
それでも母が飲んだ借金返しに行ったり

酒を飲めば飲んだで、母を殴り、自分勝手も甚だしい情けない親父でした

こんな歳になるとか解るんだけど、親父は女に産まれたかったのかもしれないな、そんな環境だから私は人とのコミュニケーションが苦手で、暗く、多分同い年の子より5、10位頭が進み耳年増だった為、冷めた目で見て、嫌われる事や、残酷に傷付けられたくなかったんだろうなぁと思う

だからこの歳になった今も対面や、付き合いが苦手で、上手く人と付き合えない
若い時に培うモノは大切です
16歳で自殺未遂した時にでも気付けは良かったけど、まだまだ気付か無いんだな、母も今にしてみれば凄く我儘で、悪いのはみんな人だったし、親父が100%悪かった訳じゃなかったんだなぁと思ったりもします、おかぁに男が出来て犯されかけた時も、母は男を追いかけたし、16の時なんだけどやっぱりショックだったよ

今になれば母の気持ちもわかるけどね、私が子供産んだ時は母が面倒見てくれたし

娘が良い子に育ったのも母のお陰と感謝しています

ただ、今にして思い出すのは酒を飲んで川に一緒に飛び込もうと言う母を止めた事、ベロベロに酔った母を何度も何度も寝かしつけた日々、母も決してだらし良い生活母もしていなかった事、でもそれが結果的に私を強く逞しい人間にしてくれた事

やっぱり皮肉なもんだよね

それが有っての今なんだろうけど、娘は私に似ず、綺麗好きでしっかりモノで、良い旦那様を見付け、私が死んだとしても安心して逝けそうで感謝してます



でもでも私には何よりピーさんが1番飲んで宝物なので、多分娘にはこれから人生を一緒に歩む彼がそんなかけ替えの無い人になっていくのでしょう

娘は沢山いっぱい努力して、人を集め自分の居場所を作ったのだから、私はいつも人が怖くて逃げていたから、そんな娘を誇りに自慢に思います、私がつけた娘の名前の画数には「人気運」が付く意味があり、彼女はそれを成し遂げてくれたので、何より何よりなのです、メデタシめでたし



