父の着替えが終わるまで,ホールで待っている間,

「入院診療計画書」と「退院支援計画書」にサインする。

今頃になって,計画書と言われても…などと思う余裕もなく,

いわれるままにサインする。

 

3時ころ,葬儀社のS氏がきて,これから先の予定を教えてくれる。

父の遺体はこれから葬儀社の遺体安置所に安置され,葬儀の日を待つことになるのだ。

 

S氏は私より高齢らしく,名刺を取り出す手が震えていた。

説明もあまり明瞭ではなく,会話がしょっちゅう断絶する。

ちょっと心配だったが,ここは任せるしかない。

 

そうこうしている間に,父の準備ができたらしい。

医師の死亡診断書もできあがり,父はきちんとストレッチャーに乗せられいた。

こんな夜間でも,父のために動いてくれる人が少なくとも5人以上いるらしかった。

実に大変な仕事である。

生まれるときは,薬で陣痛を調整することもできるが,死は時間を選んでくれない。

 

来たときと全く違うエレベーターがあり,そこに案内される。

これは亡くなった人を霊安室に運ぶ,専用のものだ。

 

3時35分,父は霊安室に入った。

顔を覆っている布を取ると,さっきとはまるで違う穏やかな表情の父が現れる。

きれいにしてくれてよかったね。

でも,鼻毛がすごいことになっている。葬儀社になんとかしてもらおう。

 

父の遺体を傍らに,葬儀社の車で実家まで送ってもらった頃には,

空がうっすらと白んできていた。時刻は4時である。

マンションの下で父と別れ,実家に戻る。

完全に夜が明けるまで,ベッドの上でとにかく体だけでも休めようと仮眠する。