『真珠姫とのパヴァーヌ』においで

くださって、ありがとうございます。

 

 今月号のJKC雑誌『Gazette』の特集は

「縄文時代の人と犬」です。

 

 きょうはわたちたちわんこの歴史のお勉強

でしゅよ。(ママは読んでまとめただけでしゅ)

 

・ 犬の誕生の起源はどこ?

 

 オオカミから分化しニホンオオカミと

犬に分化したのは東アジアの可能性が

高いとされています。

 

・ オオカミから犬となったのはいつ頃?

 

 17000~24000年前に西と東に

分かれて広がりました。西に広がった犬は

現在「洋犬」と呼ばれているグループです。

 

 ニホンオオカミと犬がオオカミから分岐

した後に、二種が交雑した犬が日本に渡って

縄文犬になったと考えられています。

 

・ 犬が日本列島に来たのはいつ頃?

 

 日本で発見されたた最も古い犬の骨は

神奈川県の夏島貝塚から出土したもので、

9500年くらい前のものらしいです。

 日本列島に犬がきたのは9500年前

~11500年ほど前のようです。

 

・ 柴や秋田などの日本犬はいつ誕生した?

 

 弥生時代になると、東アジアで生まれて

西に広がった犬が、シルクロードなどによって

大陸中に広がり、日本に渡来して、縄文犬と

交配し、柴犬や秋田犬につながったと考え

られているそうです。

 つまり、縄文犬=柴・秋田犬ではなく、

その前に稲作ととともに渡来した洋犬の

血も引いているわけです。

 

・ 縄文犬はどこで暮らしていた?

 

 縄文時代は家畜というと基本的に犬だけで、

ヒトの集落内で暮らしていました。

 狩猟のパートナーとして、人の手助けを

していました。

 狩猟時に骨折して狩猟犬としての役目を

果たせなくなっても、治療したりして、

飼われ続けていました。

 食べ物は人と同じようなものを食べて

いたとされています。

 

・ 縄文犬はどのように埋葬されたの?

 

 全国の遺跡から出土された犬の骨は、

全身の骨格が揃っている例が多く、

あくまでパートナーとして埋葬されて

いました。

 眠っているかのような姿勢に整えられて

いる。

 丁寧に穴を掘って土をかぶせられている。

 人のお墓の中に一緒に埋葬されている。

   出土例 中沢浜貝塚(岩手県)

       近内中村遺跡(岩手県)

       前浜貝塚(宮城県)

       野口遺跡(長野県)

       吉胡貝塚(愛知県)

       大曲輪遺跡(愛知県) 

などの埋葬の仕方がされていて、縄文人の

犬への愛情が感じられます。

 狩猟犬としてあまり活躍せずに若いうちに

死んでしまった場合でもきちんと埋葬されて

います。

 埋葬されて発見された犬は長生きの犬も

いれば2歳以下の犬もいるのです。

 

 縄文人の犬に対する思いは、家族として

犬を扱っている人の多い現在の日本人に

近いのかもしれません。

 

・ 縄文犬の見た目はどんな風?

 

 今の犬に比べて、額のくぼみ(ストップ)が

少なく、シュっとした顔立ちで、耳は立ち耳。

 横から見たときに、しっぽの先が背中に届かず、      

半円を描ききれていない形の「差尾(さしお)」

です。

 体高は40センチ前後だったようです。

 イメージ図は差尾の柴犬という感じでした。

 

 保護施設に引き取られるわんこたちのことを

ブログで読んでいると、縄文人の情け深さを

学ばなければならない現代人はけっこういますよね。

 

   C'est la fin de mon histoireピンク薔薇           

 

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