これまでの経緯 | あしたの空色
11/7の早朝激しい腹痛で目覚めました。
すぐに夫とペインクリニックに連絡。
ペインクリニックの看護師さんが救急車を呼んで、以前お世話になったM病院へ搬送。
朝になってから系列の現在入院している病院へ搬送され緊急手術を受けました。

医師の診断ではこのまま放置すれば今日持たないので家族を呼ぶようにと言う事だったらしいのですが、とても可能性は低いが開腹してみるか、本来ならやらない手術で、手術中に亡くなる可能性も十分あると言われたが、手術に一縷の望みをかける。

手術は一応成功したが、腹部には何本もの管を通し、私は人工呼吸器をつけて意識がないまま一週間が過ぎました。

本来ならとても厳しい状況だったけど、幸い腎臓がとても頑張って結果回復に向かっている。

実は私はペインクリニックに自分で電話したことさえ記憶にない。
この時からICUで目覚めるまでの記憶が完全に欠落していて、今も思い出せない。

意識が回復してからが辛かった。
人工呼吸器がついているのに常に呼吸が苦しく、ひっきりなしにしゃっくりが出ているような状態で半分しか息ができない。

意識が遠のきそうになると、何故か耳の奥でシンバルを連打しているような音が聞こえて意識を取り戻す。
その繰り返しだ。
全身がパンパンにむくんで何人もの医師が私の腕をつまんで不思議そうに話をしている。
ベッドにくくりつけられて自由が利かない掌も紫色に腫れあがり、およそ人間の手には見えない状況。

そんな中いよいよ人工呼吸器をはずす日が来ました。
恐ろしかった。
呼吸器が着いていてもあれだけしか吸えない酸素を自力で吸えるわけがないと思った。

喉の奥まで入っていた人工呼吸器を外して鼻に付ける呼吸器に交換すると、呼吸は思ったより楽だった。

そして初めて声がでた。
自分の名前を言うように言われてたどたどしく、ロボットみたいな声で答えた。
お世話をしてくれていた看護師さんたちが皆、拍手しながら喜んでくれた。

でも、私はそのあと、、死にたいと言った。
辛かった。
もちろん看護師さんには叱られた。毎日お見舞いに来ていた家族さんが、ぷもりんさんの声を聞いてどんなに喜ぶと思うの!と言われて泣けた。

でも、このさきのいつ迄続くか知れない治療を思うともう頑張る自信がなかった。
意識がないまま放置してくれたら良かったのにと何度も思った。

でも、最初にペインクリニックに連絡したのは自分自身。
やっぱりまだ死にたく無かったのかな…。
こんな管だらけの傷だらけになってまで生きたいと思っていなかったはずなのに。

同じ時期手術をして、励ましあいながら抗がん剤を受けていた患者仲間はもう、ほとんど先に旅立ちました。
私はまだ生きなくちゃいけないのかな。
治ることのない病気。
今回良くなっても、またいつかこんな想いをしなくちゃいけないのかと思うと辛いです。

これが本音。
でも、私の命であって私だけのもなのではない。
それもわかってる。
だからもう一回頑張ります。

今はそんな気持ちで毎日すごしています。