知り合いの。。といっても残念ながら会ったことはないのだけれど、
ブロガーさんがご結婚されるそうな。

ずいぶん悩まれた様々が叶ったようで、とても幸せそうだ。
良かった。。



“君はその人ではないから、その人の期待とおりにはできない。

その人からすれば、ズレや期待外れと感じることもあるだろう。
それをあからさまに言われるのは辛いと思う。

けれど、君と彼の目標は同じだろう。

今までとおり君は君の思うようにやれば良い。

彼はそれでずいぶん助かっていると思う。

気づいているかどうかは別にして。”


同じ仕事をしている上司と意見があわず、

なかなか上手く仕事がまとめられず悩んでいるのをみていた
先輩が言ったことば。


私は多分、このことばで救われた。




“結婚相手に恋愛するのは難しい。”

とある女性作家のことば。



人が人を好きになることはそう難しくない。。
そこに期待が裏切られる可能性は少ない。

好きな人との幸せな生活を想像するのは楽しい。
それは期待を膨らませるだけの作業。裏切られることは考えない。



けれど、好きな人と、生活についての決め事を話合うのはとても苦しい。


そのときに、人は


恋愛相手に対する期待と、

生活相手に対する期待との明らかな違いに気づく。




恋愛相手は、自分の一方的な期待に応えようとするけれど、
生活相手は、自分の一方的な期待では、なかなか応えようとしてもらえない。


そういう違い。



ともすれば人はこの違いに躓いてしまうこともある。



結婚にあまり意味を思っていない私には、

この期待を違えてまで結婚するということは、
とても大変な作業のように思える。
それでも生活を共にしようと決めるのは何故なのだろうかとも思ったりもする。


だからそうして進むことを決めた人達をみると、凄いなぁと思う。




相手との生活を穏やかに生きていきたいという目標が同じで、

互いにそれぞれの思うとおりに生きていけば、

期待のズレは問題にはならないと、

互いに互いを信じられたお2人。。


おめでとうございます♪末永くお幸せに♪




pukuの一夜一夜に人見頃-お幸せに♪

ずいぶん遅いですが、やっと先々週の京都レポート♪


もみじ狩りは秋の恒例行事。
毎年最終週のうち一日は休暇が許されています。(個人的に)


