時間がなくて満足のいく仕事が
できない不満
VS
暇をもてあます恐怖感
3年前から徐々に忙しくなり、直近の2年間はもう目が回るようでした。
それでも、いわゆる時間管理といわれるようなことは 特にしっかりやったし
何を書いているかわからなくなるほど真っ黒になったスケジュール帳は
一年の途中で買いなおすこともあったほど。
最後の1年は、例え時間があろうとも、会いたくてたまらない友人や
知人との貴重な時間でさえ、体力勝負に
勝てる気がしなくなり 足が向かなったんです。
何事にも、一点集中ではない私のようなタイプは
多くのことを同時進行で両手いっぱいに抱えていることも珍しくなく
当然 そこにはタイムリミットがあり
それを停滞させないようにすることで
自分は着実に前に進めているんだというある種の
自分への慰めも忘れてなかったように思います。
そんな生活からようやく抜け出しそうな 令和2年の春
まさにコロナと重なりあって
すっかりカンが狂ってしまい
以前よりも時間があるはずなのに
倦怠感と頭重感の2か月余りを経験しました。
それもどうにか乗り切り 今度こそ ようやく出口が見えそうな今
まさかの内省・・・・
結局 行きつくところはここで、つまり自分の内側
この3年 感じていたはずの
時間がなくて満足のいく仕事ができない不満
もちろん よくやった!と自負する自分もいますが
アクセル全開で走ってきたのに 止まるのが怖い?
よーく じっくり 内省すると止まるのが怖いのではなく
むしろ止まりたいと感じているのに気づきます。
本当はとっくに気が付いていたように思います。
一度 完全停止してみたい。
とは言え、そうもいかない現実があり
ゆっくり動くのに耐えられない!! ことに気付く
つまり これです!
暇をもてあます恐怖感
これが一体何を意味するのか 何を象徴してるのか
そこには、自分が何を大切にしてきたか ではなく
何を遠ざけてきたのか、何を避けたかったのか、
最も自分の何を見たくなかったのかが 濃縮して
詰められている気がします。
結局 その世界は 自分の内側を表しているだけで
自分の中で起こっていることが 目の前の事象に表れている
だけなんでしょうかね (*'ω'*)
となると・・・
暇をもてあます恐怖感ではなく
恐怖感を感じさせないためのスケジューリングだったのでしょうか
ここへきて 最近
あいつが! あの人が! あの状況が!と
思ってしまうような状況が…いあ、今も実際に思ってますが(; ・`д・´)
それは 自分の内側にあるものが 目の前に何らかの形をまとって
表れてると考えられないでしょうか? って、誰に聞くわけでもなく
当然、自問自答してます ((+_+))
誰かのせいにしてみたところで 結局 自分の中の何かが
目の前の誰かになって 自分に警告しているだけなんでしょね。
だとしたら無理に戦わなんでもいいでしょうに!!
しかしながら 逃げたところでですよ!
1度や2度すり抜けてかわせたところで
どうせ 忘れたころに きっちり 第2派 ・ 第3派が表れて
肩を落として 停滞する自分の姿が目に浮かぶだけです。
ヒントはきっとここにある。
自分が最も避けたいものが詰まってる。
自分でも口にするのはさすがにしんどいほどの避けたい何か。
まぁ、自分自身の姿であるのは間違いなさそうですが・・・
ほな・・・・どうしましょうか
どうすれば どうゆうことをしている自分なら
この感情を抱かなくてすむのか?
私はどんな状況を避けたいと思っているのか?
どんな自分なら落ち着いて顔をあげ続けられのか?
ここで言う顔をあげるとは、あいつ!とか あの人!とかと
じっと落ち着いて視線を合わせられることだと
今の時点では理解しています。
ちょっと 大きく見せている自分とか、見せることに成功している自分とか
後は、自分の声でしゃべっていないとき(わかるかな?これ (笑))
自分が最も落ち着きを保ったときの声ってあるんですよ
本当のことを話してるとき(結局 できることだけをやっているときです)
そんなときは おそらく思わず目線を外したくなるなんてこと
ないんでしょうね。
時間がなくて満足のいく仕事ができない不満
なんというか・・・誰かに喜んでもらえるようにとか
そんな働き方ばかりではなく
満足のいく…誰が?
つまり自分が!なんです。
自分が満足のいく仕事をしてるとき
最もおちついた声で話している自分が想像できるように思います。
自分自身の価値観において
誰かを満足させるように
不満がでないように
疑問を持たれないように
仕事をしてきたのかもしれない容疑がかかっていますが(笑)
最も自分の声で話せるようにもう少し内省の時間を
続けてみます (笑)
~ 休憩 ~