寺本城は愛知県知多市にあるお城で、かつて吉川城という愛知県大府市を居城としていた花井氏のお城でした。吉川城から寺本城に拠点を移した花井氏は、織田今川の紛争時に今川方として織田方に対抗しました。
寺本城は、今川が建てた村木砦を攻めたい緒川城水野氏の援軍で織田信長が知多半島に進軍する際に目の上のたんこぶの役割(超邪魔)を果たしました。
私がググッた限りでは知多半島を船で一周して村木砦にいったのか、横須賀あたりで上陸したかはよくわかりません。普通に考えれば知多半島一周はかなり効率が悪いのと、嵐でどこにすっ飛んでいくかわからない状況で多くの兵を乗せた船を使い続けるのは難しいと思いますので、ある程度の位置で上陸してから陸路を行ったと個人的には思います。
信長が日本で初めて鉄砲を使った戦をしたとして有名な村木砦の戦いに辛くも勝利して那古野城に戻る途中に腹いせ(?)にこの寺本城下を焼き払って帰城したとのこと。
・・・・・・・・・・・・・といったかんじで歴史の表舞台にも一応名前が出てくる寺本城に向けて散歩してきました。本当ならこのブログ的に行けば、吉川城-寺本城間を往復散歩するのが普通なのですが、夏の暑い時期であったことと、ちょっと距離があるということでスタートは知多市の運動公園からとなりました。
前置きが長くなりましたが、今回はこんなルートとなりました。
約7.6km、1時間30分のお手軽コースです。
知多市運動公園をスタートして、寺本城に向かい、途中尾張八幡神社に寄り、道に迷いつつ藪城に行って帰還です。
スタートして運動公園から寺本城方面に右折して少し進んだところの地名が堀切でした。
城と関係があるかは分かりませんがテンションはあがります。(城からは少し遠いかな?)
左に見える山(写真中央)が寺本城です。
寺本城の位置を見ると海に向かって広範囲を見渡せる高台であることがわかります。
藪城のあたりから海だったのではないかなと思います。
地名は堀之内。寺本城は別名堀之内城です。
お城登り口より少し手前にあった石碑です。
入口
よく見ると堀之までで、内は半分土に沈んでいます。
山城ぽい雰囲気をかもし出しています。
頂上に神社がありました。
看板等は一切無しなので、城跡かどうか行ってみた人にもわからないと思います。
曲輪跡・・・なのかな?周りは木だらけですが整備されています。
分かりにくいですが、眼下から海に向かって平地が広がっていて、このあたりを治めるには最適な場所なのかなと思います。道を挟んだ向かいにもおあつらえ向きな小山があり、恐らくあっちにも何か建てていたのではないかと妄想が捗ります。二つの小山で挟んで攻撃できそうです。
先まで行ってみました。敷地的にはそこまで広くはありません。
本丸・倉庫・櫓を建てれば終わりそうなぐらいの土地です。
夏ならでは。虫取り?の仕掛けがありました。
寺本城を後にして、次は北に向かいます。
大きい神社に出くわしました。尾張八幡神社。
七五三とか結婚式とかもやってくれそうです。
近くに藪城というお城もあるみたいなのでそっちに行ってみることに。
道中ちょっと変わった感じでお地蔵さんがありました。
元浜公園についてしまいそうだったのでもう一度調べなおしてみたら一本道を間違えているのに気付きUターン、そして到着。
色々あるのですが・・・藪城という表示はなかったように思えます。
ちなみに、このあたりの地名の養父はやぶと読むみたいです。
海に近いので、海を押さえるためのお城だったのでしょうか。
ということで帰還しました。
何も表示のないお城ばかりでしたが、そこから妄想を働かせて当時のこの場所に思いをはせる。これもまたお城旅の醍醐味ですね。