どうも、桐ヶ谷です。
ぼくは実はまだ大学生。
大学4年の4月から休学し
もうすぐ1年が経ちます。
ちなみに今年から復学して
また学生をはじめます。
「就活とかどうするの?」
「将来どうしたいの?」
「やりたいことはなに?」
とか聞かれることはありますが
別になんでもいいじゃんって思います。
昨年、自分の中で激動の1年を送ってきました。
当たり前に思っていたことが
当たり前じゃなくなり、
いかに常識がおかしいか
大人が話していることは
どこか矛盾していて
なんかどうも腑に落ちない。
これまで変な人、頭おかしいと思ってた人たちの方が
なんの変哲もなく何も考えることなく
ただただ与えられた毎日を過ごしている人たちよりも
明らかにキラキラ輝いていて
素敵で魅力的な人たちだったということ。
みんなと同じがいかに恐ろしいか。
自分が自分じゃなくなっていく感じ。
ぼーっと何も考えずただ毎日を過ごすのは
正直ラクなんだけど
それが後々になって
どれだけ自分を悲しませるのか
いろんな出会いや経験によって
様々な価値観や考え方に触れることができたぼくは
この1年とても幸せだったと思います。
その一方でいろんなものを失った気がしなくもない。
友達が自分の中では一番大きいかもしれない。
みんなが就職活動をしていく中、
自分一人休学をし、ビジネスをしている
そんなぼくをネットから見ていた友達は
ぼくのことをどんな風に持っているのだろうか?
正直真相はわからないが
大学の友達が
「卒業式とサークルの追いコンにはちゃんとこいよ!」
そう言ってくれた。
ものすごく嬉しかった。
その場に行ったらどうなるかわからない。
もしかしたら省かれるかもしれないという不安が
心のどこかである。
だから今までみんなと連絡を取ることは避けてきた。
でももう終わりにしよう。
一度人間関係もスッキリさせたい。
この1年間、自分がやりたいように走り切ってきた。
そんなぼくを見て友達はどう思うだろうか。
どう思われようと
自分が蒔いた種だから
受け入れようと思う。
これが自分が今までしてきた行いに
責任を取る姿勢なのではないかと思っている。
また仲良くしてくれるといいな。
こう書いて思うのは
自分が相当寂しがり屋なんだなってこと。笑
でも人間そんなもんだよね。
寂しいもんは寂しい。
寂しいから群れるし
寂しいから常に集団行動をする。
寂しいからみんなと同じことをする。
そうすればなんとなく安心だから。
でもぼくは気付いた。
気付いてしまった。
そこに自分の感情はない。
本当はこうしたい、ああしたいという
自分の感情を押し殺して周りの目線を伺って
差し当たりのない行動をする。
もしくは周りの目線を気にして
その目線をこちらに向けるために
何か面白い言動、アクションを起こす。
そして笑いを取ろうとする。
まあ確かにそういうのもありだろう。
別に悪いことではないと思う。
でもなんか違う気がした。
だからあえてこの1年は
孤独になるであろう道を選んだんだ。
そうしないと何か自分の中で変化を起こしたい
そう思った時に何もできない自分でいるのが嫌だったから。
ぬるま湯に浸かっていたら
成長することはできないと感じたから。
だからあえて苦行になるであろう道を選んだ。
けどその結果感じたのは
時にはそのぬるま湯も必要である。
熱湯にずっといたら
のぼせてしまうどころか沸騰してしまう。
だからたまにはぬるま湯も必要なんだなって思った。
けど今もしあなたが
今の自分に満足しているのなら
それは正直危ないと思う。
「この感じでいいや」
そう思った瞬間から
成長は止まり始める。
怖い。
ぼくはそれが何よりも一番怖いと思う。
そんなことにはならないように。
あなたも一生懸命今を生きてみてください。
なんでもいい。
例えば仕事をしているのなら
仕事でこなす作業を5秒
いつもより早く終わらせるとか
わかんないけどなんでもいい。
なんでもいいからあなたにとって
新鮮なことを毎日してみてください。
そうすると新しい何かが見えてくるはずです。
ではまた。
最後までありがとうございました。
