パンプキン第七工業試作室 -4ページ目

パンプキン第七工業試作室

パンプキンヘッドによる試作と実験による可能性を模索するブログ

 

 注:この記事は2018年10月14日に掲載された自分のgooブログの記事を再掲しております。

 

 戦場には多数のアクト・モビルの残骸と、十数名の捕虜と、シャール達が残された。

「こいつら、どうします?」

 破壊された機体から這い出てきたパイロットたちを拘束したピーノがディーノに聞く。

「どうせこいつらは機体がなければなにもできないしな。適当に転がせておいて、最低限のサバイバル機材を残しておけばいいだろう」

 シャールに肩を貸してもらいながらディーノが応える。

 よく見るとディーノは左足から血を流し、足を引き摺っていた。

 足は明後日の方向に曲がり、たぶん折れているのが見て取れた。

 その怪我を心配そうな眼差しで見つめるシャールに、ディーノが声をかける。

「今日はよくやったな。いや、ここまでできるとは思っていなかったけどな」

 ディーノのあまりにも素直な賞賛の言葉を聞き、シャールは心が少し踊り、顔がほころぶ。

 でも……

「怪我、大丈夫……?」

 シャールはディーノに心配げに問いただす。

 これだけの怪我をしていては、痛みで気を失っても不思議ではないはずだ。

 だがディーノはニヤリと不敵に笑い、

「ふん。ガンバント人の頑強さをなめるなよ」

 鼻で笑うものの、多少痛みが走ったのか顔を歪ませる。

 そんな光景にふっと笑みがこぼれたシャールは、

「もう……そんな風だから、ディーノはダメなのよ」

「なにがダメなんだ? 少なくともシャールよりはしっかりしているつもりだがな!」

「もう! 私と比べたって……ん?」

 ディーノの憎まれ口にシャールが笑いながら言葉を返すが、ふとあることに気がついた。

「ねぇ……今、シャールって呼んだ?」

 するとディーノは、

「あぁ、シャールって呼んだが、なにか文句あるか?」

 不愛想に応える。

「う…ううん。でも、なんで?」

 シャールが不思議そうに尋ねる。

「もうお嬢呼ばわりはやめだ。お前は十分役目を果たせるようになったからな。だから、シャールって呼んでやるよ!」

「もう……やっぱりなんか偉そうじゃない!」

 ぶっきらぼうに応えるディーノに、シャールも口をとがらせて抗議する。



 でも……



「とりあえず機体を修理して、どうにか今晩中にベルキドの街に到着するぞ!」

 ディーノが足を引き引き宣言する。

 それに応えるようにピーノやピチュアの動きが慌ただしくなった。

『まぁ、いいか……』

 ちょっと自分が思っていたのとは違う形でディーノに認められたが、今のシャールにはそれでもよかった。

 自分はやっぱりディーノには追いつけないし、並んでは歩けないかもしれない。

 でも、その後ろ姿を見続けるのも悪くない。

 だって、いつまでも一緒にいられるんだもの。

 そんな暖かな思いが、シャールの心に芽生えていた。

 

 <第七章:微笑へ>

 

 注:この記事は2018年10月14日に掲載された自分のgooブログの記事を再掲しております。

 

『しっかりしろ! まだお嬢のオストリッチはやられちゃいないんだ! ここで踏ん張って、なんとかやり切れ!』

 ヘッドセットから流れるディーノの言葉。

 やや苦しい息遣いから、もしかしたら怪我をしているのかも、と思わせる、そんな痛みさえ感じさせる声。

「で、でも……相手はフルゴーヴァよ……オストリッチじゃ勝負には……」

『馬鹿野郎! 人間やってみなきゃわからないんだ! たとえ無理だと思っても、やってみなけりゃわからないんだよ! もしここでやらずに諦めたら、お嬢、お前はもうお終いなんだぞ! いや、お嬢だけじゃない! 俺やピーノや小母さんもお終いなんだ! やらずに後悔するよりも、同じ後悔をするんなら、やってから後悔しろ! だからお前はお嬢なんだ! 悔しかったら、さっさと行動に移してみろ!』

 オドオドしているシャールを叱咤するディーノ。



 その言葉にシャールは息が詰まる。

 それは今までのシャールを、そして今この時のシャールの心を深く、そして鋭くえぐった。

 手紙とプレゼントを渡そうとして渡せなかったあの日。

 好きという一言が言えずに逃げ帰ったあの夜。

 そして、今……

『私は、いつも……いつも後悔ばかりしてた……』

 シャールは暗く沈む心の奥底で膝を抱えて縮こまっている自分を見る思いがした。

 なにもできずに泣き続けてきた自分の後姿を。

『もう……嫌だよ……』

 瞳を伏せ、シャールは思う。

 だが、彼女はフルゴーヴァへの恐怖に立ちすくむばかりで身動きが取れない。

 あんなの相手にできるわけがない……

 そんな気持ちに囚われていた、その時……



「アイ・ファヴ・コントロール!」

「……え?」

 前の座席より声がした。

 それはピチュアの声だった。

 静かな、しかし決意がこもった決然とした声。

 シャールは一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「お嬢様、コントロールを私にください。このままではやられてしまいます」

 ピチュアの冷静な声。しかしシャールはとり乱し、

「ダメよ! ピチュアは正規の訓練を受けてないわ! 戦闘なんて無理よ!」

 しかしピチュアは、

「お嬢様ができないのでしたら、私がやるしかありません。ここにはお嬢様と私しかいないのですから」

 その言葉にシャールは言葉を飲む。

「絶対にお嬢様には手出しさせません!」

 ピチュアの気迫に圧され、シャールは操縦桿から手を放す。すでにコントロールはピチュアに移っていた。

 ピチュアは操縦桿に力をかける。

 すると転倒していたオストリッチは足を交互に動かし姿勢制御に移り、やがて立ち上がる。

「ふん! まだ動くか。そうでなくては面白くねぇや!」

 外部スピーカーを通じてヴァルダークの声が響く。

 ヴァルダークは、この状況を嗜虐的に楽しんでいる。

「いきますよ!」

 ピチュアが叫ぶ。走り出すオストリッチ!

 しかし……

「あめぇよ!」

 フルゴーヴァがその強大な腕を振るう! 巻き起こる衝撃波!

 それは走り出したオストリッチのボディを再び打ちつけ、再び転倒させる!

「ま、まだまだ!」

 ピチュアが負けずに再び操縦桿に力をかける。起き上がるオストリッチ!

「ふん。けっこうしぶてぇな!」

 ヴァルダークの軽口と共に再びフルゴーヴァは腕を振るう! 衝撃波がまたオストリッチを襲う!

 だが、今度はそれをピチュアがうまく避ける。

 そして再び走り始める。

 今度こそ、ここを抜ける!

「お嬢様! 絶対にお守りします! そして任務も果たすんです!」

 ピチュアがいつもの穏やかな態度を捨てて叫ぶ。

「私ね、ずっと以前子供がいたんです。お嬢様のところに来る前に」

 駆け抜けようとするオストリッチをフルゴーヴァが遮る。急いで方向転換をするオストリッチ。

「でもね、流行病でね……そのとき、私たち夫婦はひどく落ち込んだんですよ」

 再びフルゴーヴァが放った衝撃波がオストリッチを襲う! すんでで避けるピチュア!

