高校生活では、まだ比較的症状は治まっていたように思います。
通学に時間がかかる為か、そこまで食べても消費されるらしく
現状維持って感じでした。

しかし生理前になるとわたしは過激な睡魔と食欲に襲われるのですが
そればっかりは制限出来ませんでした。
生理前から三日目ぐらいにかけては、やはり食べては吐くことをしていました。
そんなことをしている割には定期的に生理は来ました。

摂食障害の副作用でか、一日中わたしは眠たくて仕方がありませんでした。

私の通っていた高校は私立の高校で、特進クラス。
入学式初日から、授業中はシーンと静まり返って鉛筆の音がやたらと目立ち
先生が何かおどけてみても無反応すぎるくらい無反応な教室でした。

最初はみんな緊張しているのだと思ったけど、結局三年間そんな調子でした。
中学時代にいつも授業中手紙を回したりおどけていた私にとっては
どう過ごせばいいかわからない時間な上、過激な睡魔なので私はほとんど寝ていました。

単純に、入る高校ミスったと感じました。

そしてそれに適応する努力もせずに三年間を過ごした感じです。

そんな3年間の中、好きな人が何度かできました。
しかしその度に自分に自信が持てなくて
「痩せなきゃなあ…」脅迫観念に襲われました。

すると、やはり再発。
どうしてだろう、なんでだろう、もうやめたと思ったのに。

もう太ってもいいから正常な頭と健康を取り戻そうと思えるにはかなり時間がかかり
嘔吐をやめれたのは高校三年生になった時。
体重は58kgありました。

食事制限は続かないので歩くとか、菓子パンは食べないなど
自分なりのルールを決めて実行しているうちに55kgまで減りました。
過食も完全に治まったのは卒業してから、大学一年生になったときでした。

今でも食べ過ぎたときの恐怖感は今でもまだ残っています。
出されると断れないので食べ放題には行かない
なるべく外食はしないなどで食べ過ぎる機会を回避しています。

何が残ったかというと、精神的な空白感、自信のなさ
憂鬱になりやすく高揚にもなりやすい躁鬱。。
これらとは未だに戦っています。
病院に行ったら負けだと思うので病院には行きません。
自信のなさから人間関係が怖いと感じる事もあります。


そんな私が大学一年生になったばかりの頃、おっさんに出会いました。
それが全ての始まりでした。
気がつけば、とても太っていました。
初めは何か顔が前よりぶさいくになったなあって感じ。
体重は身長に合わせて増えるものだと思っていたのですが、スカートがどんどんきつくなっていき
「あ、太ったんだ」
とやっと気づきました。

クラブをやめてから、運動しない割に同じ量を食べるせいでみるみる太りだしたのです。
そして彼氏に太ったなあ、やせろやせろと言われ、ふられた時に
ヤバイとやっと自覚しました。

私は短期で大幅に痩せる方法を探し続けました。
当時はまだ52kg位だったと思います。
元が42kgとかだったのでこれは大変だと思い、あらゆるダイエットをしました。
市販のサプリメントもいくつか試しました。
でも長い目で見ることが出来ずにどれも二週間ぐらいでやめました。

ダイエットにはまったきっかけはそんなものでした。
しかしそれがエスカレートしていったのは、見返してやりたい気持ちが芽生え
「痩せて綺麗になって、独特なファッションをして誰からもうらやまれる存在になって後悔させてやる」
と考え始めたのです。
1kg 2kgやせるではなく、目指していたのは41kgでした。

しかし塾が終わって帰ってくると深夜12時で、なぜかお腹がすいてすいて
菓子パンやらごはんやらをもりもり食べてました。
そのくせに「あるある大辞典」のダイエット特集は欠かさずチェックする日々。
痩せたいのに実行出来ない自分に対していらいらしてジレンマに悩む毎日。
食べちゃ行けないのに何で食べるんだ!?
そう思う程、よけいに食べてしまってました。

そんな時、ある雑誌で
「拒食症体験」
というコラムがありました。読んでみると
食べて吐いていたら次の日4キロ減っていた、続けるうちに食べる事が怖くなり
38キロになってしまった、というような内容でした。

私が目がいったのは「1日でマイナス4キロ」という文章です。
そして食欲が無くなるなんて羨ましい限りでした。
不健康でもデブより痩せてる方がいい!
絶対痩せてる方が綺麗!
デブはなにしても似合わん!
それが過食嘔吐の始まりでした。

食べまくったら水を飲んで、ゆびをつっこんだら全部出ると書いてあったので
それをしてみました。そしてその後体重計に乗ると二キロ減っていました。
「え、まじで!?」
「楽勝やん。。好きなだけ食べれるしラッキー」
そのように私は捉え、好きなだけ食べては吐く事を続けました。
要は一時的に水分が減っただけなのに、とにかく数字が減っていればそれでよかったのです。


ごはんを食べてく無いと思うようになったらそれでいいや!
40kg台になったらひとまずやめようと軽く考えていました。
そう簡単に抜け出せなくなる事態に陥るとは知らずに…。


まず、吐いたらすぐにお腹がすいてしまうのです。そしてまた大量に食べて吐こうとすると
思った以上に吐けなくなって行き、全身がだるくなってすぐにでも横になりたくなりました。
すると減っていた体重が元に戻っているのです。
これはヤバイ!!
何が何でも元に戻さなくては。

もはや学校どころではありません。こんな体重じゃ人前に出れない。。
沢山食べて吐く為に何度も学校を休みました。

気分はいつも憂鬱で、何をするにもしんどくなって無気力状態。
いくら人に太ってないよと言われても納得出来ません。
頭の中は食べる事と痩せる事でいっぱい。

卒業式はかなり顔がむくんでいました。
体重は54キロになっていました。

高校行くまでには絶対これをやめてやせないと…
と頭では理解していたものの、体は食べる事を求め、また満腹になると不安に襲われ、吐く。。
するとまた食べる事をもとめてしまう。

