Twitterに書きなぐったものを少しまとめます。
言葉について。
言葉の意味合いは変化する。
単語とかね。
長い時間をかけて意味そのものも変わる場合もあるし(日本語として、定義が変わる)、もっと小規模な単位では、自分の中では毎日違う。
例えば昨日の『好き』と今日の『好き』。
込められる気持ちも意味も、毎回同じではない。
言葉という手段自体が、非常にざっくりしてるなーと思うわけです。
逆にに非言語の、大参暗黒(暗黒舞踏×音楽の、私も参加することのあるパフォーマンス)や、絵画のほうが、共有できるかどうかは別にして、作者の思いをダイレクトに表現してると思う。ダンスとか。ダンスは、誰がみてもダンスだから。
『解釈が違う』という点では、言語も非言語も、あまり変わらないのだけど、言語は、共有できたと思い込んでしまうことがきもちわるいわけで。
伝えようとすることが悪いのではなく、私は言葉や文章はすごく好きですが、共通認識なんて本当はなくて、なんとなくしかわかってないんだってことに気がついたほうがいい気がする。
えらそうな言い方ですけど(笑)
同じものを見て、言語のなかで『同じように感じた』と思っても、一緒ではない。
人が『わかる!』というときは、自分というフィルターを通しての話。
勿論、それしかないし、それでいいんだと思います。
そのなかでの歩みより、寄り添い。
わかりあおうとする行為はなにより素晴らしいとは思います。
その中で、すこし悲しいけど、永遠に重なることのない部分にすこし、思いを馳せます
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