数日前の東京出張の帰りに“そうだ、京都に行こう”のポスターを見て、
三千院に行きたいなぁと思って無理矢理予定を組んだ京都旅行。。



今年はクラウを預けたり読書会があったりで、
あまりゆっくり紅葉を楽しむ時間がない。。



大原まで行くのは時間的に難しいので諦め、
京都駅からまずは三十三間堂へ。


千手千眼観音が居ならぶ大きな御堂。
古都を訪れた感慨に浸れるこの場所。。

京都に行くと必ず訪れるところだけれど、紅葉はあまり楽しめない。。




さて、紅葉と言えばもみじの永観堂。

古僧永観所縁の御堂と見返り菩薩を拝んでから庭園へ。



もみじは見ごろを少し過ぎたくらい。
平日ということで少し人波は落ち着いた感じ。



pukuの一夜一夜に人見頃-永観堂


ひとしきり楽しんでから詩仙堂へ。


詩仙堂は武将の隠居。本当はとても侘びた静かなところなんだろうけれど
こちらはあまりに人が多い。。

数十人が並んで縁側に座る順番待ちをする風景には
風情の欠片も感じられず…。。早々に退散する。



道すがら?東福寺を訪れたところで夜は更ける。


pukuの一夜一夜に人見頃-東福寺


ライトアップもみじは諦めて大阪へ。


今回の旅行の目的の一つ。学生時代の相方に会いに行く。




彼女と2人で会うのは、ちょうど3年ぶり。
今回は彼女のご家族の不幸を伝え聞いて、連絡をとった。


食事をしながらしばらく話込む。


相変わらず話が好きで、
相変わらず美味しいものが好きで、
相変わらず人に気を使ってばかりいる。



少し痩せて、
少し服装の趣味が変わり、
少し、難しい顔をして自分の悩みを話すようになった。



親しかったときから6年経ち、
思い出話よりも今の話を普通にできるようになったけれど、


自然と、昔と比較してしまう。
幸せかどうかが心配になる。




写真を撮るのが好きな彼女は、どこかで同じJRの広告を見ていて、
三千院のもみじが観たいと言った。


春に出会い、数年を過ごし、梅雨の晴れ間に別れた彼女とは、
秋と冬の思い出ばかり楽しく映る。


そういえば3年前に再開したのも、三千院のもみじの辺り。
変わらない姿に少し安心した。





翌日は大阪を少し散策して一路名古屋へ。
あっという間に終わった京都レポートでした♪

pukuの一夜一夜に人見頃-大阪城




家に帰って、ペットホテルで寝られなかったのか不機嫌極まりないクラウ君の機嫌をとる。.
君は少し大人になりなさい。。



pukuの一夜一夜に人見頃-ふんっ。。

月に1回程度、月曜会という読書会に参加しています。

課題本を読んできて、本の世界観などなど話をする会。


11月19日の課題本は中村うさぎさんの”愚者の道”♪



中村うさぎさんと言えば、破天荒な生き方が有名ですが、
とてもとても自分を客観的に分析される方で、
その自分の破天荒ぶり(あとがきでは放蕩息子といっていますが)
の意味を、客観的に分析されたものがこの本。。

テーマは自己実現。。幸福論にも通じるように思います。。
以下、小難しい書評。。♪

興味のない皆様は読み飛ばしていただいて、
散歩中のクラウ君をお楽しみください♪


pukuの一夜一夜に人見頃-ん?




自分に意味を求めて思い悩むことも、
特別な存在になりたいと思うことも、
ナルシズムも、


終局は人間が普通に持っている、
”理想の自分に近づきたい”という、自己実現の欲求なのだと思う。

けれど理想は日々姿を変える。
このときの理想は、むしろ妄想と呼ぶべきなのかもしれない。

妄想を満たすことは不可能であり、
だからこそ人は、常に不完全感を抱えて生きている。

うさぎさんは、その妄想を満たすために、
整形手術をしたり、ホストに何千万とつぎ込んだり、
ブランド品を買い込んだり。。欲望を次から次に叶えていった。。

けれど、欲望は尽きず、不全感は消えなかった。。
妄想は次から次に姿を変える。。


妄想が妄想であるということに、
あるいは、
自分の理想どおりになることが生きる意味ではないということに、
気付くことができたときに、

人は、確固たる自分の理想の姿を、
あるいは、
なくしてはいけない自分の価値を、
見つけられるのだと思う。

それさえ持っていれば、
たとえ妄想に踊らされたとしても、
自分の理想に帰り着くことができる。
価値の多寡に絶望することもなくなる。

そのことを自分の中の客観的な自分に気付かされれば、
それはきっと悟りと言われ、
他者から気付かされれば、
それはきっと救いと言われる。

人は誰も、いつの間にか悟りや救いに出会う。
それまでの人生を、この本のタイトルである愚者の道と呼ぶのかもしれない。。

うさぎさんは、他者(旦那さん)に認められることで救われたという。
けれど、彼女は幸せになれたとは言わなかった。
幸せの青い鳥が家にいたとは言わなかった。
書中でうさぎさんは”幸福”を諦めている。
愚者の行く先に幸福はないと言った。

しかし、幸福というのは、そんなに特別なものではないと私は思う

雨が続いた後、快晴の空を見たとき、
重い重い病から立ち直ったとき、
地獄のような苦しみから解放されたとき、
何もない日常に喜びを感じる。
苦しみを振り返り、今の時間に生きる意味を感じる。