「旦那はまたやり直そうといいました……でもね、私はその時なにも返すことができなかった……」

 再びフルゴーヴァの脇をすり抜けようとするオストリッチを、今度はフルゴーヴァの蹴りが見舞う。

 周囲の土と共に軽い衝撃がボディを襲い、後方に飛ばされるオストリッチ。

 すかさず姿勢制御を試みるピチュア。

「あの時、もし私がなにか言葉を返していれば、私たちは終わってなかったかもしれないって、今も思いますよ」

 ややフルゴーヴァとの距離が開いたために、オストリッチは体制を整える。

 それを予測していたのか、大きく腕を振り回すモーションをとるフルゴーヴァ。

「だから、お嬢様には私のような思いをしてほしくないんです! もしもあの時、なんて、まだお若いお嬢様には早すぎます!」

 ピチュアのその一言と共に一気に走り出すオストリッチ!

 それ目がけて、振り回した腕から衝撃波を発するフルゴーヴァ!

「お嬢様! いきますよ!」

 襲い掛かる衝撃波を避けようと、一気に跳躍するオストリッチ!



 だが……



 激しい気流の塊がオストリッチのボディに激しく叩きつけられる。

 幾つかの外部パーツを散乱させながら、地面に派手な音と共に叩きつけられるオストリッチ。

 激しい衝撃がコクピットを襲う!



「……痛っ……お嬢様、すみません……」

 シートベルトで抑えられてはいるが、しこたまシートに体を打ちつけられたピチュアが涙声で呻く。

「私の腕では……やっぱり……」

「……アイ・ファヴ・コントロール……」

「……え?」

 ピチュアはいきなりの声に言葉を失う。だが……

「やっぱりピチュアには無理よ……私じゃないとね。私は、私の戦いをしないとね……」

「お嬢様……」

「ディーノも言っていたものね。後悔するんなら、やらずに後悔するよりやってから後悔しろって。それもそうよね……」

「お嬢様!」

 シャールの言葉にピチュアの顔が輝く。

「だから……アイ・ファヴ・コントロール!」

「はい! ユー・ファヴ・コントロール!」

 その一言と共に、オストリッチの操縦は再びシャールの手に戻る。

 そして、オストリッチのカメラに一筋の光が走った。



 操縦桿を握るシャール。

 だが、彼女自身もこれからどうすればいいのかはわからなかった。

 このまま突っ切ると、フルゴーヴァの放つ衝撃波を後ろから受ける危険性もある……

 そこに、ディーノから通信が入る。

『お嬢、無事か? 意識はあるか?』

 ディーノらしからぬ心配した声。

 その自分を心配する声に、シャールは少し嬉しくなったが気を引き締めて応える。

「ええ、なんとかね」

『こうもあいつのペースに振り回されるとはな……』

「でも、私もオストリッチもまだまだいけるわ!」

 シャールの声に、ヘッドセットの向こう側から小さな笑い声が漏れる。

『さっきの弱気はどこにいった? まぁ、いい。これからのことだが、やれるか?』

「条件次第なら……なんて悠長なことも言ってられないわよね」

『その通りだ』

「で、どうすればいいの?」

 シャールは言葉を切る。

 これからディーノの語る答えは、アドバイスではない。実行しなければならない命令なのだ。

『お嬢のオストリッチはあと何回も攻撃に耐えられないだろう。だから、もう逃げるのは無理だ』

「で?」

『だから、ここは攻めに向かう! あいつを倒すんだ』

 その一言をシャールは予測していたが、その実行が難しいことも知っていた。

 ディーノは続ける。

『オストリッチの最大の特徴はその足にある。走って走って走り回って、あいつをかき乱せ! その中に勝機がある』

「でもそれだけじゃ勝てないわよ?」

 シャールの問いにディーノがフッと笑い声を含ませ、

『お嬢、お前、俺が前に言ったことを忘れたか? オストリッチで正面から挑むのは馬鹿のやることだ。だったら、やれることは一つだけだろ?』

 ディーノの答えに、シャールも不敵な笑みを浮かべた。



「ん……まだ動くのか?」

 今さっきその衝撃波で破壊されたと思ったオストリッチが再び動き始める気配を感じたヴァルダークは意外そうな声を漏らす。

 フルゴーヴァの衝撃波を何回も食らって生き延びられる機体はそう多くはない。それが小型アクト・モビルであればなおさらだった。

「まぁ、いいか……今度こそバラバラにしてやる」

 獣にも似た残忍な笑みを浮かべ、ヴァルダークは再びフルゴーヴァに衝撃波を発するように指令を送る。

 その巨体が再び右腕を後ろに回し、そして一気を振り回す!

 その風圧の中から発せさられた衝撃波が、起き上がったばかりのオストリッチに襲い掛かる!

 だが……

「なに?」

 ヴァルダークは今自分が目にした光景を疑った。

 確かに衝撃波はオストリッチを捉えたはずだった。

 だがオストリッチはすでにそこにはなく、軽快なステップを踏み、衝撃波をかわしていた。

「馬鹿な……命中していたはずだ!」

 ヴァルダークが舌打ちする。

『まぐれだ……今度こそは……』

 喉元になにか不純物を流されたような感覚。

 そんな思いがヴァルダークを襲う。

 そして再びモーションをとるフルゴーヴァ!

 だが……

 オストリッチが急速にスピードを上げて突進してくる!

 それは先ほどの脇を抜けようという動きではない。

 それは、攻撃的姿勢を顕わにした動きだった。

『まさか……小型アクト・モビルが大型を相手に挑むだと……』

 ヴァルダークは心の中で毒づきながら、再び衝撃波を放つ!

 それはオストリッチの外壁をかすめた。

 いや、正確には、当たるはずだった衝撃波を、オストリッチがすんでで避けたのだ!

『ち……違う……さっきの奴の動きじゃねぇ!』

 脂汗を流しつつ、ヴァルダークが心の中で呻く。

 だがオストリッチはさらに加速する。

 その動きはフルゴーヴァを中心に大きく回り、その背後をとろうという動きに見えた。

 ヴァルダークもそれに気づきはしたが、旋回しながら攻撃するには、フルゴーヴァは重く、そして鈍すぎた。

「チィィィィィィィィィィィィィィィィ!」

 外部スピーカーから流れていることも忘れ、盛大に舌打ちを漏らすヴァルダーク!

 その声に反応するかのように、オストリッチはさらに後ろへ、後ろへと回り込む。

「やらせるかよぉぉぉぉぉぉ!」

 ヴァルダークはすでに焦り始めていた。



『だが俺は無傷だ。致命的な攻撃でも受けなければ、俺はやられはしねぇんだよ!』



 心の中で、そう自分に言い聞かせる。だが……

 突如フルゴーヴァを衝撃が襲う!

 ヴァルダークはとっさに外部モニターを見る。

 そこには、先ほど倒したはずのブールタックが起き上がり、フルゴーヴァへと衝撃波を繰り出していた!

「こぉぉぉうのぉぉぉ死にぞこないがぁぁぁぁぁぁぁ!」

 声を上げるヴァルターク。そして注意がそれる!



『今だ! いけ、シャール!』



 ヘッドセットから流れるディーノの声。

 オストリッチは、その距離を一気につめた!

「獲ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 コクピットの中に響き渡るシャールの声。

 その声と共にオストリッチは高く跳躍し、フルゴーヴァの背部にある排熱ダクトの高さまで、跳ぶ!

 そして、そこにありったけのビームバルカンの閃光を撃ちこんだ!

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!

 低い発信音と共にフルゴーヴァの排熱ダクトを破壊するビーム弾! 次々と弾ける排熱ダクト!

