優秀民たちは、遊ぶことに関しても斬新だった。
国語で平安時代の「けまり」を習ったとき、まずやってみようということになり、
バレーボールの球をパスするように、脚でパスをし合い、地面に落ちるまで続ける。
ときに美技が出ると「ゆうが〜!」と声を出して賛美する。
失敗したものに対する罰則に、10人くらいが1人の両手両足を持ち、
お神輿よろしく「よっこい!よっこい!」と胴上げし、
最後に2メートルくらいの高さで手を離す遊びも流行った。
この掛け声は、あのグアム島で、終戦を知らず、
28年間ジャングルに潜んでいて発見された元日本兵横井少尉に因んだものである。
振り返ればたいへん不謹慎な遊びであったが、決して戦争を揶揄するようなものではなく、
ただ時局にのっかった子供の遊びであったと補足しておきたい。
さらに「フットテニス」なるものが発明され、放課後の掃除のあと、よく優秀民たちと遊んでいた。
そんな11月の放課後のことである。
いつものように優秀民たちとフットテニスで戯れていると、担任のT先生がやってきて、
「◯◯!ちょっと国語準備室までこいっ!」
と呼ばれた。
T先生は180センチを軽く超す高身長の方で、
入学から卒業までクラス替えのない学校のため、
中学の丸々3年間、お世話になっていた。
「◯◯です!T先生に呼ばれて参りました!」と,直立不動で叫び,
「よしっ!入れっ!」と言われて入室するのは,いつものルーティンである。
T先生の前に立つのと,先生の長い脚が私の臀部に食い込むが同時であった。
「おまえは,いったいなにをやっているんだっ!」
T先生は,珍しくなかなか体罰をしない先生であった。それだけに衝撃であった。
私が呆然としていると,
「いいか,おまえがいっしょに遊んでいる連中は,勉強しなくてもできるんだ」
「おまえは普通の人間なのだから,勉強しなければできるようにはならんのだ!」
頭の中で,何かがはじけた。
(そうか…おれは普通なんだ…)
「先生,僕でも勉強すればできるようになるでしょうか」
「あたりまえだっ!」
「ならやりますっ!」
「やれっ!わき目もふらずやれっ!」
「わかりました!やりますっ!」
それから,私の生活は激変した。
授業の合間に問題集を開き,食事の間も単語を覚え,
電車通学の車内では理科と社会の暗記をやった。
トイレの中で,トイレットペーパに数学の図形をかいて解くなどという,
冗談のようなことまでやっていたのである。
当時のトイレットペーパーは,今と比べるとはるかに硬かったのである。