東北地方 太平洋沖地震 | パンプキンの徒然日記

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可能な限り趣味の写真を貼り付け、思いつくままに日記を綴っていきたいと思います。
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昨日2011311日(金) 14:46分頃に三陸沖を震源とするマグニチュード8.8、最大震度7という巨大地震が発生しました。 まずは、それにより お亡くなりになられた方々の ご冥福を お祈りすると共に、行方不明になっておられる方々が1日も早く救出されることを願い、被害に遭われた方々に対して心から お見舞い申し上げます。


この地震は「東北地方 太平洋沖地震」と名付けられたようですが、その震源の位置からして従来から危惧されていた「宮城県沖地震」と同一であり、それはマグニチュード7.5が想定されていたものが、想定を遥かに超えるエネルギーの地震が発生したと思われます。


この地震により20mにも及ぶ巨大津波が発生し、更には各地で火災が発生、そして福島第一原発では爆発まで発生するという、未曾有の被害となるものになってしまいました。 多くの集落も消滅してしまい、大勢の ご遺体が海に浮いているとも報道されています。 未だに余震も頻繁に発生し、被災地の皆様のことを考えると心が強く痛む思いですが、我が国の国民は今までも数々の苦難を乗り越えてきており、今回も必ずや困難に打ち勝ち復興するであろうことを確信しております。


今後は「東海地震」「東南海地震」「南海地震」を始め、富士山の噴火までも想定されていますが、今回の巨大地震でもハッキリしたように、僕も以前から何度も書いていますが、いかに我が国の地震・津波対策のための公共工事が為されていないかを多くの方々が認識したと思われます。 まずは行方不明者の方々の救出や避難されている方々の安全確保が最も重要ですが、その後は国や行政は防災公共工事をシッカリと考えて欲しいものです。


ここ大月でも震度5程度の揺れだったようですが、幸いにも ここの地域や仕事場での被害は皆無でしたし、勿論、一緒に住む女房や、愛知県で社会人1年生をしている息子も、神奈川県で大学3年生をしている娘も無事でした。 しかし、娘は前日から就活のために帰省してきており、当日は電車で説明会、試験のある甲府市へ行ったのですが、甲府でも震度5で電車が止まってしまって甲府駅に足止めになってしまいました。 幸い、バスが出たので それに乗って石和まで戻れたので、僕は女房と娘を車で迎えに行くことが出来、夜7時半過ぎには娘と共に帰宅出来ました。 その娘も今日の昼過ぎ、心配する女房と共に神奈川県のアパートに戻りました。


最後にはなりましたが、救出作業のために大勢の自衛隊の方々や在日米軍の方々、韓国軍の方々が頑張っておられます。 そして世界中から、救出の手が差し伸べられてきております。 心より感謝致します。