 

 そして……

 フルゴーヴァは数歩歩きはしたが、背中に搭載したバッテリーが排熱ができなくなったために熱暴走をはじめ、そして臨界に達したそれは派手に爆発した!

 前のめりで倒れるように膝をつくフルゴーヴァ。

 やがて、この戦いが終わったことを告げるように、一陣の風が走り、赤い夕陽が周囲を鮮やかな緋色に染めた。

 <第六章:シャールへ>

 

 注:この記事は2018年10月14日に掲載された自分のgooブログの記事を再掲しております。

 

 その日からだったかもしれない。

 今まであれほど呼ばれて嬉しかった お嬢”の愛称が、これほどまでに屈辱的に聞こえるようになったのは。

『私は、結局お嬢なんだ……一人の女として、いえ、一人前にすら、ディーノには思われていないんだ……』

 それ以来、彼女はディーノがお嬢と言うたびに噛みついた。

「私をお嬢と呼ぶの、やめてって言ってるでしょ!」

 それは児戯にも似た、ただの意地っ張りでしかないことはわかっていたが、彼女には抑えきれなかった。

 それを聞いたディーノは困惑し、周りの人々も、なぜシャールが突然ディーノに噛みつくようになったのかは理解できなかった。

 そんな自分をシャールも嫌いだった。

 ディーノに辛く当たる自分に腹が立ち、そしてなおさら悲しく惨めになった。

 ただ、彼女にもどうすればいいのかわからなかった。



『この丘を抜ければ、ベルキドまでは平原で半日だ。なんとか突っ切るぞ!』

 すでに日も午後の角度に傾き、少し指す日差しが柔らかくなってきた頃、ヘッドセットよりディーノの声が聞こえてくる。

「お嬢様、もう少しで任務終了ですよ」

 前の座席のピチュアが声をかける。

「ええ、そのようね。でも……」

 そう。でも、だ。

 二日前に会った、あのパイロットの一言が気になった。

 ヴァルダーク。

 あのディーノですら、嫌悪の情を露わにする人物が、今の今までなんの手も打ってきていない。

 シャールは考えを巡らせた。

『もしこのまま私たちをベルキドに入らせたら任務失敗だわ。そんなことをさせるとは思えない。だったら私たちが疲れてきている今を襲うのが一番……』

 そこまで考えて、シャールは急いでディーノに連絡をつけようとしたその刹那、

「お嬢様、前方の丘にレーダー反応!」

 ピチュアが緊張した声音で言葉を発する。

 シャールもレーダー画面に目を落とす。

 そこには多数の輝点が、その数10を超える輝点が、彼女たちが今から向かうであろう丘で輝いていた!

「こ……これって……!」

 シャールは言葉を失う。これが全てアクト・モビルだとしたら、ここを突破するのは……

『……ヴァルダークの奴、俺たちのルートを予測して待ち伏せしていたか……ふん、疲れているところを一気にやるつもりだな』

 ヘッドセットよりディーノの声が低く響く。それは唸り声のようにも感じられるほど、殺気のこもった声だった。

「ど、どうするの?」

 シャールは震えた声で聞き返す。

 こんな大規模な戦闘なんてまだ経験したことがない。でもこのまま進むと……

 だがディーノの声は落ち着いていた。

『お嬢はこのまま突っ切れ。なに、これだけのアクト・モビルなんてそうそう揃えられるものじゃない。大半が小型アクト・モビルだろうよ。それよりも……』

「それよりも、なに?」

『ヴァルダークの奴だ。奴だけは違う。奴の愛機は大型アクト・モビルの“フルゴーヴァ”だ。まともにやりあったんじゃ、ブールタックだってただではすまない』

「じゃあ、どうするのよ!」

 シャールはこの馴れない状況にやや動揺して声を上げる。それをディーノは静かにいなした。

『貨物をお嬢のオストリッチに移す。それを持ってお嬢は行くんだ』

 ディーノの冷静な言葉にシャールは、

「でも、あのアクト・モビルの群れをどうすれば……」

『突っ切るんだ! たとえ誰かがやられても、な』

「そんな……もしピーノやディーノがやられたら?」

『それでも突っ切れ。俺たちのことは気にするな。任務が重要だ。その道は俺たちが切り開いてやる。だからお嬢、お前だけでも突っ切れ!』

 ディーノの決意のこもった言葉に、シャールは黙り込んだ。

『ダメだよ……こんなこと想像してなかったもの……私だけで突っ切るなんて……』

 そんな逡巡がシャールの心の中で渦巻いていた。



 貨物の移し替えはディーノとピーノ、それにピチュアの手助けでそつなく行われた。

「じゃあ小母さん、お嬢のこと、頼んだぜ!」

 ブールタックに戻るディーノの一言。それをただ遠くから聞いていたシャールには、それがまるで別れの言葉のように感じられた。

「じゃぁ、俺たち先行していくっすよ! 大丈夫! ディーノの兄貴とブールタックがあれば、あの程度の敵どうってことないっすよ!」

 ピーノが陽気に軽口を叩く。

 確かにこの二人はここ数年チームを組んで仕事に当たってきた。こんな事態だって、一度や二度ではないのだろう。

 ただこの数と、そして背後に控える大型アクト・モビルの存在は脅威ではあるのかもしれない。

 だからこそ二人は、敢えて陽気に別れを告げたのだ。

 起動するブールタックと、ピーノのオストリッチ。

 その後ろ姿をシャールは見送る。

『結局私はお嬢なんだ……一緒には行けないんだ……』

 そんな悲しみにも似た感情が、シャールの心を満たしていた。



「ふん。ノコノコやってきたか……」

 丘の頂上付近に陣取る20mの巨大な威容を誇る大型アクト・モビル“フルゴーヴァ”の頭部にあるコクピットハッチすぐ横の装甲に、仁王立ちしている三十半ばの巨漢で禿頭、顔に派手な傷跡がある男が、残忍で狡猾な笑みを浮かべて、そううそぶく。

「ヴァルダーク様、事前の情報とは違い二機だけですが、どうしますか?」

 コクピットの中より声が聞こえる。するとヴァルダークと呼ばれた禿頭の男は、

「機体トラブルか、それとも一機だけ別ルートか……どちらにせよこの丘を抜けなければベルキドには行けねぇぞ! あとの一機もノコノコやってきたら血祭よ!」

 にやけた笑いを浮かべ、コクピットの乗員に外部スピーカーのマイクを催促するヴァルダーク。

 そして手渡されたマイクに向かい、

「野郎ども! 今からくるディーノって奴ぁ、強い! ハッキリ言ってブールタックだってメチャクチャ強い! だがなぁ、俺たちはそれ以上に強い! どんな卑怯な手段でもいい! 勝てば正義よ! お前等のオストリッチやダグタックでは一機では立ち向かえなくても数で押せば倒せるんだ! だから野郎ども! 一機や二機がやられたからって怖気づくんじゃねぇぞ! 俺たちゃ数で勝ってんだからな! 勝利は俺たちにある! 今夜は、美味い酒と女を浴びるほど楽しめるぜぃ!!」

 スピーカーの音源も割れんかというほどの咆哮を放ち、それに呼応するように、彼の眼下に点在する小型アクト・モビルの開けられたコクピットより身を乗り出していたパイロットたちが歓声を上げる。

「よぉぉぉぉぉしぃぃ! 野郎ども! パーティーの始まりだぁぁぁぁ!」

 

 ヴァルダークの声を皮切りに、次々と起動するアクト・モビルたち。そして、フルゴーヴァも起動した!



