6/16(日)は、父の一周忌が沼津の菩提寺で行われた。

 

なぜクリスチャンの父が寺に納められたのかについて、ここで簡単に記しておこう。

 

父に先立ち、2017年に亡くなった母は、これまた熱心なクリスチャンであった。

婦人会活動にも精力的で、はば毎週といっていいほど教会に通っていたのである。

 



そんな母が晩年、自分の遺骨は沼津の義母(父の母であり私の祖母)といっしょの墓に納めてくれというようになった。

 

祖母は,嫁である母に大変厳しかったが、5人兄妹の4人目の母にとっては、実の母より親密な関係を祖母と築いていたのである。

 

父には姉もいたのだが、39歳の若さで早逝している。

したがって、祖母にとっては父は心の拠り所であり,嫁(私の母)は実の娘のように思えていたのであろう。

 

家族でディズニーランドに出かけたとき、祖母と母が腕を組んで歩いていたのをよく覚えている。

 

母の遺骨を千葉から沼津の寺に運んだのは父である。

父としては、宗旨の違いもあるので、墓の隅っこにおいてもらおうという、軽い気持ちで持って行ったのであるが、

「そうはいかん!」と寺に断られる。

 

「きちんと寺でも葬儀をあげて、戒名をつけて、正式に寺の信徒とならねば受け付けん!」

ときたのである。まぁ,公共墓地ではないのだから,しごく当然の反応である。

 

「ああ、ではいいです」と、また遺骨を持って帰るわけにもいかなかった父は、

その場で葬儀をあげ、かなりの額のお布施を納めて納骨を済ませてきたのであった。

 

このとき父の埋葬先も決まってしまった。

 

クリスチャンでありながら、最後は寺に納まる。

私はお盆とお彼岸は寺に,毎年命日には教会に,それぞれ金子を納めに行く羽目になった。

 

もとはといえば、母の一言から始まった「ねじれ」なのだが、私はそれはそれでよしとしている。

 

祈り方は違っても、先祖や親を思う気持ちは同じである。

 

我が家の墓は祖父と祖母、父と母が眠っている。

祖父は昭和9年に戦死したが,その3年後に旧陸軍が建ててくれた立派な墓である。

 

本家の墓は同じ寺にあるのだが、200mほど離れている。

 

そこにはいつの時代か判別できないような古い墓石も置かれている。

この人たちの一人でも欠けていたら、私たち一族はこの世に存在できなかった。

 

永遠とも思える時間の連続の中で、血が継がれていったことを認識できるのが墓である。

 

住職といっしょに「南無妙法蓮華経」を何十回も唱えながら、先祖に思いを馳せる時間は、

宗派を超えて、心を清らかにしてくれているのである。