この繰り返しから抜け出す事が出来ない。
やめるためには、吐いた後また食べたくなっても我慢して、そこから普通の食事に変えよう。
そう決意して実行しようとしても、今度は普通に食べた後が物足りない。
胃が大きくなってしまったのか、食べたくてイライラする。
押さえられない。

結局吐いているのが親にばれました。
冷蔵庫の中身があり得ない位減っているのと、部屋から出てくる大量の食べカス
トイレにこもる時間が長すぎるなどからです。

作ってくれている人にバレるということは、相手の気持ちを思いやると
どうしようもなく辛くて、申し訳なくて、でもどうにもならなくて
生きる事が窮屈になっては自分が憎くて憎くて仕方がありませんでした。

さすがに親も心配しました。
元々私の家は高カロリーな食事が多かったので、ヘルシーな食べ物に変えてくれたりして
正常に、健康に戻してくれようとしていました。

でも、私の中で正常も健康も平均体重もくだらないものでした。
「痩せて、見るからに細い人にならないといけない」
という信念を曲げる事が出来ず、
自分の中で
「太っている人間は何かをする資格などない。人前に出るなんてこともみっともない。外見が全てなんだから、太っていて何かに成功するなんてありえない。今の私は自分で愛してはいけない。自信を持ってはならない。ずうずうしい!デブはデブらしくおとなしくするに限る。そしてとことんしごかなくてはいけない。」
ここまで決定付けていました。


それほどまで私は自分に自信がなかったのです。
そして痩せたら自信を持って生きられると確信していました。
美しくなって外見だけを鼻にかけて生きようと、細ければ何をしてもいいと思いこんでいました。

自分の事をとことん邪険に扱いました。
痩せるまではおしゃれする価値はないと、自分で自分に制限をかけていました。

まるで体がロボットで頭が操縦者のような気分です。
なんでこの体はいうことを聞かないんだ、ボンクラめ!
と、頭の方が出す指令を全く受け付けないような体に罵声を浴びせていました。

心と体はつながっている。
そんなことも当時の私は知らなかったのです。

そして結局体重は56kgに増減し、高校生になりました。
今では考えられない話ですが、中学生の時にリストカットが流行りました。
メンタル面で弱い子が多かったという事でしょうか。
そんなに深くは切りません。二、三本薄~く手首に傷があるのです。
たいがい、目立つ子がやっていました。
「辛くて苦しくて切っちゃってん…」
「死にたいと思う」
と見せてくる子が居る中、私もそれをしている一人でした。

リアルに死のうなんて考えていないのですが
心配してもらいたいとか、ここまでする程自分は苦しいんだって事をわかってほしいが故の行為です。

そして切る行為によって可哀想な自分が愛おしくなるのです。
私が切る理由は家庭内での出来事にありました。
怒られる際によく「死ね!」と言われていたせいもあって
「死んで後悔させてやる」
と、自分が死んだ後を想像したり遺書を書いたりしていました。

一般に言われるビジュアル系やロリータファッションをしている子たちは
たいがいメンタル的に弱い人が多いのですが
当時の私もそのようなファッションや音楽を好んでいました。
とにかく目立つためには個性的な服を着なくてはいけないという一心から
毎月「KERA!」という雑誌を買っては研究していました。
真に何かが無い分ファッションで誇張したかったのだと思います。
ファッションパンク、ファッションロック、そんな感じでした。
音楽は後からついてくる、みたいな。
中学時代はずっと前髪パッツンかウルフカットでした。
とにかく人があまりしない外見を好みました。


今ではもとからボロボロになったり安全ピンだらけの服が売られていますが
当時は近場に売っていないので自分で作っていました。
スタンダートな服を傷つけていく行為に対し、快感を得るのです。
破壊する喜び。
もはや狂気に近い行為でした。



親に何か言われて部屋にこもると、物を投げたりめちゃめちゃにしたり
キレて怒鳴っていたりしました。
反抗期もかねて、親にも言い返すようになりました。
しょっちゅう言っていたのは
「そんなに死んでほしいなら死んだるからな!」
「好きで産まれたわけちゃうんじゃ!」
でした。

ちょうどその頃、中学生では周期的に誰かがハブリにあったのですが
ついに私がそうなりました。中学三年生の時でした。
彼氏が出来て、私がそっちばかりに行ってしまったという理由でした。
毎日つらくて泣いていました。
どうして無視されなくてはいけないのか
何でかわからないけど謝ろうと思って、その友人達に手紙を書きました。
泣いて謝りました。

いくらでも味方になってくれる友人は居たのですが、私は目立つ人と居る事を好みました。
学校内でも目立っている人と一緒にいようとして
自分の中で友達選びをしていた故に、その輪から外れて普通の子と居る事が負けたようで嫌だったのです。だから復縁することに必死でした。

でも結局一人でいるのが嫌だから
その子達と一緒に過ごしました。結局わたしはそんな優しい友人達を自分のメンツを守る為に利用して
心では馬鹿にしていたのです。

結局復縁も出来ず、その子達ともナァナァなまま卒業しました。
中学校を卒業した時
「親友」と呼べる友人はいませんでした。

卒業式には色んな人と写真を撮ったけど、その後誰かと遊びに行った記憶はありません。
私は丁度その時、摂食障害になっていて
一刻も早く何かを食べては吐きたいという思いで頭がいっぱいでした。

家にも外にも居場所を無くしたと思い込んだ私は、
食に依存するようになっていたのです。