おみくじ発祥の地とブナの木 | お客さん、終点です(旅日記、たこじぞう)

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よく居眠りをして寝過ごしてしまう旅人の日記。みなさんが旅に出るきっかけになればと思います。(旧題名のたこじぞうは最寄りの駅の名前)

比叡山のガイドツアーに参加した。講師が木や森に詳しい方だったので、仏教の聖地という面だけではなく、森という面からも興味深い話を聞くことができた。

 

 

スギは、比叡山の森林を代表する樹木。樹齢が300年を超える木もある。

実生から育てる方法と、挿し木をする方法がある。根元から幹がまっすぐ生えているのが挿し木で、比叡山で見かけるのはスギの多くは挿し木によるものだ。

スギは種が小さいため雑菌に弱い。地面に落ちた種は発芽しないことが多い。写真は倒木の切り株から発芽した幼いスギで、自然界ではこんなふうに世代交代をしていくのだ。

 

 

カエデは水のある場所を好む。カエデがあることでこの場所が水脈に近いことがわかる。

山内のお寺の境内に、新芽の頃から葉の色が濃い赤のカエデを見かける。これはノムラモミジとい園芸品種で、ノムラは人の名前ではなく、濃い赤を意味する濃紫からその名がついたのだそうだ。

 

 

伝教大師、つまり最澄の御廟も訪れる。

興味深いのは比叡山で最も神聖な場所が、東塔などのある場所より低い所にあることだ。道が尾根伝いに敷かれているということもあるのだろうが、一段低い場所から見守るという意味もあるのではないかとガイドさんは言う。

このあと訪れた根本中堂もこれに通ずる考えに基づくのだろう、お堂は本尊が祀られている内陣、それを囲む外陣(げじん)、さらに外側に参拝者がお祈りをする中陣があるのだが、本尊の薬師如来像が参拝する人と同じ目線になる高さに祀られているのだ。

 

バスで横川(よかわ)に向かう。

よく知られている通り、比叡山は京都の北西に位置し、都を鬼門から守っている。その比叡山の鬼門に位置するのが横川(よかわ)で、ここは最澄の弟子、慈覚大師円仁が開いた場所だ。円仁は遣唐使として唐に渡り、その時の日記が「入唐求法巡礼記」として残っている。これは日本人が書いた最も古い本格的な紀行文と言われる。

 

横川にはおみくじ発祥の地と呼ばれる元三大師堂がある。元三大師、良源は比叡山中興の祖とされる人物だ。

良源は観世音菩薩から百枚の五言四句の偈文(げもん:仏の教えなどを韻文の形式で書いたもの)を授かり、この偈文から引いた1枚に進むべき道を読み取り、多くの人を迷いから救ったと言われている。

 

 

比叡山の鬼門に位置する横川のそのまた鬼門に位置するのが良源の御廟(みみょう)だ。良源はこの鬼門の地に葬られることを望み、遺言で、その墓は荒れるに任せるようにと言ったという。墓所には大きなブナの樹がある。

同じ比叡山でも標高の低い場所と高い場所とでは植生が異なり、標高の高い場所は東北地方の平地の植生に近くなる。このためブナのような北国を思わせる樹が生育するのだ。

 

 

東北といえば、根本中堂の近くには宮沢賢治の歌碑がある。

賢治の歌碑が比叡山にあるとは意外だったが、賢治と、父親の政次郎は関西を旅行し比叡山も訪れている。

日本の多くの宗派の開祖がこの比叡山で学んでいた。父子は信仰上の意見の対立があったと言われているが、賢治にとってもこの旅は一つの宗派にとらわれない視点に立つきっかけになったということが歌碑の説明にも書かれている。

 

日本仏教の母山と言われる比叡山は、多くのものを包み込む空気を感じる。