『な、なんなんすか、さっきの声?』

 ディーノのヘッドセットにピーノの声が響く。

 ディーノにしても先ほどの声は聞いていた。

「ヴァルダークの演説だろう。あいつはああやって手下を鼓舞するんだ。有名な話だよ」

 ディーノのブールタックはすでに前方に点在している小型アクト・モビルの群れを視認できる距離まで前進していた。

『数にしてオストリッチ六機に通常型ダグダック四機、射撃型ダグダックが二機か』

 ディーノはモニターの映像とキャノピーから見える敵影を交互に見ながら、冷静に敵戦力を分析する。

『そして、頂上付近にフルゴーヴァ一機……』

 ディーノは舌打ちする。

 たとえ距離が離れていても、フルゴーヴァがその巨大な腕を一振りした時に発せられる衝撃波で、万が一にでも機体が破損する危険性がある。

 だったら、ここはフルゴーヴァが接近する前に、小型アクト・モビルたちを倒さなければ。

 ディーノはそう覚悟を決めて、アクセルを踏み込んだ。

 加速するブールタック。それに遅れまいと続くピーノのオストリッチ。

 敵のオストリッチやダグタックも前進してくる。

 敵は包囲しようとして広く、鶴翼の陣形をとろうとしていたが、それを見てとったディーノは右翼の前進するオストリッチに狙いを定めさらに加速する。

 突然ブールタックが自分の方に向かってきたことを悟ったオストリッチは、ヴァルダークの言葉に従わずただ一機で応戦する。

 しかし放ったビームはことごとく交わされ、接近を許し、その頭部にブールタックの巨大な拳の一撃を受け転倒する。そこにさらに一撃。

 それでもまだ立とうともがくが、今度は頭を完全に踏み潰されてその機能を停止させる。

 まずは一機。

 だが、そうしている最中にも包囲陣は狭まる。

 右翼を形成していたもう二機のオストリッチがブールタックに襲い掛かる。

 致命傷にはならなかったが、幾筋かのビームが機体を傷つける。

 だが、まだまだ戦える。

『兄貴、援護します!』

 ピーノの熱気のこもった声。

 襲ってきたオストリッチに振り向きざま大きく腕を振り、その腕をオストリッチのボディにめり込ませる。

 奇妙な、まるで人の悲鳴にも似た甲高い音を立てて、幾つものパーツを散乱させながら吹き飛ばされるオストリッチ。

 さらにそこにピーノのオストリッチがビームで追い打ちをかける!

 吹き飛ばされて転倒しているオストリッチの始末をピーノに任せ、ブールタックはもう一機のオストリッチに向かう。

 そのオストリッチは怖気づいていた。数歩後ろに下がり、戦意は下がりつつあった。

 そして後ろに振り向いて逃げようとしたタイミングを狙い余さず、その排熱ダクトを粉砕する!

 突然排熱できなくなったオストリッチのバッテリーは過熱し、派手な爆発を上げて、そのまま数歩歩くと、ガクッと前のめりに覺坐し、停止した。

 これで三機。

 だがその間にも包囲陣はさらに狭まり、左翼に展開していたものたちが砲撃を開始してきている。

 そして足が遅いためにオストリッチよりも遅れてきたダグダック達も参戦し、事態はより混沌とした、乱戦の様相を呈してくる。

 ブールタックはその渦中にありながら、徐々にだが傷ついていく。

 そしてピーノのオストリッチも……

 だが、ディーノとピーノの奮戦によって、敵も徐々に減らされていき、今ではすでに五機を切っていた。



『今だ! こい、お嬢!』

 いきなりヘッドセットよりディーノの声が響いたので、シャールはビクン、と体を震わせた。

「お嬢様、ディーノさんからの出撃要請です」

「わ、わかってるわよ……行けばいいんでしょ……」

 シャールは小さく応える。

 今頃、あの丘ではディーノ達が死闘を演じている。

 でも、私は……

 シャールのオストリッチが起動する。

 そして足早に丘に向かう。



 そこではすでに動いているアクト・モビルは三機に減っていた。

 一機はディーノのブールタック、もう一機は敵のオストリッチ、そして最後は、ヴァルダークのフルゴーヴァ。

「ピーノは? ねぇ、ピーノ!」

 シャールはピーノの機体が見えないのが心配になりマイクに叫ぶ! するとヘッドセットから、

『す、すんません、お嬢様……俺の機体、足がやられて横倒しになったまま動けなくて……』

 ピーノの声が聞こえる。申し訳なさそうだが苦しそうには聞えないので、怪我はしていないのだろう。

 ホッとするシャールの眼前で、ブールダックが最後のオストリッチを倒す。

『これで抜けれる!』

 シャールは心は喜びに沸く。

 だが次の瞬間、傷ついたブールタックが突如何者かに吹き飛ばされる光景が、外部モニターに映し出された。

 それは、フルゴーヴァ以外にはありえなかった。

「ハッ! ノコノコここまで来てくれてご苦労様だったなぁ! これだけの数を擁していれば、お前のブールタックでもただではすまないと思っていたぜぃ! それなのにまさかたったの二機で突っ切るとか、馬鹿か、オメェ? まぁ、いいさ。俺様の考え通り、お前は俺様の可愛い手下たちの活躍のおかげでボロボロよ!
 俺様は、そんなお前がこの丘までたどり着いたところを、無傷な状態でサクッと料理する。どうよ! 俺様って頭いいだろう? それなのにノコノコやってくるたぁ、オメェは本当に馬鹿だな!」

 外部スピーカーを通じて流されるヴァルダークの声。

 その野卑た声に、シャールも嫌悪の情を抱いたが、それよりも今は吹き飛ばされたブールタックのディーノの方が心配だった。急いでブールタックの方を見る。

 そこには、機体各所に被弾した跡があるものの、まだ致命傷には至っていないブールタックの姿があった。

 長い手足を器用に動かし、体勢を立て直そうとしているが、そこにさらにフルゴーヴァが一撃を見舞う!

「どうよぉ! 俺様の手下たちの痛み、今自分で味わってみてよぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ゲラゲラと、スピーカー越しにヴァルダークの下卑た笑い声が聞こえる。

「さぁて、こいつの始末はあとでつけるとして、あとはこのちっこいオストリッチだけかぁ?」

 フルゴーヴァの向きがシャールのオストリッチに向く。

 シャールは戦慄にも似た恐怖に怖気づき、咄嗟に動きをとることもできずに凍えつく。

「じゃぁ、こいつも血祭りにあげちまうかぁぁぁぁ!」

 その一言と共にフルゴーヴァは巨大な腕を振るい、衝撃波を発生させる。

 まだ距離が離れているというのに、その衝撃波はシャールのオストリッチの外壁をしこたま打ちつけ、そのまま後方に吹き飛ばす。

「なんだぁ? まともに避けることもしねぇのかよ? つまんねぇなぁ! せいぜいオモチャなら楽しませてくれねぇとなぁ」

 そう言うと重い足音を響かせて接近するフルゴーヴァ。

 だがシャールはなにもできなかった。

『やっぱり私はお嬢だ……なにも、なにもできないんだ』

 そう思ったその刹那、ヘッドセットより声が響いた。

 <第五章:決意へ>

 

 注:この記事は2018年10月14日に掲載された自分のgooブログの記事を再掲しております。

 

「命というものは、いつかは尽きてしまう。だから、今一瞬を大切に生きるんだ。やらないで後悔するより、やって後悔すればいい。もしお嬢が、ああしておけばよかった、と、後々になって後悔するんなら、今できるうちにやっておけばいい」

