次男坊の修学旅行があるのですが、2日間は班行動。(そのメンバーでホームステイもする)
私が驚いたのはメンバー決めは全て生徒に一任で、クラス跨いでもOKと言うこと
自由...
今はそれが普通なのか??
長男の頃はちょうどコロナ禍で行事がほとんどなく、あっても日帰りだったし。
けどグループ行動する場面も少しはあったはず。私が知らなかっただけでそう言う決め方だったのかも。
グレーな長男は人知れず耐えていたのかも?
で次男坊の話に戻りますが、
そのお陰でクラスが分かれてしまった仲良し2人と一緒のグループになれて、修学旅行が楽しみで仕方がないみたい
それは良いのだけど、あぶれた子は居ないのかい?って即座に考えてしまった
わたくし事だけど、
中学1年の冬。小学校高学年で転入生だったこともあり、クラスになかなか馴染めず(小学校から中学校は持ち上がりの地域)やっと同性の友達を数人作れたのですが男子と話をするのが苦手でおとなしい生徒でした。
そんなある日、ベテラン教師の国語授業で
「1人ずつ音読をするぞ。次に続きを読む者は指名制だ。異性の友達を選びなさい。クラス全員が読むからな!」
男子の誰ともほとんど会話したことがない私は、案の定誰にも指名されず最後の1人に。恥ずかしくて泣きそうでした...
今でも瞬時に頭によぎった40年以上前のこのエピソードって、当時の心の傷の深さをそのまま表していると思うんですね
中学生の多感な時期だからこそ、大人にはもう少し想像力を働かせて欲しかった
the 昭和
それから、そのベテラン教師が国語を教える違和感を払拭することは出来ず、教師を尊敬どころか、結果その教科を苦手としてしまった私
で、また次男坊の件に戻ります。
とは言え、きっと先生にも考えがあるのだろうし、中学校の中で起こっていることは親には計り知れないもの
大人への階段を登るこの時期
親に出来ることは何だろう
寂しい思いをしている子に気づいたら声を掛けてあげたいね
とだけ伝えました
これこそ、わたくし事なのですがあの中学生の頃の私のその後
おとなしかった私にはとても近づきがたい今で言う陽キャで、いつもリレーで1位のちょっとキツめの女子が、ノートをやぶって書いた手紙を私にくれたんです(これもthe昭和。交換日記同様、はやってました笑)
そこに
「〇〇(私)の笑顔はひまわりみたいだね」
とだけ
って小っ恥ずかしい内容
私にはガサツに映っていた彼女は実は誰よりもデリケートで優しい子だったのかも知れない
あの国語の授業での、私の気持ちを察しての彼女の思いやりだったのだと思います
あの手紙のおかげで元気が出たのは言うまでもありません
人を外観だけで見てはいけないと気づいた出来事でもあります
そんな彼女でしたが、20代の頃、癌で亡くなったと風の便りで知りました...