先日、傷について記事を書きましたが、それについて補足というかもう一つ思うことを書こうかと思います。
前回、傷は人生に於いて必要なもの、恐れずチャレンジしようという旨をお話ししました。
傷つくことは決して悪いことではありません。成長するために必要なものです。
ですが失敗を経験し、傷ついたことにより「俺はこんなに傷ついたんだ!」とか「こんなに失敗して経験もしたのに、誰も評価してくれない・・・」という人も中には居るかと思います。かくいう私も長い間そういう考えでした。
結論から言うと『傷=失敗』と『他者からの評価』は何の関係もありません。むしろ他人は「ふーん、だから?そんなの当たり前でしょ?」という人が大多数でしょう。
前回、おでんのこんにゃくを例にあげたので、今回もこんにゃくを例にしたいと思います。
確かにこんにゃくに傷を入れると味が染みやすくなって、美味しくなるのは美味しくなります。ですが問題はその『美味しい』ということを誰が判断するか、ということなのです。それは当然食べる人でしょう。こんにゃく自身がいくら「俺は美味しいよ!美味しいよ!」と言っても食べる側が美味しいと判断しなければ、それは美味しいとは言えないのです。
それは厳しいかもしれませんが、他者が美味しいと評価できる実力が自分にはまだ無いということになります。
もちろん、超一流のこんにゃくの味しか認めないという人もいれば、スーパーのこんにゃくでも美味しいという人もいます。それは千差万別です。ですが、厳しい評価をもらったということは、その人にとっては美味しいと言える基準に達していなかったということになります。その場合はその人が美味しいと言うまで努力するか、別に美味しいと言ってくれる人の元に行くか選ばなければならないでしょう。「あの人が認めてくれないから・・・」とその場で止まってしまうことが一番勿体ないように思います。そうはいってもすぐに動けない人もいると思います。そう言う時は一度落ち着いて、ぼーっとしたり自分はどこを目指したいのか考えてみてもいいかもしれません。新しい場所、人に出会えれば自分の味を認めてくれる人がきっといると思います。それを探す間は凄まじい苦しみに襲われるかもしれません。ですが信じて進むしかないのも事実なのです。
そして「俺はこんなに失敗も経験したけれど、一所懸命にやって来たんだから大丈夫だ」と自分は自分の味方でいてあげてください。自暴自棄になることがあっても最後には、一粒ほどでもいいので自分を認めることを捨てないであげてください。
話が纏まりきっていない気もしますが、今回お伝えしたかったことは
『傷に対して良し悪しを判断するのはあくまでも他者』だということ。そして
『残念な評価を下されたとしても、それはあくまでその人の感想であり、自分自身がダメなわけではない事』
の2点です。
他者からの評価をより気にする現代、少しでも皆さんが生きやすくなる力になれればと思います。