 静かで、それでいて暖かな言葉、そして何ものをも包み込んでしまう大きな手。

 今まで大切に飼っていたペットが死んだとき、彼がかけてくれた優しい言葉。

 シャールは目に涙を浮かべながら、彼を見上げる。

 彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。

 目には慈しみを感じさせる光が宿り、それはシャールのことを愛していることを表していた。

 シャールは、彼の胸に飛び込んで泣いた。

 泣いて泣いて泣き続けた。

 そして彼に今まで感じたことがない気持ちが、シャールの心の中に小さく、そして確かに、芽生えていった。



『お嬢! なにぼさっとしている!』

 ヘッドセットのスピーカー越しに聞えてくるディーノの声。

 その声に現実に引き戻されて、シャールはハッとなる。

「お嬢様、やや軌道がずれて、ディーノさんたちから離れています」

 前の座席よりピチュアが声をかける。

「わ、わかってます。ちゃんとするわよ……」

 シャールは気持ちを立て直し応える。

 彼女の乗るオストリッチは、ややディーノたちとは離れていたが、すぐに軌道を元に戻し合流する。

『結局私はお嬢なんだ……シャールって呼ばれないんだ……』

 そんなことを思いながら、操縦桿を握りなおす。

 オストリッチはそんなシャールの心に反応したのか、少しディーノのブールタックに並ぶ。

 だがすぐに追い越され、その後ろ姿しか見えなくなる。

『結局、私は並んでは歩けないんだ……』

 そんな思いがシャールの心に重く影を落とした。

 彼女は、いつも前を行くブールタックの後姿を恨めしく睨みつけた。

 その日も、空には雲ひとつ浮かんでおらず晴れ渡っていた。

 だがそれとは裏腹に、彼女の心には憂鬱という名の黒雲が、暗く覆いかぶさっていった。



「ディーノ! 今度私に操縦を教えてよ!」

 それはシャールがディーノの元に遊びに来るようになってから数か月した時のことだった。

 差し入れのお菓子をほおばるディーノに向かって満面の笑みを浮かべながら、シャールは必死に懇願した。

「う……う~ん……それは、どうかなぁ……」

 ディーノの返事はあまり芳しくない。

 それもそうだ。

 まだ10歳ちょっとの女の子に、重機械の操縦は早すぎる。

 そんな思いが彼の口を重くする。

「え~! いいじゃない! 私だってあのコーカサックを操縦したい!」

 シャールは目をキラキラさせながら懇願する。

 その熱意に根負けしたディーノは、

「まぁ、操縦って程じゃないけど、操縦桿くらいなら握らせてやるよ」

「うん! ありがとう!」

 困ったように答えるディーノと、対照的にニコニコ顔のシャール。

 そして二人はコーカサックのコクピットの中で、アクト・モビルの操縦の真似事をはじめた。

「そうじゃない。もうちょっとレバーを緩めるんだ」

「こ、こう?」

 覚束無い調子でレバーを握るシャールに、ディーノは丁寧にレクチャーする。

 パイロットシートに座るシャールはまだ小さく、足もアクセルペダルにはかからない。

 だがそれでも嬉しかった。

 ディーノの傍でアクト・モビルの練習ができる!

 それだけで彼女は満足だった。

「アクト・モビルの操縦は楽しいか?」

「うん! とっても!」

 ディーノの問いかけに、シャールは笑顔で応える。

 本当はアクト・モビルの操縦なんてどうでもよかった。

 ディーノと一緒にいられるのが嬉しかった。

 そんな昔のことを思い出して、シャールはため息をついた。

『どうしてこうなっちゃったのかしら……あの頃は凄く楽しかったのに……』

 彼女はモニター越しに映るブールタックの後姿を見つめ、そんな思いに浸っていた。

 でも、彼女は知っていた。

 あの時、彼女が泣いていた時、ディーノの優しさが彼女を変えたということを。



 それは彼女が12歳の時だ。

 彼女の大切に飼っていたペットのウサギが死んだ。

 すでに歳を重ね、老衰だった。

 それは避けようのない運命だった。

 その小さく冷たくなった躯を抱いて、彼女は泣いた。

 あの時、もっと可愛がっておけばよかった。

 もっと大切に、そしてもっと一緒にいてあげられればよかった。

 そんな後悔にも似た念が彼女の胸に去来した。

 そんな彼女を見かねたディーノは、静かに声をかけた。

「命というものは、いつかは尽きてしまう。だから、今一瞬を大切に生きるんだ。やらないで後悔するより、やって後悔すればいい。もしお嬢が、ああしておけばよかった、と、後々になって後悔するんなら、今できるうちにやっておけばいい」

 ディーノの静かな、そして優しい言葉。

 ディーノを見上げたシャールは、彼の優しい微笑みを見つめて、さらに涙が出た。

 ディーノはそんなシャールを、ただ優しく抱きとめた。

 シャールはその大きな胸の中で、ひたすら泣いた。

 もうこれ以上何も失いたくない。

 シャールはそんな思いでひたすら泣いた。

 ディーノは、シャールをただ静かに抱きしめていた。

 そしてシャールは、静かな寝息を立て眠りに落ちた。



 ディーノへの特別な感情が、その時シャールの心の中に芽生えたのかもしれない。



 それから彼女は、ガレージを訪れてはディーノの姿を探し、そして彼を目で追った。

 だが、今までのように気安く声をかけようとはしなかった。

 ディーノがアクト・モビルの整備をしている姿を、アクト・モビルから降りてくる姿を、そして気安く仲間たちと談笑する姿を目で追いはしたが、前のように一緒になって騒ぐことはできなかった。

 ただ、彼の姿を見ているだけで満足だった。

「お嬢、親父さんの許可も出たんで、アクト・モビルの訓練、今度からつけてやるよ」

 13歳の時、ディーノがアクト・モビルの訓練を買って出てくれた。

 それはジェイルからのたっての要請でもあった。いずれ会社を継ぐ娘が、アクト・モビルの操縦を学ぶことは決してマイナスにはならない。

 そう判断したジェイルは、ディーノに頼んでシャールに訓練を施すことにした。

「う、うん……お父様のお願いなら仕方ないわね」

 ちょっとはにかみながら、そして不承不承の態をとりながらも、シャールの心は躍っていた。

 ディーノの傍にいられる!

