注:この記事は2018年10月14日に掲載された自分のgooブログの記事を再掲しております。
「命というものは、いつかは尽きてしまう。だから、今一瞬を大切に生きるんだ。やらないで後悔するより、やって後悔すればいい。もしお嬢が、ああしておけばよかった、と、後々になって後悔するんなら、今できるうちにやっておけばいい」
静かで、それでいて暖かな言葉、そして何ものをも包み込んでしまう大きな手。
今まで大切に飼っていたペットが死んだとき、彼がかけてくれた優しい言葉。
シャールは目に涙を浮かべながら、彼を見上げる。
彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。
目には慈しみを感じさせる光が宿り、それはシャールのことを愛していることを表していた。
シャールは、彼の胸に飛び込んで泣いた。
泣いて泣いて泣き続けた。
そして彼に今まで感じたことがない気持ちが、シャールの心の中に小さく、そして確かに、芽生えていった。
『お嬢! なにぼさっとしている!』
ヘッドセットのスピーカー越しに聞えてくるディーノの声。
その声に現実に引き戻されて、シャールはハッとなる。
「お嬢様、やや軌道がずれて、ディーノさんたちから離れています」
前の座席よりピチュアが声をかける。
「わ、わかってます。ちゃんとするわよ……」
シャールは気持ちを立て直し応える。
彼女の乗るオストリッチは、ややディーノたちとは離れていたが、すぐに軌道を元に戻し合流する。
『結局私はお嬢なんだ……シャールって呼ばれないんだ……』
そんなことを思いながら、操縦桿を握りなおす。
オストリッチはそんなシャールの心に反応したのか、少しディーノのブールタックに並ぶ。
だがすぐに追い越され、その後ろ姿しか見えなくなる。
『結局、私は並んでは歩けないんだ……』
そんな思いがシャールの心に重く影を落とした。
彼女は、いつも前を行くブールタックの後姿を恨めしく睨みつけた。
その日も、空には雲ひとつ浮かんでおらず晴れ渡っていた。
だがそれとは裏腹に、彼女の心には憂鬱という名の黒雲が、暗く覆いかぶさっていった。
「ディーノ! 今度私に操縦を教えてよ!」
それはシャールがディーノの元に遊びに来るようになってから数か月した時のことだった。
差し入れのお菓子をほおばるディーノに向かって満面の笑みを浮かべながら、シャールは必死に懇願した。
「う……う~ん……それは、どうかなぁ……」
ディーノの返事はあまり芳しくない。
それもそうだ。
まだ10歳ちょっとの女の子に、重機械の操縦は早すぎる。
そんな思いが彼の口を重くする。
「え~! いいじゃない! 私だってあのコーカサックを操縦したい!」
シャールは目をキラキラさせながら懇願する。
その熱意に根負けしたディーノは、
「まぁ、操縦って程じゃないけど、操縦桿くらいなら握らせてやるよ」
「うん! ありがとう!」
困ったように答えるディーノと、対照的にニコニコ顔のシャール。
そして二人はコーカサックのコクピットの中で、アクト・モビルの操縦の真似事をはじめた。
「そうじゃない。もうちょっとレバーを緩めるんだ」
「こ、こう?」
覚束無い調子でレバーを握るシャールに、ディーノは丁寧にレクチャーする。
パイロットシートに座るシャールはまだ小さく、足もアクセルペダルにはかからない。
だがそれでも嬉しかった。
ディーノの傍でアクト・モビルの練習ができる!
