母の命日 | ぷくりんのブログ

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アラフィフの気ままな日々の出来事

先日十七回忌法要を終えたけど、今日が母の命日の日です。


母は69歳でこの世から旅立ちました。


昔のことを思い出すと。

私が小学四年生の夏休みまるまる福島の親戚の家に預けられたっけなぁ(笑)

父の長男の家、本家です。

叔父さん、叔母さん、おばあちゃん、いとこのお姉さんのところに私。

その夏は毎日のように妹とあそんでたなぁ。

妹と二人で、お姉さんの職場について行ったりと。

時折り 叔母さんとも喧嘩しながら(笑)

懐かしいなぁ。

今思うと10歳の子供をよく夏休み中ずっと本家に預けたなぁと爆笑


昔、母はよく橋の下で拾ってきたと言われていた私。

そして何故か兄はキャベツから生まれたと言っていた。

意味わかんねー(笑)


昔は土曜日も学校は半日ありました🏫

土曜日に学校から上履きを持って帰ってきて洗わないといけなくて、母も仕事をしていたので土曜日になると上履きを持って帰るんです。

土曜の夜は必ず私は自分の上履きと母の上履きを洗わないといけないのです。

日曜日のお昼は炒飯をよく作ったなぁ私が爆笑

タマネギ🧅コーン🌽レタス🥬炒飯

日曜日の夜は必ず母の仕事の制服のアイロンかけ。

何故か私がアイロンかけショボーン

小学校の高学年から中学と私もよくやったなぁニコニコ

アイロンかけしていると母はよくうたた寝してました爆笑


中学卒業してから高校入学までの春休みにはアルバイト。

当時の日給2,600円だったっけな笑い泣き


高校生になると毎日お弁当だけど、母も仕事していて朝は7時に出かけるので、朝は何故か卵焼きだけ作ってあるんですが、あとは自分で用意してお弁当作る。という毎日です。

そして卵焼きがない時は500円置いてあって、お昼に学校に売りに来るパンを買って食べる。

そして残りのお金で帰りにアイスを食べたり。

懐かしいなぁ。


高校生になってすぐから私も三年間アルバイトしていたのでお小遣いはもらったことないかな。

学校から帰って17時くらいから21時過ぎまでのスーパーのレジ。

18時過ぎると社員、パートさんみんな帰りアルバイト4〜5人だけてやるんです。

スーパーは20時に終わり、それからレジを閉めて店内の掃除。

それはそれで楽しかったなぁ。

家から徒歩五分くらいのスーパーだったなぁ。

当時の時給300円くらい爆笑


アルバイトで教習所🚗行くお金もためて少し足りないところは出してもらい、車🚗を買う頭金出してもらい残りの返済はもちろん社会人になった自分でガーン

少ないお給料から、🚗のローン、保険代、ガソリン代、毎日のお昼代、家に食費一万円入れて、自由に使えるお金は二万もなかったなぁ笑い泣き


懐かしいなぁ

思い出すなぁ

40年以上前のこと(笑)


若かりし頃の母は仕事友達と旅行へいったり、よく食事へいったりとしていたなぁ。

これは私は母似か爆笑


休日にはバスで片道40〜50分かけて街まで行き買い物に付き合わされる。

だってお昼には大好きなお寿司🍣食べさせてくれたから。

当時は廻る寿司なんてないから贅沢にもカウンターに座って好きなものを頼んで食べてました😋


帰りのバスまで時間があると不二家で🍰とかプリンアラモード食べたなぁ。

なんたって田舎なもんだからバスは1時間に1本とかしかなかったし爆笑


晩年は孫たちをすごい可愛がってくれて、一緒によく旅行へもいったなぁ。


母の命日に母のこと昔のことを思い出してみました。