 そんな思いが、彼女の心を湧き立たせていた。

 それから彼女はアクト・モビルの訓練を学校の勉強の合間に習った。

 彼女の身長や体力では、到底10m級のコーカサックを操ることはできず、その代り5m級のオストリッチを使った訓練が施された。

 そして彼女はそれによく応え、彼女は少しはオストリッチの操縦もできるようになっていった。

 ディーノは彼女の上達を喜んだ。

 そんなディーノを見て、シャールも幸せだった。



 そして彼女が15歳を迎えた時のことだ。

 シャールはディーノの誕生日に、プレゼントをすることを考えた。

 とっておきの、恋人たちが交わすようなプレゼントを、彼女はなけなしの小遣いで用意した。

 そして不器用ながらも想いの丈をつづった手紙を添えて、ディーノを公園に呼び出した。

 彼女は一息吸って、ディーノに話しかけた。

「あ、あのね、今日、ディーノの誕生日でしょ? だから、わ、私ね……」

 プレゼントと手紙を後ろ手に持ちながら、シャールは声をかける。

 ディーノを真っ直ぐに見ることもできず、俯き加減で、その声は小さく、あまりはっきり喋れない。

 のどは乾き、鼓動も早まる。

『しっかり! ここが一番大事なとこなんだから!』

 シャールは心の中で自分にエールを送る。

 そして意を決して、ディーノを見た。

「あのね!」

 だがディーノは、彼女の予想に反して、なにか慌ただしそうだった。

「どうか……したの?」

 シャールはいぶかしんで聞いてみた。

 ディーノは応えた。

「いや、これから人と会うんでな。急いでるんだ」

 その表情は急いでいるという言葉とは裏腹に、ちょっと嬉しそうだった。

 シャールは、ふと嫌な予感がして聞いてみた。

「それって……女の人……?」

 するとディーノは、ちょっと慌てたように、でも嬉しさを隠しきれず、

「バッカ、そんなんじゃぁ! いや、まぁ、そうなんだけどさぁ!」

 細面のオオカミのような顔がクシャっとなって、愛らしさすら感じさせる笑顔に変る。

 だが、それとは逆にシャールの表情に影が差す。

「だから、ちょっと時間がないんだよ! ゴメンな、お嬢。用事はまた今度だ!」

 そう一言残すと、ディーノはその場をそそくさと後にした。

 あとには、プレゼントと手紙を持ったまま、沈痛な面持ちで立ち尽くすシャールが残された。

 どうにもやりきれない思いがシャールの心を覆い、一生懸命書いた手紙に力が入り、クシャ、という音とともに、それは無残にも握りつぶされた。



 それから数か月後、ディーノが彼女を食事に誘いたいと言ってきた。

 話したいことがあるんだ、と。

「私に話って……?」

 シャールは少し期待した。

 もしかしたら、この前の人とはうまくいかなかったのかな?

 そんな一筋の希望の光が彼女の心の中に差し込んだ。

「うん。まぁ、お嬢には話しておきたいんだ」

 ディーノの落ち着いた声に、シャールは少し心が躍る。

「ま、まぁ、いいわよ。で、いつ?」

 ちょっとポーズをとってシャールは答える。この前の気持ちを少しでもディーノにわからせてあげないと!

「明後日の夜だよ。俺の部屋に来てくれ」

「え? ディーノの部屋に……?」

 ちょっと意外な言葉にシャールは思わず躊躇する。

 いきなり部屋に呼ばれるとは思ってもいなかった。

 だって、私たちまだそんな関係じゃないし……

 しかしそんなシャールの想いを知らずに、

「じゃぁ、伝えたからな。必ず来てくれよ」

 そう言うとディーノその場を立ち去る。

 あとには、ちょっと頬を赤らめたシャールが残された。

『どうしよう……いきなり部屋に呼ばれちゃった……』

 そんな複雑な思いとは別に、彼女の心は躍っていた。

 そして二日後、彼女はおめかししてディーノの部屋を訪れた。



「やぁ、よく来たな!」

 ディーノは笑顔でドアを開けてくれた。

 シャールは満面の笑みを浮かべて応えようとしたとき、

「この方が、社長さんのお嬢さん?」

 聞きなれない声が聞こえる。

 シャールはディーノの後ろを見た。

 そこには、一人の女性が立っていた。

 身長はやや高く、そしてスレンダーだが出るところは出た均衡のとれたスタイルを黒のドレスで包み、、ロングの黒髪で覆われた顔は、まるでシネマムービーの中に出てきそうな女優を思わせた。

 頭の両脇にはキツネにも似た耳がちょこんと立ち、彼女がガンバント人の女性であることはみてとれた。

 シャールは、嫌な予感がしながらも聞いてみた。

「……誰?」

 するとディーノは満面の笑顔で応える。

「俺の彼女のフィーリア。こっちは、俺の勤め先の、ほら以前から話していたお転婆のお嬢のシャール」

「そう。初めまして。私、ディーノとお付き合いさせてもらっているフィーリアと言います。そう、あなたがよくディーノが話していたシャールさん」

 フィーリアと呼ばれた女性は丁寧にお辞儀をし、シャールに自己紹介をする。

 鈴を鳴らしたような上品な声に、おっとりとした口調。

 仕草も気品が漂い、シャールのような子供っぽさもない。

 シャールは少し劣等感を感じた。

「それよりさっさと中に入れよ。飯の支度はできてるんだ」

 ディーノがシャールを中に入るように促す。

「……う、うん……」

 シャールはすこし躊躇したが、今ここで帰るのも変に思われるので、少し勇気を出して中に入る。

 このまま帰ったら悔しい、という思いもあった。

 部屋のダイニングには、料理が用意されていた。

 それはレストランの料理を思わせるような、丁寧で豪華な盛り付けがなされたものだった。

「これは……?」

 シャールはディーノに聞く。

「これか? これはこいつが一人で作ったんだよ! 凄いだろ~、こいつプロでもやってけるよなぁ!」

 ディーノが笑顔で応える。

「ヤダ。プロなんて無理よ。ただ好きで作っているんだから」

 フィーリアがコロコロとした笑顔を浮かべてディーノの軽口を軽くいなす。

 その二人を見ていると、シャールの心は少しずつ重くなっていった。

「まぁ、そんなところで突っ立ってないで、さっさと食べようぜ! お嬢も早く、椅子に座れよ!」

 ディーノがまるでお腹を空かせた子供のように急き立てる。

 4人がけのテーブルで、シャールはディーノとフィーリアの対面に座る。

 シャールは改めてテーブルの上の料理に目を落とす。

 それは、確かにプロの料理人もかくやという出来栄えだった。

 適度にローストした肉の上には、いい照りで輝く褐色のソースがかかり、それは香しい芳香を放っている。

 添えられた野菜も鮮やかな色彩を見せ、新鮮なものを手早く調理したものだというのが彼女にもわかる。

 テーブルの中央にはサラダやパンが置かれ、そのパンから湯気が立っているところを見ると、今さっき焼き上げたものだというのがわかった。

 彼女はちょっと部屋を見回すと、そこには簡易ながらも小さな窯が用意され、そこで焼き上げたものだというのがわかる。

 少なくとも、その窯を用意するには昨日今日というわけにはいかないだろう。

 それだけ、フィーリアはここにいるのだというのが彼女にもわかった。

「なにボサっとしてるんだよ。さっさと食べようぜ!」

 陰鬱な想像に浸るシャールに、ディーノが声をかける。彼はすでに食事に手をつけている。

「フィーリアの作る飯は上手いんだよ!」

 ニコニコと笑顔を浮かべながらディーノは喋る。

「もう、あまりおだてないで」

 フィーリアも少しはにかみながら応える。

 その姿は本当に仲のいいカップルに思えてくる。

「さあ、シャールさんも、どうぞ」

 笑顔で料理を勧めるフィーリア。

 シャールは、おずおずとナイフとフォークを手に取り、料理を口に運ぶ。

 口の中に肉の脂身と旨味が広がる。

 肉はミディアムレアに焼かれ、歯触りも悪くない。

 いや、少なくとも彼女の食べた料理の中では、今までで一番だろう。

「……美味しい……」

 シャールは小さく感想を漏らす。

「ん? そうだろ! フィーリアの作る料理は最高だよな!」

 ディーノがこれ以上はないという輝いた笑顔を見せる。

 それに応えるようにフィーリアが照れたような笑顔を浮かべる。

 それはどう見てもお似合いのカップルだった。

 この場にシャールがいるのが、誰が見ても邪魔にさえ思えるぐらいに。

『……勝てない……』

 そんな惨めな思いがシャールの心を覆い尽くした。

 

