時事通信 [11/17 18:13]
1614~15年の大坂の陣で活躍した豊臣方の武将で、「大坂城五人衆」として知られる後藤又兵衛の討ち死にの様子を記した書き付けが見つかったと岡山県立博物館が17日、発表した。
又兵衛の配下だった金万平右衛門の子孫宅で発見され、負けた豊臣方の史料は貴重という。
同博物館によると、又兵衛は大坂夏の陣の道明寺の戦いで傷を負い、配下に首を討たせたと伝えられる。書き付けには、豊臣秀頼から拝領した脇差し「行光」で首を落とした様子や、討ち死にの証拠として、又兵衛の折れた「指し物」を小姓が秀頼の下に持参したことが書かれている。
又兵衛の最期を記した史料は複数見つかっているが、秀頼への報告や脇差しの拝領は初めて判明したという。
同博物館の内池英樹主幹は「脇差しをもらっていたのは、又兵衛が秀頼から信頼されていたことを示す史料の一つだ」と評価している。
書き付けは25日から来年1月15日まで、岡山市の同博物館で展示される。
大変貴重な資料の発見ですね。
後藤又兵衛(基次)は黒田家を追われてからは苦しい時を過ごしましたが…
武将として復帰出来ただけではなく、秀頼公から脇差しを拝領されるとは思いもしなかったのかも知れませんね。
討ち死にの報告がされたという事は、豊臣家にとって又兵衛が如何に重要な人物だったのかが再確認出来ますし、その時の秀頼公の心中はどのようなものだったのでしょうか。
負けた側からの資料の方が、ある意味リアリティーがあって興味深いです。