医師と医学部のミステリー小説|中道優人の追跡
中道優人が医学部を卒業し、研修医として大学病院に配属されたのは、春の終わりだった。 白衣の袖を整えながら、優人は新しい環境に胸を高鳴らせていた。 しかし、その期待は、ある患者の死をきっかけに静かに崩れ始める。
研修医として最初に担当した患者は、50代の男性・黒川。 心不全で入院し、治療は順調に進んでいた。 担当医の指示どおり薬を調整し、優人も毎日欠かさず様子を見に行った。 黒川は穏やかな性格で、優人を見るといつも笑って言った。 「先生、若いのにしっかりしてるな。安心して任せられるよ」
しかし、ある夜。 黒川は突然容体を急変させ、わずか数時間で亡くなった。 その変化はあまりにも急で、優人は違和感を覚えた。
「昨日まで安定していたのに……なぜだろう」
カルテを見返しても、急変の理由は見つからない。 薬の量も、投与時間も、すべて正しい。 だが、優人の胸には重い疑念が残った。
翌朝、指導医の白石が優人に声をかけた。 「黒川さんの件、気にしすぎるな。こういうことはある」 白石の声は落ち着いていたが、どこか冷たさがあった。 優人はその表情に、言いようのない違和感を覚えた。
その日の午後、黒川の家族が病院に来た。 妻は涙を流しながら優人に言った。 「先生……夫は、亡くなる前に言っていたんです。『最近、薬が変わった気がする』って」 優人は息を呑んだ。 薬は変えていない。 少なくとも、優人が知る限りでは。
「薬が……変わった?」 優人はカルテを再確認した。 投与された薬の種類は正しい。 しかし、投与量の記録に、わずかな“ズレ”があった。 それは、優人が記入したものではない。
「誰かが……書き換えた?」
優人は震える手でカルテを閉じた。 医学部時代、教授が言っていた言葉が脳裏に蘇る。 「医療の現場には、表に出ない闇がある。気づいた者は、巻き込まれることもある」 その言葉が、今になって重く響いた。
翌日、優人は薬剤部に向かい、黒川に投与された薬の実物を確認した。 薬剤師は不思議そうに言った。 「この薬、昨日の分だけロット番号が違いますよ」 優人は息を呑んだ。 ロット番号が違うということは、誰かが薬を入れ替えた可能性がある。
「誰が……何のために?」
優人は病院内の監視カメラ映像を確認しようとしたが、担当部署は「閲覧には許可が必要」と言って拒んだ。 その態度は妙に硬く、優人は胸の奥に冷たいものを感じた。
その夜、優人は白石に相談した。 「黒川さんの薬に、違うロットが混ざっていました。何かご存じですか」 白石は一瞬だけ目を伏せた。 その沈黙は、優人の不安を確信へと変えた。
「優人、深入りするな。これは……君が扱うべき問題ではない」 白石の声は低く、どこか脅すような響きがあった。
「どういう意味ですか」 優人が問い返すと、白石は静かに言った。 「医学部時代から続いている“研究”がある。黒川さんは、その対象だった」 優人は言葉を失った。 研究──それは、患者の同意が必要なはずだ。 だが、黒川はそんな話を一度もしていない。
「まさか……無断で?」 白石は答えなかった。 ただ、優人の肩に手を置き、低く囁いた。 「この病院には、触れてはいけない領域がある。君はまだ研修医だ。守れるものを守れ」
その言葉は、優人への忠告であり、同時に“警告”でもあった。
翌朝、黒川のカルテは突然「閲覧不可」に変更されていた。 理由は「個人情報保護のため」。 しかし、優人は知っていた。 これは、何かを隠すためだ。
優人は静かに決意した。 医学部で学んだ知識は、患者を救うためのものだ。 研修医としての経験は、真実に向き合うための力だ。 そして今、自分が向き合うべきものは──この病院に潜む闇だった。
「黒川さんの死の理由を、必ず突き止める」
優人は白衣の袖を整え、病院の廊下を歩き出した。 その背中には、研修医としての迷いではなく、真実を追う者の覚悟が宿っていた。
本田先生
