近畿五芒星


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歴史についてつぶやいています

今のところ

文から弥生時代中心ですが

いきなり鎌倉時代に飛んだり

令和になったりとまちまちです

とにかく浮かんだことを書いてます



    

近畿地方には

単なる都市や聖地を結んだだけではない

巨大な霊的ネットワークが

張り巡らされていることを

ご存知でしょうか?


​それは、

伊勢神宮熊野本宮大社

伊吹山伊弉諾神宮

元伊勢内宮皇大神社という

日本の根幹に関わる

5つの聖地が描く

近畿五芒星(星)のレイライン



​この完璧な結界図

平安時代の陰陽師

安倍晴明の時代に完成したと

されています


しかし、その起源を探ると

日本の古代史における最大の謎

卑弥呼存在

そして

神武天皇偉業

繋がってくるんじゃあないかという

ロマンに満ちた仮説

ぷぅーこには、見えてきます


なぜなら

この近畿五芒星の根幹にあるのは

神武天皇以前

古代史の闇に消えた

女王卑弥呼が創始した

太陽信仰


そんなことから

ぷぅーこには

アマテラス(天照大御神)を

国家の守護神とするヤマト王権が

国土の安寧を祈って設計した

巨大な祈りの形にしか

見えないのである


魏志倭人伝が記す卑弥呼は


鬼道を用い

太陽を崇拝する祭祀によって

広範囲の地域を治めていました


彼女の威信と

太陽の運行を掌握する祭祀の力は

当時の人々にとって

絶大なものであったはず


この偉大な卑弥呼の

モデルになった人物こそが

後に神話で語り継がれる

太陽の神格化された支配者

すなわち

アマテラスであったのでは ないか考えられます


以前、ブログに書いたように

そこには神武天皇の「憧れ」があって

このような結界を

作る事になったんじゃあないかと推測!!


↓前回、書いたブログを読むとわかりやすいかもーッ



どう考えても

​神武天皇が日向から東征を始め

進んでいくうちに

何らかのカタチで卑弥呼を知り

その太陽信仰継承の威光

自らの正統性の基礎に置いて

強く前面に出してきたって感じ


​神武天皇は時代の違いから直接

卑弥呼と出会うことは

なかったと思います

しかし

口伝として語り継がれてきた

卑弥呼の偉業や太陽の権威をもって

国を統治するというシステムには

心から憧れを

抱いていたのではないだろうか?


アマテラス(初代卑弥呼)の権威を継ぎ

次の正統な

統治者となるという意思こそが

ヤマト王権の根幹を築き

後の時代に

アマテラス信仰を

国家神として

完成させる原動力になったのでは?

ぷぅーこは考えています

​卑弥呼から

神武天皇へと受け継がれた

太陽信仰は

単なる口伝に留まらず

役職としての複数の卑弥呼を生み出し

やがて具体的な地理的配置へと

具現化されていきます


近畿五芒星を見てください


​伊勢神宮(最終鎮座地)

​元伊勢内宮皇大神社(遷座の軌跡)

​伊弉諾神宮(陽の道しるべ)

​これらの聖地が

太陽の運行(夏至・冬至)や

神宝の遷座(移動)の経緯を

忠実に反映し

正確な幾何学図形を形作っているのは

偶然ではないはず!!


​古代の権力者による​五芒星という図が

完成したのは

平安時代かもしれません


しかし

その核となる聖地

すなわち

太陽信仰の最も強い場所は

卑弥呼の時代からも存在していました


卑弥呼が

人として持っていた絶大な権威と

太陽信仰を

ヤマト王権の祭祀を司る人々は

既存の聖地を検証し

その国土の上に

永遠に刻みつけようとした


これが

五芒星の起源では

ないでしょうか!!


それを

遅れながらも

平安時代に

高度な天文学的知識を持っていた人々が

陰陽五行思想を用いて

アマテラスの権威を

国土全体で固定化したのです


​これは

都を守る結界であると同時に

私たちは卑弥呼から続く

太陽神の

正統な後継者であるということを

大地に刻み込んだ

巨大な宣言図

なんだと、思っています


天皇は万世一系であるという

皇室のアイデンティは

まさにこの時代に

安定したんだろうなぁ


この壮大な宣伝図を

地図で眺めているとき

ぷぅーこは、もうひとつ

古代史のロマンに満ちた疑問に

ぶつかってしまいます


レイラインが描き出す

五芒星とは違う

新たなちいさい五芒星という

結界図


伊勢、熊野、淡路、伊吹山といった

外側の聖地が

国土全体を守る祈りの形であるならば

その内側にある結界は

何を守るために

設計されたのでしょうか?


