富美さんの訃報に際しこのブログにも多くのコメントを頂戴いたしました。改めまして御礼申し上げます。


3日お別れ会
4日告別式

桜が満開の日に永遠の眠りについたのですが、
お別れの日は両日ともに見事に?

激しい雨が降り雨女(雨夫婦?)の

本領発揮となりました。
(桜も少し散ってしまいましたね)

3日はいわゆる通夜なのですが、

『お別れ会』という名称にさせていただきました。
こちらの名称のほうが富美さんらしいと思い。

併せて
●焼香の代わりに『献花』
●お経の代わりに『ゴスペル』を流す
という形を取らせてもらいました。

「富美さんぽくて良いね」と、
理解してくれた義両親には感謝です。

そして今どきの訃報は紙ベースでないのですね。
web訃報と言い
リンク先に飛ぶと、日時・場所などの案内。
スクロールしていくと供花・弔電の申し込みの他に

『思い出写真を贈る』というものがあり、

そこに多数の方がメッセージとともに

写真を入れてくださいました。





喪主(遺族)だけが閲覧できるのですが、私も知り得ない様々な場面での富美さんの笑顔。そして写真を共有いただいた方からのエピソードや想いをメッセージで読み取ることが出来、涙が出てきました。素敵なサービスだと思います。

お別れ会には、訃報の段階で大反響?があり
ある程度予想はしていましたが、本当に大勢の方々にご列席いただき、そして数多くのお花と共に

華やかに見送ることが出来ました。


銀平💕






仲良くしてくれた二人の友人から代表して

弔辞をいただき皆で富美さんに思いをはせながら

献花が始まりました。
約600名の皆さまにご列席いただき、
献花終了は予定より1時間近くも

遅い時間となってしまいました。
快くご対応いただいた葬儀社及び式場の皆さまに

深く感謝いたします。

喪主の私に対しても多くの方が

励ましの言葉をかけてくださり、
最初は富美さんの近くで挨拶していたのですが、

献花の列の妨げになるので
少しづつ位置を変え、最終的にはかなり会場後方にて挨拶させていただくことになりました。初めてお会いする方も多かったのですが、

皆さん一様にお悔やみの言葉以外に、
思い思い富美さんのこと話してくださって、

本当に愛されていたんだなぁと感じました。



会場入口にはモニターを設置し、私が持っている写真の他、義両親、義弟、各方面の友人に提供いただいた富美さんの幼少期から学生、社会人時代、そして母となった写真・動画を映し出しました。全部で20分くらいの尺となり、全編見ていただくというよりは、お並びいただいてる際に少しでもご覧いただこうとしたので映像音楽も統一感はないですが、
ゴスペルの他、家族で観たミュージカルから

「民衆の歌」「A Whole New World」

そして「This is me」など富美さんにとって、

我々家族にとって思い入れのある曲をあてました。



そして思い出の品々として

最後に着用していた帽子をはじめ
掲載された雑誌や写真・手紙

そして途中まで富美さんが書き続けていた子供たちへのラブレターでもある『バースデーブック』などを、

狭いスペースですが展示いたしました。



子供たちも長い時間愚図ることもなく頑張りました。



富美さんを愛してくださった大勢の皆さまに見送られお別れ会は終了いたしました。
余談ですが我が家のグランシェフでもあるお隣に住んでいるSさん曰わく、
帰りのタクシーで運転手さんに

『失礼ですが、どなたか有名人の方ですか?』と
聞かれたそうです(笑)
実際タクシーの配車の車列が凄いことになっていて、
ラストまでビックリさせてくれるpumiyさんでした。
(翌日の告別式の模様はまた後日ご紹介いたします)




富美さんを愛してくださった全ての皆さまに感謝🌟

ボクと結婚してくれた富美さんに感謝💕