当時の沼津はまだまだインフラが整備されておらず,

各家庭のおトイレは汲み取り方式,いわゆるボットン便所である。

 

そこに川の氾濫で大量の水が入ってきたらどうなるか…。

 

父と私たちの間に流れていた茶色いものとは…もはや何の説明もいらないだろう。

 

川が氾濫するということは,そういう危険も伴うのだった。

ただ不潔で悪臭を放つだけでなく,

そこから虫がわき,病気がまん延する。

もちろん各家庭の井戸も長期間使用不能になる。

 

生家の襖に残っていた茶色い模様は,まさにその汚水の跡であった。

 

下水道の完備された現代の日本に生きることができたことは,幸運であると

心底そう思う。

 

 

しかしながら,なぜわずか生後3ケ月の記憶が残っているのか。


おそらくあとになって大人たちから聞いたことが頭の中で映像化され、

何度か夢に見たりすることで記憶として固定されたのではないか。

…などと考えつつ、次の記憶をたどるのであった。