神武天皇が本当に守りたかったのは

この強固な結界の

ちいさな

中心部分だったのではないか、と

思わずにはいられません


​地図上のレイラインが交差し

凝縮するこの中心部こそ

ヤマト王権の心臓部 !!


もしかしたら

初代卑弥呼がいらっしゃった

地域なんじゃあないでしょうか?


ぷぅーこに霊感はありませんが

まるで歴史の地層を

透視しているような感覚なんですよね


具体的に見てみると

京都(後の都)、西宮

(難波に繋がる海上交通の要衝)

そして笠置宇陀

(大和への入り口となる戦略的な要衝)

といった

地域が浮かび上がってきます


​初代天皇である

神武天皇は

日向から遥か東を目指し

難関を突破して

大和(奈良盆地)に

入りました


東征の全行程は

まさにこの中心部を手に入れ

確保するための戦いでした


当時の​堺や西宮が面する大阪湾岸は

大陸との交易や

各地への物資の輸送に不可欠な

経済的な生命線


​宇陀は

熊野方面から大和へ入るための

重要なルート上にあり

ここを抑えることは

軍事的な安定に直結しました


神武東征における

最大の軍事拠点だったのです


結界図が完成した

平安時代より遥か以前に

これらの中心地は

すでに統治の上で

絶対的な

基盤になっていたのです


ここに

ヤマト王権の野心、正統性が

めちゃくちゃ見えるんだけど

こんなことを書いている本は見当たらず

壮大な仕組みのなかでひとり

もんもんとしています魂


しかし


歴史の文献に書かれていないからこそ

地図や伝承といった

大地に残されたヒントから

仮説を立てるロマンは尽きませんおねがい


ぷぅーこは

中国夏王朝・禹王の部族たちが

持っていた

高度な天文学的知識が

卑弥呼がおこなった鬼道の

基盤となったと考えています!!


単一の時代に

全てが起こったのではなく

時間差(ズレ)をもって

知識と勢力が

波のように流入し続けた結果

最終的に

天皇家という統治機構が

日本に

定着したんじゃないかな


第1は知識の波

禹王(夏王朝)の時代に確立された

高度な天文・地理・祭祀の知識

夏王朝崩壊後などに特定の

祭祀集団(後の卑弥呼のルーツ)によって

秘匿され

列島のどこかに持ち込まれたキラキラ


第2の波はその遥か後

始皇帝(嬴政)に重用された徐福が

最新技術と古代知識を携え

さらに時間差をもって

列島に到達した!!


​この二つの「知識の波」が

列島内で合流し

ヤマト王権の祭祀権威と

統治技術の基盤となるキラキラ


そして

第3の波

技術と経済の波

朝鮮半島の

伽耶(加羅)地域などにおける

最新の鉄器技術、

農耕技術、海上交易力キラキラ


この技術集団は

卑弥呼の時代(3世紀頃)から

神武東征の時期(紀元前後の仮想時代)

そして古墳時代にかけて

継続的かつ断続的に

流入し続けたのではないかな!!


​これら全てが

時間差のズレを経て列島に集積し

「天皇家」という

新しい権威の下で

一つに統合されたんだなと

思っていますキラキラ


ほんと

古代史のロマンは尽きませんね

仮説ばかりで

(笑)


近畿五芒星という結界のなかにある

堺で暮らしているからか

ふとした瞬間に

古墳の横を通ると​

地元の空気感に紛れて

当時の残響が聞こえてくるような

気がします

 


神武天皇が取り上げ

陰陽師たちが再び光を当てた

五芒星


たとえ誰かが歴史から消そうとしても

消えることもない


アマテラスの残響は

今も静かに響き続けている



ま、これは

ぷぅーこが勝手に語っているだけで

間違えているので

鵜呑みにしたら駄目ですよ滝汗