ぼくは実はまだ大学生。
大学4年の4月から休学し
もうすぐ1年が経ちます。
ちなみに今年から復学して
また学生をはじめます。
「就活とかどうするの?」
「将来どうしたいの?」
「やりたいことはなに?」
とか聞かれることはありますが
別になんでもいいじゃんって思います。
昨年、自分の中で激動の1年を送ってきました。
当たり前に思っていたことが
当たり前じゃなくなり、
いかに常識がおかしいか
大人が話していることは
どこか矛盾していて
なんかどうも腑に落ちない。
これまで変な人、頭おかしいと思ってた人たちの方が
なんの変哲もなく何も考えることなく
ただただ与えられた毎日を過ごしている人たちよりも
明らかにキラキラ輝いていて
素敵で魅力的な人たちだったということ。
みんなと同じがいかに恐ろしいか。
自分が自分じゃなくなっていく感じ。
ぼーっと何も考えずただ毎日を過ごすのは
正直ラクなんだけど
それが後々になって
どれだけ自分を悲しませるのか
いろんな出会いや経験によって
様々な価値観や考え方に触れることができたぼくは
この1年とても幸せだったと思います。
その一方でいろんなものを失った気がしなくもない。
友達が自分の中では一番大きいかもしれない。
みんなが就職活動をしていく中、
自分一人休学をし、ビジネスをしている
そんなぼくをネットから見ていた友達は
ぼくのことをどんな風に持っているのだろうか?
正直真相はわからないが
大学の友達が
「卒業式とサークルの追いコンにはちゃんとこいよ!」
そう言ってくれた。
ものすごく嬉しかった。
その場に行ったらどうなるかわからない。
もしかしたら省かれるかもしれないという不安が
心のどこかである。
だから今までみんなと連絡を取ることは避けてきた。
でももう終わりにしよう。
一度人間関係もスッキリさせたい。
この1年間、自分がやりたいように走り切ってきた。
そんなぼくを見て友達はどう思うだろうか。
どう思われようと
自分が蒔いた種だから
受け入れようと思う。
これが自分が今までしてきた行いに
責任を取る姿勢なのではないかと思っている。
また仲良くしてくれるといいな。
こう書いて思うのは
自分が相当寂しがり屋なんだなってこと。笑
でも人間そんなもんだよね。
寂しいもんは寂しい。
寂しいから群れるし
寂しいから常に集団行動をする。
寂しいからみんなと同じことをする。
そうすればなんとなく安心だから。
でもぼくは気付いた。
気付いてしまった。
そこに自分の感情はない。
本当はこうしたい、ああしたいという
自分の感情を押し殺して周りの目線を伺って
差し当たりのない行動をする。
もしくは周りの目線を気にして
その目線をこちらに向けるために
何か面白い言動、アクションを起こす。
そして笑いを取ろうとする。
まあ確かにそういうのもありだろう。
別に悪いことではないと思う。
でもなんか違う気がした。
だからあえてこの1年は
孤独になるであろう道を選んだんだ。
そうしないと何か自分の中で変化を起こしたい
そう思った時に何もできない自分でいるのが嫌だったから。
ぬるま湯に浸かっていたら
成長することはできないと感じたから。
だからあえて苦行になるであろう道を選んだ。
けどその結果感じたのは
時にはそのぬるま湯も必要である。
熱湯にずっといたら
のぼせてしまうどころか沸騰してしまう。
だからたまにはぬるま湯も必要なんだなって思った。
けど今もしあなたが
今の自分に満足しているのなら
それは正直危ないと思う。
「この感じでいいや」
そう思った瞬間から
成長は止まり始める。
怖い。
ぼくはそれが何よりも一番怖いと思う。
そんなことにはならないように。
あなたも一生懸命今を生きてみてください。
なんでもいい。
例えば仕事をしているのなら
仕事でこなす作業を5秒
いつもより早く終わらせるとか
わかんないけどなんでもいい。
なんでもいいからあなたにとって
新鮮なことを毎日してみてください。
そうすると新しい何かが見えてくるはずです。
ではまた。
最後までありがとうございました。