほど
運命とか宿命とか感じると思うんですよね
だって、自分の力や意志ではどうにもならない結果がついてくる
それって宿命と考えるしかないですもん
私自身が
言ってみれば親鸞のいうところの『悪人』かもしれません
私は人を傷つけたり、悲しませたり、苦労を掛けたり
様々な悪い事をしてきました
でも、誰だって人に嫌われたくないのが本心でしょ
人を悲しませたくなんてないんです
悪いことはしたくない
でも、その時の自分はそうしかできなかった
その時の考え方、それを作った環境、そのタイミング
そんなこと言うと
そんなの甘えやー
と思われるかもしれません
特に、自分は人に不義理はしたことないよ
自分の力で自分の道を切り開いてきたし
努力して来たしという人はそう思うでしょう
そういう人が親鸞の言うところの善人で
そういう人は、案外
自分を信じてはいるけれど
運命や神などの目に見えない
自分ではどうしようもない力を信じる事は苦手だったりして
だから、そのような神に帰依する事はやや苦手な人でさえ
極楽に行けるのだから
悪人のように神や運命などの目に見えない力を
信じてる人の方が、そこに行きやすいのですよ
と言ってます
だから、本当に自分の欲得ばかりを考えて
人はどうでも良いと思っている、根っからの悪人のことを
指して言っているのではないのだと思います
言葉の一人歩きですよね
親鸞はお坊さんなのに妻を持ったりして
異色だったから
余計誤解されたかもしれません
こういうのは
こないだも、紹介した
『東洋の哲人』って本に書いてあった事
この考えを知って
自分の過去の過ちを少し、許せる気持になりました
自分が悪いというのもあるけど
その時の環境のどこかが違っていたなら
そうなってなかったかもしれないからです
様々な要因が重なり合って
どうしても、その結果になってしまった
だから自分を許そうと思います
そして、自分を許すのと同じように
他者を許そうと強く感じました
今までも許したと思ってましたけど
本当に心から許せたような気持ちになりましたよ
他者を許そうと思うなら自分を許せば良いのですね
皆さんはどうですか?
悪いことってしたことありますか?
そして、その自分を許せそうですか?




