「……私、帰る……」

 シャールは小声で話す。

 それを聞いたディーノとフィーリアは顔を見合わせ、

「どうした? そんな浮かない顔して、腹でも痛いのか?」

「ちょっと味付けが合わなかったかしら?」

「ううん……でも、もういい……」

 シャールはそう言って席を立った。

 そしてそのままディーノの部屋をあとにした。

「まったく、あいつはお嬢様だから、好き嫌いが激しいからなぁ。こんな美味い料理のどこが気に入らないんだよ、なぁ!」

 ディーノは笑いながら料理を口に運ぶ。

 そんな様子を見ていたフィーリアは、

『あの子……』

 だがディーノはそんなフィーリアの様子も知らず、

「まったくお前の料理は天下一品だよ! うん美味い!」

 陽気に舌鼓を打って上機嫌だ。

 そんなディーノの姿を見て、フィーリアは小さく、

「……バカ……」

「あ? なにか言ったか」

「ううん! なんでもない」

 その晩、ディーノは大いに盛り上がったが、フィーリアにはどうにも後味の悪い晩餐となった。



 自室に戻ってきたシャールは、灯りもつけずにそのままベットに倒れこんだ。

 少なくとも、暗く沈んだ心は空っぽになっていた。

 もう、ディーノの心の中に私の居場所はない。

 そんな空虚な思いだけが心を満たしていた。

 泣きたい気持ちで一杯だった。

 けれど、不思議と涙は出なかった。

『本当は好きじゃなかったんだ……』

 そう思おうとした。

 でも、心は泣きたいほどに悲しかった。

 <第四章:激戦へ>

 

 注:この記事は2018年10月14日に掲載された自分のgooブログの記事を再掲しております。

 

「お嬢様、朝ですよ。ご飯のお支度、できてますよ」

「ん……うん……わかった……」

 ピチュアが目覚めの挨拶をし、それに対してシャールは寝ぼけ眼で応える。

 それはいつもの光景だった。シャールはいつも、こうしてピチュアに起こされていた。

「お嬢様、よくお休みになれましたか? ちょっとお疲れのようですけど」

「ううん……これくらい平気。それより、朝ご飯は何?」

 自身の寝ていた寝袋をたたみながらシャールは、ピチュアに話しかけるが、今自分が置かれている環境を思い出して、言葉を飲んだ。

『そうだ……今はいつもと違うんだっけ……』

 彼女は自分の置かれている環境……地平線まで見渡せる平原と、そして寝袋に野営という、到底お嬢様には相応しくない状況……を思い出して、ため息をついた。

『これもすべてお父様のせいよ……』

 そんなことを思いながら、ピチュアが用意してくれている朝食を食べる。

 携帯食をお湯で温めただけの簡素な朝食。それは、いつもシャールが食べている朝食とは違い、どうにも口に合わなかった。

「お嬢様、おはようございます!」

 青年の声が聞こえ、シャールは振り返る。

 そこには、まだ二十代初めの青年、ピーノと、その後ろには190cmを超える獣人族、ガンバント人のパイロット、ディーノの姿があった。

「おはよう、ピーノ。あと……」

 そこまで言って、ふと口ごもる。

「おいおい、俺には挨拶なしかよ! けっこうお嬢には嫌われてんなぁ、俺!」

「べ、別に嫌ってるわけじゃないわよ! それよりそのお嬢と言うの、やめてって言ってるでしょ!」

 ディーノの軽口にシャールが抗議するもディーノは、

「まぁ、嫌われててもいいけどな」

 そう言いつつ、シャールの頭に手をやり、軽くポンポンと叩き、

「それより、今日も一日仕事だ。頑張ってもらうぜ。お・嬢・様!」

 そうシャールの目を見つめてニヤリと言うと、ピチュアに目をやり、

「小母さん、今日の朝飯もいつものあれか?」

「ええ。でもちょっと調味料を足したので、いつもよりはいいお味になっていると思いますよ」

「それは楽しみ」

 そう言うと、ディーノとピーノも朝餉の卓についた。

 シャールはその後ろ姿を見つめ、どうしてこうなってしまったのかと、心の中で思い返していた。

『すべては、お父様がいけないのよ! お父様が!』

 そんなことを心の中で繰り返しつつ、自分の機体、オストリッチのコクピットに入る。

 コクピットは空調が効き、狭いながらも一人きりになれる空間は、今のシャールには嬉しかった。

 そして、彼女は今までの経緯を思い返していた。



 それは3日ほど前のことだった。

 彼女の父親が経営する運送会社に、一つの依頼が持ち込まれた。

 それはとある荷物を、彼女たちのいる街、惑星ドゥガンジーの一都市バリオから、近隣の都市ベルキドまで届けてほしいという依頼だった。

 依頼内容自体は別段変わったところはないが、なぜ一般的な運送業者に頼まなかったのかというと、その荷物の運搬を巡り、どうにもゴタゴタが発生しているとの事情があり、そのため、多少荒事にも対応できるシャールの父親が経営する運送会社 ベルキュード・エクスプレス”が選ばれたのだ。

 シャールの父親、ジェイル・ベルキュードは、この道30年のベテランで、会社も多数のアクト・モビルを保有し、そのうち速さに長ける機体であるブールタックやオストリッチをはじめ、数台の高速機体が待機していた。

 そして今回の任務には、リーダーとしてすでにパイロット歴15年を経過しているディーノが選ばれ、サポートとしてディーノとよく組んでいるピーノと、そしてまだ駆け出しだが適性の高いシャールが選ばれた。

「どうして、私がディーノと組まなきゃいけないの!」

 シャールは自分が選ばれたことを知った時、ジェイルに噛みついた。

「どうしてって、今回の任務は速さと安全性を第一に考えなければならない。お前はオストリッチの操作に慣れているし、今回の任務だって初めてではないだろ。なにか不満なことでもあるのか?」

 社長室のデスクに陣取りながら、娘が血相を変えて怒鳴り込んできたのを冷静にいなしながら、ジェイルは静かに諭した。

 しかしシャールは、

「でも、私こんな任務は初めてだし、それにディーノと組むのなんてイヤ!」

 まくしたてるシャールを静かに見つめ、娘が自分の主張を言いきったのを見て取ったジェイルは、

「言いたいことはそれだけか。まぁ、こういった荒事の任務はお前には初めてだろうが、いずれ私の跡取りとして会社を切り盛りしていってもらうためには、こういう仕事も経験しておかなければならない。それにディーノはベテランだし腕もたつ。なにが不服だ?」

 ジェイルは穏やかな口調で、筋を通して話す。

 しかしシャールは、

「で、でも! お父様がどんなに決めたって私はイヤです!」

 今にも泣きそうな顔で訴える。

 その姿にジェイルはため息をつき、

「お前、どうしたんだ? 前のお前はそんなことは言わなかっただろ?」

「……でも……でも……」

 シャールは声を小さくして反論する。いや、もう反論にすらなっていないが。

「とにかく、これはすでに決定事項だ。それにこの仕事に割ける人員もそれほどいないのが現状なんだ。なにしろ高速移動型のアクト・モビルのパイロット自体、うちにはあまりいないのに、それなのにそんなわけが分からない我が儘で、今回の仕事を不意にしてはうちの信用にもかかわるからな。お前だって私の娘ならわかるだろう?」