青い鳥は辛いたびの後でしか見つからない。。
幸せは比較論。。私はそう思っている。。

いつからか、映画のDVDを借りるのが毎週末の習慣になっている。。

本を読む時間は少し減ったけれどそれはそれで楽しい時間。。



“死神の精度”(内容がわかってしまうかもしれません。ご注意を♪)


とある法務大臣が死神と呼ばれた時より少し前の映画。

白い手袋に傘をもつ雨男の死神は、
時間を駆け、不慮の死に直面する人に会いに行く。

死を“可”とするか“見送り”とするかの判断を下すため。。

彼の判断基準は、“その人がやり残したことはないかどうか。。”

対象者と話をして、7日間、その生き方をみて、悩み、決断する。
生か死か。。


原則は”可”。。
しかし1件の”見送り”が人の運命を動かしていく。。
人が生きることはその周りの人に大きな影響を与える。
死神は その人の人生だけを決めるのではない。。




来年から裁判制度が大きく変わるそうな。
市民は裁判員として司法の判断に係る。

裁判員の判断基準は明らかでない。
求められているのは”世間の常識からみた妥当な判断の確保”。。


罪を犯したかどうかすら確信できない人間が、
罪の重さを計り、対象者の将来の時間にあてはめて罰を決める。
時に神様も迷うような判断を迫られる。。

選ばれた人は、その罪悪感に耐えていけるのだろうか。




今までその罪悪感に耐えながら判断を下してきた裁判官は、
“他者による多数意見”という、
今までと違った判断基準を持たされる。

自身は罪がないと信じる人に罰を与えなければならないこともある。
呵責に耐えながら。。




その罪は誰の罪か。どの罰がふさわしいか。
人の将来・その人の家族の将来・その人の友達の将来・・・
何を考えれば何が妥当になるのか。
多分人間に答えは解らない。


法務大臣としての職務を行なった彼と同じように、
誰もが死神と呼ばれるかもしれない。

誰もそんな役目を負いたくはない。


それでも人の世には、罰が必要だと思う。
神様だけでなくて人が判断した罰が。。



そんなこんなを考えさせられた映画でした♪
主役の金城武を瑛太だと勘違いして見てた私。
似てない?


写真はそんな難しい人の世の制度には全く興味のない顔のクラウ君♪


pukuの一夜一夜に人見頃-へー。。

暑がりの私は夏には例外なく夏バテし、
木枯らしの吹き始めるころは
一年で一番体が弱っている。。

風邪もひくし食欲もない。。
でも天気が良い日が多いので、
ついつい無理やり旅行に行ったりする。。

結局、体がついていかなくなって、
いつしか風邪引いて熱出して寝込む羽目になる。。

今日はそんな日。。
朝から読書とDVDを見て過ごす。。

<陰日向に咲く>

人生の山や谷に対面して、
向き合って越えていく人なんていうのは、
まず居ないと思う。

少なくとも、皆必ず踏みとどまって迷い悩み
あるいは他の道を探しながら仕方なく歩みを進める。

この物語は、人生の山や谷において、
ごまかしながら生きていくか、
あらぬ方向へ逃げていくか、
後ろを振り返って余所見をしている人たちの物語。

主人公はギャンブル好きが高じて借金まみれになったシンヤ。
上司から援助を受けるも、パチンコで使い果たしてしまった。
会社から見放され、取り立てに追われるシンヤは、
オレオレ詐欺で金を稼ごうとする。

私はパチンコはやったことがないし、
ギャンブル好きで道を誤った人を見たこともない。。
けれど自暴自棄になる瞬間というのは覚えがあるし、
自分の生活をどうにか死守しようと
犯罪に手を染めるのも解る気がする。。

同じように私の悩みはこのギャンブル好きの誰かには解らない。
だけど私が自暴自棄になる瞬間は解ってくれるはずだ。

皆、自分の人生で必ず自分の悩みを抱えていて
それに真っ直ぐに向き合おうとはしていない。
人はだれも悩みを抱えながら、
それでも、何とか生きていくんだと思う。


ふーん