それだけで彼女は満足だった。
「アクト・モビルの操縦は楽しいか?」
「うん! とっても!」
ディーノの問いかけに、シャールは笑顔で応える。
本当はアクト・モビルの操縦なんてどうでもよかった。
ディーノと一緒にいられるのが嬉しかった。
そんな昔のことを思い出して、シャールはため息をついた。
『どうしてこうなっちゃったのかしら……あの頃は凄く楽しかったのに……』
彼女はモニター越しに映るブールタックの後姿を見つめ、そんな思いに浸っていた。
でも、彼女は知っていた。
あの時、彼女が泣いていた時、ディーノの優しさが彼女を変えたということを。
それは彼女が12歳の時だ。
彼女の大切に飼っていたペットのウサギが死んだ。
すでに歳を重ね、老衰だった。
それは避けようのない運命だった。
その小さく冷たくなった躯を抱いて、彼女は泣いた。
あの時、もっと可愛がっておけばよかった。
もっと大切に、そしてもっと一緒にいてあげられればよかった。
そんな後悔にも似た念が彼女の胸に去来した。
そんな彼女を見かねたディーノは、静かに声をかけた。
「命というものは、いつかは尽きてしまう。だから、今一瞬を大切に生きるんだ。やらないで後悔するより、やって後悔すればいい。もしお嬢が、ああしておけばよかった、と、後々になって後悔するんなら、今できるうちにやっておけばいい」
ディーノの静かな、そして優しい言葉。
ディーノを見上げたシャールは、彼の優しい微笑みを見つめて、さらに涙が出た。
ディーノはそんなシャールを、ただ優しく抱きとめた。
シャールはその大きな胸の中で、ひたすら泣いた。
もうこれ以上何も失いたくない。
シャールはそんな思いでひたすら泣いた。
ディーノは、シャールをただ静かに抱きしめていた。
そしてシャールは、静かな寝息を立て眠りに落ちた。
ディーノへの特別な感情が、その時シャールの心の中に芽生えたのかもしれない。
それから彼女は、ガレージを訪れてはディーノの姿を探し、そして彼を目で追った。
だが、今までのように気安く声をかけようとはしなかった。
ディーノがアクト・モビルの整備をしている姿を、アクト・モビルから降りてくる姿を、そして気安く仲間たちと談笑する姿を目で追いはしたが、前のように一緒になって騒ぐことはできなかった。
ただ、彼の姿を見ているだけで満足だった。
「お嬢、親父さんの許可も出たんで、アクト・モビルの訓練、今度からつけてやるよ」
13歳の時、ディーノがアクト・モビルの訓練を買って出てくれた。
それはジェイルからのたっての要請でもあった。いずれ会社を継ぐ娘が、アクト・モビルの操縦を学ぶことは決してマイナスにはならない。
そう判断したジェイルは、ディーノに頼んでシャールに訓練を施すことにした。
「う、うん……お父様のお願いなら仕方ないわね」
ちょっとはにかみながら、そして不承不承の態をとりながらも、シャールの心は躍っていた。
ディーノの傍にいられる!
そんな思いが、彼女の心を湧き立たせていた。
それから彼女はアクト・モビルの訓練を学校の勉強の合間に習った。
彼女の身長や体力では、到底10m級のコーカサックを操ることはできず、その代り5m級のオストリッチを使った訓練が施された。
そして彼女はそれによく応え、彼女は少しはオストリッチの操縦もできるようになっていった。
ディーノは彼女の上達を喜んだ。
そんなディーノを見て、シャールも幸せだった。
そして彼女が15歳を迎えた時のことだ。
シャールはディーノの誕生日に、プレゼントをすることを考えた。
とっておきの、恋人たちが交わすようなプレゼントを、彼女はなけなしの小遣いで用意した。
そして不器用ながらも想いの丈をつづった手紙を添えて、ディーノを公園に呼び出した。
彼女は一息吸って、ディーノに話しかけた。
「あ、あのね、今日、ディーノの誕生日でしょ? だから、わ、私ね……」
プレゼントと手紙を後ろ手に持ちながら、シャールは声をかける。
ディーノを真っ直ぐに見ることもできず、俯き加減で、その声は小さく、あまりはっきり喋れない。
のどは乾き、鼓動も早まる。
『しっかり! ここが一番大事なとこなんだから!』
シャールは心の中で自分にエールを送る。
そして意を決して、ディーノを見た。
「あのね!」
だがディーノは、彼女の予想に反して、なにか慌ただしそうだった。
「どうか……したの?」
シャールはいぶかしんで聞いてみた。
ディーノは応えた。
「いや、これから人と会うんでな。急いでるんだ」
その表情は急いでいるという言葉とは裏腹に、ちょっと嬉しそうだった。
シャールは、ふと嫌な予感がして聞いてみた。
「それって……女の人……?」
するとディーノは、ちょっと慌てたように、でも嬉しさを隠しきれず、
「バッカ、そんなんじゃぁ! いや、まぁ、そうなんだけどさぁ!」
細面のオオカミのような顔がクシャっとなって、愛らしさすら感じさせる笑顔に変る。
だが、それとは逆にシャールの表情に影が差す。
「だから、ちょっと時間がないんだよ! ゴメンな、お嬢。用事はまた今度だ!」
そう一言残すと、ディーノはその場をそそくさと後にした。
あとには、プレゼントと手紙を持ったまま、沈痛な面持ちで立ち尽くすシャールが残された。
どうにもやりきれない思いがシャールの心を覆い、一生懸命書いた手紙に力が入り、クシャ、という音とともに、それは無残にも握りつぶされた。
それから数か月後、ディーノが彼女を食事に誘いたいと言ってきた。
話したいことがあるんだ、と。
「私に話って……?」
シャールは少し期待した。
もしかしたら、この前の人とはうまくいかなかったのかな?
