作品ぜんたいがよくなるための | プルバックミニカー

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早さきえこ個人ブログ ecominicarうた担当 お芝居もやります

学生演劇観てきました!
新歓公演だったのですが、受付で新入生に間違われはしゃぐ大人二人(26&27)

「新入生じゃないんですよ」と言ったら更に
『じゃあ学年だけ』
まだ学生でいけるのねるんるん


なんて、こんなことで喜ぶこと自体………


さてさて。
まあ、大学の演劇サークルなので、内容には触れませんが(うちの子がよかった)

なんか演劇学校時代を思い出しまして。

私の所属するプラットフォームのいいなと思えるところは、稽古を積んでたくさんシェアすることでみんながうまくなる、みんなが気付きを得るところにありまして。

昔所属してた劇団とかでは
「勝手にうまくなれ、個人で努力しろ」みたいな風潮がありまして。
うちの劇団だけでなく、どこもそんなかんじだった気がする。だからそれが当たり前なんかなーと思ってたし、稽古場は、家でどれだけ練習したかを披露する場でした。

個人技合戦のようになってたと思う。
(や、演出家には反論もあるかもだけど、私は今振り返ってそう感じる)


自分が一番いいと思われたい、みたいな欲があって(私にも)、特に学校とかだと、自分が抜きん出たいし、自分がうまくなるために、どんな気付きを得たかとかってあんまりシェアしなくて、自分よりうまくなられたら困るなあって思ってたんじゃないかな、みんな。

だから誰がうまくなったとか、思っても言わないのかもしれないし。元々興味ないのかもしれないし。



私は、自分の演技が、ある一定の時期(もっと言えばある瞬間)から変わった自覚があって。
でもそれをはっきり言ってくれたのは、いつも劇団の美術プランをやってくれてた人、ただ一人だったのですよ。
『前回までと違ってすごく変わったね、別人のようだよ』

お客さんにも何人か「うまくなったね」というようなことを言われましたが、このステージから、という言い方はそのひとだけだった。

劇団のひとたちは、言わなかっただけなのか、それとも他人の変化など気づかないのか、そもそも興味がなかったのか?
そこが気になる。
私は美術さんの言葉にすごく救われた。
自分の気付きなんて価値がない、こんなに変わった体感があるのに誰の目にもわからないんだって絶望があったんで。

もっと、見てほしかったな。
褒めなくてもいいから、スルーじゃなくて、ほかの。



あれ?
愚痴になっとる。


そうじゃなくてですね、つまり、「もっと自由にやれよ!」なんて怒鳴るんじゃなくて。
個人の、他人の問題、それが解決されないとき『アイツ下手だから』と笑うんじゃなくて。

なぜできないのか原因を突き止めて、それをシェアしみんなで考えるほうが、全体にとっていいはず。
でも現実問題不可能なんですよね。
台本の公演は、やることがたっくさんあるから。
段取りつけたり、音楽にあわせたりセリフ覚えたり、それでひと月使ってしまうから、演技のクオリティとか言ってらんない。
だから元々うまい人を使いたいし、そうでないひとは必死に食らいつかないと置いてかれる、ほっとかれる。

ダメだしも褒め出しもされなくなったり。



インプロの稽古はだから、すごく効率がいいと思う。
私の演技が変わったきっかけはインプロにありまして。
今思うと反省点だらけの5人チーム「一級河川」でインプロ・ワークスさんのシアタースポーツに出演したとき。
ああ、これはほんとに台本芝居をやる人のためのトレーニングなんだ!と気がつきまして。

それまで半信半疑というか。わかってなかったんですねー。
だからインプロやる意味ねえからやめろとか劇団主宰に言われたとき「無駄じゃないと思います」と反抗してやめずにいてほんとよかった。

あれ?また愚痴に?



インプロのパフォーマンス、は、またちょっと違う話なんで今日は触れませんが。
でもチーム単位でインプロやるってすごくいいことだと思う。
台本において飲みが重要とされているけど、チームで稽古する一年は、同じ回数のみに行くのよりももっと濃密で深い気付きと話ができるだろうなと思う。

全体の底上げ、作品のレベルアップ。
自分がよかったと言われたい、にとらわれず、そのことを考えているひとは、すべての演劇人口のなかでいったい何割いるんでしょうね?

ぼんやりとあの常識の中に埋まらなくてよかった。
いい作品をつくりましょう