現場は群馬県上野村御巣鷹の尾根、日本航空123便墜落事故から23年が経ちました



生存者は4名、520名の尊い命が失われた、国内航空機事故としては最悪のものでしたが、事故原因には未だに疑問の声もあります。

しりもち事故におけるボーイング社の修理ミスを起因とする、圧力隔壁の金属疲労による破損が原因で、垂直尾翼の一部が破壊され油圧系統システムが失われ、操縦不能になったというのが事故調査の結論です。


それでも異常発生から32分間、迷走しながらも飛び続けた123便のクルーは精一杯の力を尽くしたのだと思います。

事故現場の特定に時間がかかった日本政府に対して、現場に一番早く到着したのは米軍ヘリ、事故から2時間後のことでした。
乗客救助のため隊員の降下準備が整うも、日本政府の許可が下りずに現場から立ち去る。

その後到着した自衛隊ヘリは夜間危険という理由で救助を翌朝に。結局現場に最初に到着したのは、早朝徒歩で入った地元消防団でした。事故発生から14時間後も経過していました。生存者の証言によれば、墜落時には他にも生存者がいたとのこと・・・
当時の防衛庁、運輸省、警察庁、消防庁の縦割り行政の弊害が指摘されました。


そんな折、この事故を新聞記者からの視点で捉えた映画『クライマーズ・ハイ』を見てきました。

080812

 

 

 

 

 

 



舞台は群馬県の地方新聞社の編集局。
事故の一報から、現場に徒歩で乗り込む地元記者。大手メディアの情報装備の格差との葛藤。でも地元群馬県で発生した空前の大惨事を目の前に、地元紙として伝えるべき事はなにか・・・

事故原因のスクープ記事を1面トップに差し替えるか、その情報の信頼性はあるのか?
チェック、ダブルチェック。
締め切時間がもう目の前、決断を迫られる。
そしてその決断は正しかったのか。


事故直後の現場は壮絶だったことを想像すると言葉も出ませんが、犠牲になった方々、ご遺族の方々には心よりご冥福をお祈りいたします。

そして日本航空123便が事故の翌月から日本の空を飛ぶことはなくなりました。