そんな一筋の希望の光が彼女の心の中に差し込んだ。
「うん。まぁ、お嬢には話しておきたいんだ」
ディーノの落ち着いた声に、シャールは少し心が躍る。
「ま、まぁ、いいわよ。で、いつ?」
ちょっとポーズをとってシャールは答える。この前の気持ちを少しでもディーノにわからせてあげないと!
「明後日の夜だよ。俺の部屋に来てくれ」
「え? ディーノの部屋に……?」
ちょっと意外な言葉にシャールは思わず躊躇する。
いきなり部屋に呼ばれるとは思ってもいなかった。
だって、私たちまだそんな関係じゃないし……
しかしそんなシャールの想いを知らずに、
「じゃぁ、伝えたからな。必ず来てくれよ」
そう言うとディーノその場を立ち去る。
あとには、ちょっと頬を赤らめたシャールが残された。
『どうしよう……いきなり部屋に呼ばれちゃった……』
そんな複雑な思いとは別に、彼女の心は躍っていた。
そして二日後、彼女はおめかししてディーノの部屋を訪れた。
「やぁ、よく来たな!」
ディーノは笑顔でドアを開けてくれた。
シャールは満面の笑みを浮かべて応えようとしたとき、
「この方が、社長さんのお嬢さん?」
聞きなれない声が聞こえる。
シャールはディーノの後ろを見た。
そこには、一人の女性が立っていた。
身長はやや高く、そしてスレンダーだが出るところは出た均衡のとれたスタイルを黒のドレスで包み、、ロングの黒髪で覆われた顔は、まるでシネマムービーの中に出てきそうな女優を思わせた。
頭の両脇にはキツネにも似た耳がちょこんと立ち、彼女がガンバント人の女性であることはみてとれた。
シャールは、嫌な予感がしながらも聞いてみた。
「……誰?」
するとディーノは満面の笑顔で応える。
「俺の彼女のフィーリア。こっちは、俺の勤め先の、ほら以前から話していたお転婆のお嬢のシャール」
「そう。初めまして。私、ディーノとお付き合いさせてもらっているフィーリアと言います。そう、あなたがよくディーノが話していたシャールさん」
フィーリアと呼ばれた女性は丁寧にお辞儀をし、シャールに自己紹介をする。
鈴を鳴らしたような上品な声に、おっとりとした口調。
仕草も気品が漂い、シャールのような子供っぽさもない。
シャールは少し劣等感を感じた。
「それよりさっさと中に入れよ。飯の支度はできてるんだ」
ディーノがシャールを中に入るように促す。
「……う、うん……」
シャールはすこし躊躇したが、今ここで帰るのも変に思われるので、少し勇気を出して中に入る。
このまま帰ったら悔しい、という思いもあった。
部屋のダイニングには、料理が用意されていた。
それはレストランの料理を思わせるような、丁寧で豪華な盛り付けがなされたものだった。
「これは……?」
シャールはディーノに聞く。
「これか? これはこいつが一人で作ったんだよ! 凄いだろ~、こいつプロでもやってけるよなぁ!」
ディーノが笑顔で応える。
「ヤダ。プロなんて無理よ。ただ好きで作っているんだから」
フィーリアがコロコロとした笑顔を浮かべてディーノの軽口を軽くいなす。
その二人を見ていると、シャールの心は少しずつ重くなっていった。
「まぁ、そんなところで突っ立ってないで、さっさと食べようぜ! お嬢も早く、椅子に座れよ!」
ディーノがまるでお腹を空かせた子供のように急き立てる。
4人がけのテーブルで、シャールはディーノとフィーリアの対面に座る。
シャールは改めてテーブルの上の料理に目を落とす。
