【美しさと醜さの統合。】



リウマチになって

とことん向き合ってきた。



なんで私が?

どうして?



受け入れなれなかった。

受け入れたつもりでも、抵抗していた。



去年、ある方から

リウマチになる人の課題にあるのは

『美しさと醜さ』

という事を教えてもらった。



私自身のリウマチもそうだった。

そして、それに対する過去生も教えてもらった。



そこから

美しさとは?

醜さとは?



色々な角度から自己対話をしたり

インナーチャイルドを癒してきた。



そして

今わかった。



私の今の課題は

美しさと醜さの統合。

醜い自分を赦す事。

受け入れる事。




どうせ私は




醜いから

大切にされない。

愛されない。

人として扱われない。



誰も私の事なんて気にしていない。

だから

『私でなくてもいいんでしょ!!』



過去生の私が

ずっと私を責めていた。

たった今の今まで。



醜いから

愛されない。

大切にされない。

いてもいなくても、どっちでもいい。



美しい人が羨ましい。

ただ存在するだけで

愛される。

大切にされる。



ずるい、ずるい、ずるい。

なんで?

なんで?

なんで?



同じ人間なのに!!




ずっと、ずっと、ずっと

恨んでいた。

憎んでいた。



私は、私の醜さを

ずっと恨んで呪っていた。



だけど、やっと気が付いた。



赦す時がきた。




醜くても

愛されていいよ。

大切にされていいんだよ。



嫌なものは、嫌って言っていいんだよ。




人は

自分の中に

美しさも、醜さも持っている。

共存している。




それなのに

私は、その醜さをずっと否定していた。



だから

頭ではリウマチを受け入れたつもりでいても

心ではリウマチを否定していた。




そしてね。

私は1人じゃなかった。



弟がいた。

ずっとずっと弟がいた。

(今の息子)



1人じゃなかった。



自分のネガティヴなものだけ見て、

不幸だ不幸だと呪っていたけど



側にはずっと弟がいた。



側にある『愛』に気が付かなかったんだ。

ごめんね、ごめんね、ごめんね。



私は、愛されていた。

醜くても、愛されていた。

大切にされていた。




私の中には

美しさと醜さがある。

どちらも私だ。