 ジェイルの厳然とした言葉に、シャールは小さく、

「……わかりました……」

 そう言うと、社長室を退室した。

 その後ろ姿を見届けて、ジェイルは一つ大きなため息をついた。

「何であそこまでディーノのことを嫌うようになったんだかなぁ……あいつがうちに来たときは、お兄ちゃんお兄ちゃんとすごく懐いていたのに……」

 そして、デスクに置かれている一つの写真立てに目をやる。

 そこには、ジェイルとまだ幼いシャール、そして一人の綺麗な女性の姿が映し出されていた。

「お前が生きていたら、あの子の悩みを少しでも聞いてあげられたのかもしれんがなぁ……やはり男親では、娘は思っていることの半分も話してくれんものだな……」

 そう独りごちると、ふとデスクの通話機を持ち上げ、一人の女性を呼び出した。

 その女性、小動物人種のヴァルナ―のばあやであるピチュアは、この呼び出しに対して静かに応じた。

「ピチュア、悪いがシャールの面倒をみてくれんか?」

 ジェイルの要請にピチュアは、

「はい。お嬢様の為ならなんなりと」

 穏やかな微笑みを浮かべて応える。

 ピチュアはジェイルの元にやってきてからすでに15年を経過していた。

 元々は母親に早くに死なれたシャールのお守として雇われたのだった。

 それ以降、ピチュアはジェイルに、そして何よりシャールによく尽くしてくれた。

 ジェイルには話してくれないことでも、シャールはピチュアには話してくれた。

 学校のこと、友達のこと、そして恋のこと。

 だが、ジェイルがピチュアに、シャールとディーノとの関係のことを聞いてみても、

「さぁ……お嬢様とディーノさんとのご関係ですか……元々がお兄さんとして慕っていたし、今はちょっと遅い反抗期じゃないでしょうか? 女の子にはよくあることですよ」

 そう穏やかに笑ってはぐらかしてしまう。

 それを聞くとジェイルは、

「とにかく今回の任務、頼んだよ」

 そう言うと、また一つ大きなため息をついた。


 シャールの元にピチュアが来たのは、シャールが3歳の頃だった。

 まだ母親の死というものが理解できていないシャールは、突然母親がいなくなったことに毎晩泣いていたが、ピチュアがばあやとして入ってからは、少しずつ笑顔が戻ってきた。

 ピチュアは、そんなシャールを溺愛していた。

 ピチュア自身にもかつては子供がいたらしいが、どうやら死別したらしく今は独り身で、そのため、その愛情を一心にシャールに注いだ。

 その愛情の為かシャールは真っ直ぐに育ち、父親が仕事にかまけている間でも、何くれとなくピチュアに色々な出来事を話し、シャールとピチュアはまるで親子のような関係にすら思えた。

 そしてシャールが8歳の時、ジェイルが事業拡大の折に人員募集した際に、一人のガンバント人の青年がやってきた。

 そのガンバント人は190cmを超え、まだ100cmのシャールにとっては、まるで巨大な獣を前にしたような恐ろしさがあった。

 父親の後ろに隠れるようにガンバント人を見上げるシャールに、そのガンバント人は穏やかな微笑みを浮かべ、

「これからここで働くことになったディーノです。よろしくね、お嬢さん!」

 そう言うと、一輪の花を差し出した。

 それは、シャールがよく知らない花だった。しかし桃色の鮮やかで綺麗なその花は、シャールの興味を引いた。

「……これ、なんてお花……?」

 シャールは恐々ディーノに尋ねる。

 しかしディーノはニコッと笑い、

「このドゥガンジーにはよく見られる花で、イルシェナというんだ。バリオの郊外にもよく咲いていてね、今朝朝駆けでひとっ走りした平原に咲いていたんで、一輪もらってきた」

「へぇー……」

 シャールはイルシェナの花をしげしげと見つめ、そしてそれを持ってきたこのディーノと名乗った青年に目をやった。

 

 まるで細面のオオカミのような顔立ちに190cmを超える体躯。

 それは今までシャールの知らない世界の住人だった。

 でもディーノの笑顔を見て、シャールは、悪い人ではないのだな、と心のどこかで思っていた。

 それがシャールとディーノ、ピチュアたちとの出会いであり、それから10年以上、彼女たちは同じ時の中で生きてきた。



 オストリッチのコクピットの中に座りながら、シャールは外部モニターのスイッチをオンにした。

 そこには、朝食を楽しむディーノやピーノ、ピチュアたちの姿が映し出されていた。

 シャールはモニターのカメラを調節する。

 カメラはディーノに向けられ、そしてよりズームする。

 楽しそうにピーノやピチュアと話しながら朝食を食べるディーノの横顔を見ながら、シャールはふと、幸せな気分に浸っていた。

『あの時もそうだったな……』

 シャールはそんなことを思いながら、ふと、8年前のことを、シャールがアクト・モビルを知るきっかけになった時のことを思い返していた。

 8年前、シャールは父親の会社のガレージに初めて訪れた。

 それまでは、危険だから立ち入るな、と父親から念を押されていたのだが、それもある程度の歳になると言われなくなってきており、彼女は興味本位で、初めて重機械たちが集まるそのガレージに足を踏み入れた。

 そこはまさにおとぎの国の世界だった。

 全高5mから20mはあろうかという、人型、非人間型を問わず多数ある機械群は、まるでどこかの遊園地を訪れたかのような錯覚を覚えた。

 発進用のサイレンと警告灯が鳴り響き、忙しなく動き回る人々。

そして、重低音と振動と共に発進するアクト・モビル。

 それは彼女の今まで知らない世界だった。

 そんな中、10mはあろうかという一機のアクト・モビルがガレージに帰ってきた。

 その姿に目を止めたシャールは、案内してくれている従業員に、あれは何か、と尋ねた。

 従業員は誇らしげに、

「あの機体は“コーカサック”と呼ばれる機体ですよ」

 そう言い、さらに説明を続けた。

「高速移動による戦闘や作業を得意とする機体で、多くの傭兵団でも使われています。パイロットさえ良ければ、まさに一騎当千も夢ではありません」

 シャールはこの機体に興味を持った。そして、それを操縦しているパイロットにも。

「今、あれのパイロットは誰?」

 シャールは聞いてみた。こんな機体を操縦するんなら、きっと凄い人だろう。一度見てみたいな。

 するとコーカサックの腹部が割れ、中からパイロットが現れた。

 その姿にシャールは見覚えがあった。

 そして従業員がその問いに答える。

「ディーノさんですよ。あのガンバント人の。お嬢様、お会いしたことはありませんでしたか?」

「う、うん……一度だけ会ったことがある……そう、あの人なの……」

 従業員の返答に生返事を返しつつ、シャールのその視線は、パイロットスーツに身を包んだディーノの精悍な姿に釘付けになっていた。

 その時、シャールは初めてディーノに好意を抱いた。

 それからシャールは、ディーノのところによく遊びに行くようになった。

 最初はお茶やお菓子を差し入れに行く程度だったが、時折、アクト・モビルの中にも乗せてもらえないかとせがんだこともあった。

 最初ディーノは渋ったが、ジェイルの許可が出ると、喜んで乗せてくれた。

 ディーノにとってそれは、歳の離れた妹ができたような気分だった。

 シャールにとっても、頼もしい兄ができたような嬉しさがあった。

 モニターでディーノの姿を見つめていたシャールは、ふと、ディーノが上げた左手に注目した。

 その薬指には指輪がはめられていた。

 結婚指輪ではないが、宝石が一つはめられた婚約指輪。

 それを見ると、シャールは沈痛な面持ちになる。

 そして彼女は外部モニターの電源を切り、ただ一人、暗いコクピットの中で大きなため息をついた。

 <第三章:涙へ>