それは、確かにプロの料理人もかくやという出来栄えだった。
適度にローストした肉の上には、いい照りで輝く褐色のソースがかかり、それは香しい芳香を放っている。
添えられた野菜も鮮やかな色彩を見せ、新鮮なものを手早く調理したものだというのが彼女にもわかる。
テーブルの中央にはサラダやパンが置かれ、そのパンから湯気が立っているところを見ると、今さっき焼き上げたものだというのがわかった。
彼女はちょっと部屋を見回すと、そこには簡易ながらも小さな窯が用意され、そこで焼き上げたものだというのがわかる。
少なくとも、その窯を用意するには昨日今日というわけにはいかないだろう。
それだけ、フィーリアはここにいるのだというのが彼女にもわかった。
「なにボサっとしてるんだよ。さっさと食べようぜ!」
陰鬱な想像に浸るシャールに、ディーノが声をかける。彼はすでに食事に手をつけている。
「フィーリアの作る飯は上手いんだよ!」
ニコニコと笑顔を浮かべながらディーノは喋る。
「もう、あまりおだてないで」
フィーリアも少しはにかみながら応える。
その姿は本当に仲のいいカップルに思えてくる。
「さあ、シャールさんも、どうぞ」
笑顔で料理を勧めるフィーリア。
シャールは、おずおずとナイフとフォークを手に取り、料理を口に運ぶ。
口の中に肉の脂身と旨味が広がる。
肉はミディアムレアに焼かれ、歯触りも悪くない。
いや、少なくとも彼女の食べた料理の中では、今までで一番だろう。
「……美味しい……」
シャールは小さく感想を漏らす。
「ん? そうだろ! フィーリアの作る料理は最高だよな!」
ディーノがこれ以上はないという輝いた笑顔を見せる。
それに応えるようにフィーリアが照れたような笑顔を浮かべる。
それはどう見てもお似合いのカップルだった。
この場にシャールがいるのが、誰が見ても邪魔にさえ思えるぐらいに。
『……勝てない……』
そんな惨めな思いがシャールの心を覆い尽くした。

「……私、帰る……」
シャールは小声で話す。
それを聞いたディーノとフィーリアは顔を見合わせ、
「どうした? そんな浮かない顔して、腹でも痛いのか?」
「ちょっと味付けが合わなかったかしら?」
「ううん……でも、もういい……」
シャールはそう言って席を立った。
そしてそのままディーノの部屋をあとにした。
「まったく、あいつはお嬢様だから、好き嫌いが激しいからなぁ。こんな美味い料理のどこが気に入らないんだよ、なぁ!」
ディーノは笑いながら料理を口に運ぶ。
そんな様子を見ていたフィーリアは、
『あの子……』
だがディーノはそんなフィーリアの様子も知らず、
「まったくお前の料理は天下一品だよ! うん美味い!」
陽気に舌鼓を打って上機嫌だ。
そんなディーノの姿を見て、フィーリアは小さく、
「……バカ……」
「あ? なにか言ったか」
「ううん! なんでもない」
その晩、ディーノは大いに盛り上がったが、フィーリアにはどうにも後味の悪い晩餐となった。
自室に戻ってきたシャールは、灯りもつけずにそのままベットに倒れこんだ。
少なくとも、暗く沈んだ心は空っぽになっていた。
もう、ディーノの心の中に私の居場所はない。
そんな空虚な思いだけが心を満たしていた。
泣きたい気持ちで一杯だった。
けれど、不思議と涙は出なかった。
『本当は好きじゃなかったんだ……』
そう思おうとした。
でも、心は泣きたいほどに悲しかった。
<第四章:激戦へ>