本:生活の発見

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『生活の発見』林 語堂

 

 

数年前のことである。

 

この本に行き着いたのは、最初のブログで書いた川上弘美さんの本で、まず佐野洋子さんの本にたどり着き、その佐野洋子さんの本の中に、この『生活の発見』が出てきたのである。

 

川上弘美→佐野洋子→林 語堂

 

という経歴である。読書が読書をつなげてくれる、最高の縁。

 

今佐野洋子さんのどちらの本に載ってたかな(佐野洋子さんの本は、2冊しか持っていない)と思って調べてみたが、ページが見つからない。しかし、書いてあったのは100%確信できる。

 

そして、川上弘美氏の本も繰ってみると、その川上氏の本で「佐野洋子さんの本読みたいっ!!」と思ったのにも関わらず、2冊も紹介してあるどちらの本も読んでいないことがわかった。いかん、これはいかん、面白そうな本を見つけると、その作家の本を色々調べ出し、アマゾンの欲しいものリストにどんどん入れてしまうので、どの本がお勧めの本だったかわからなくなったりしてしまうのだ。これは是非川上氏推薦の佐野さんの本を読まなければ。

 

随分と話がそれてしまった。と言っても、川上氏の直接の推薦の本ではなかったが、佐野氏の本を読んで本当によかった!!佐野氏自身の本もすごく面白いのだが、何よりこの『生活の発見』を発見できたことが素晴らしい縁だったのである。

 

今このブログを書きながら、もう一度佐野洋子さんの本を見返してみると……ありました、ありました、『役にたたない日々』の一番最後の章に、「林語堂著『生活の発見-東洋の叡知』」246ページにしっかりと書いてありました。

 

佐野さんの考え方が好きな私は、(四六時中は触れていられないような考え方なのですが(^ ^;))佐野氏の真正直な文章を、信頼しきっている。佐野氏もまた、私にとっては人生の先輩であり、ひねくれているようにも感じるが、実はものすごい素直で、自分の感覚にとことん正直な人なのである。すごく共感する。そんな佐野氏がこんな風に書いている。

 

「父は訓示をたれるのが好きだった。(中略)「一冊の本しか読まなくても真の読書家と云われる人がいる」というのもあった。

 そして昨日、偶然その本にめぐり合った。

 林語堂著『生活の発見-東洋の叡知』。

(中略)今まで何を読み何を生きて来たのかと思わされて興奮した。」

 

こんなことを書かれると、読まずにはいられないではないか!

 

そしたら、この本は古本しか手に入らない。しかも出版社も本の題までも変わったりしている。

 

もともと中国人の林 語堂氏が英語で書いた書なのだ。

 

でも、何とかアマゾンで見つけ出して、カリフォルニアから手に入れた。

 

この本を読んだのは、私がまだフリーランスをしていた頃。なので、時間は結構たっぷりあった。

 

いや、すごい。この本はすごい。佐野氏が興奮した、そのままの興奮を私にもたらした。佐野氏がおっしゃっているように、今まで何を読んできたのだろう、一生もうこの1冊だけ読んで生きていきたい、とすら思った、本気で。

 

そのぐらい衝撃的な本なのである。根本を揺るがされるような。本当に大切なことは、そういうことなのだ!と世界に向かって叫びたくなるような。

 

要約はできない、林氏のエッセイのような、徒然なる思想、というか考え方や思っていることを書いてあるので。学者めいているわけではなく、本当に自分の考えを信ずるがままに書いているのである。

 

なぜこんなに衝撃を受けたのだろう。これこそ人間の生き方だ、と確信できるような。あまりに興奮して、友人に話してみたが、全然うまく説明できなかったのを覚えている。

 

なので、このブログでもどう説明すればいいのかわからない。とにかく、人間とはこういう風に生きればいいのだ、とすごい核心をついてくるのである。人生を楽しめよ、と。人生は楽しいものだ、と。シンプルで楽しいものなのだ、と。難しくしているのは人間なのだ、と。物と胃と、バケーションは人間にとってはものすごく大事なものなのだ、と。(なんかこんな風に書くとなんのこっちゃ?って感じだが。)

 

ユーモアが大事なのだと。

 

実はこの本を旦那にも説明しようとして、あまりのわかってくれなさに、泣いてしまったのである。こんなに素晴らしい本なのに!これ以上素晴らしい生き方、考え方なんて出会ったことないのに!こんなにも私が感動したことが、わかってくれないのか!!(涙、涙、涙)

 

と、当時ほぼ宗教と化していました(^ ^;)

 

あれから、本はこの本しか読んでいません。と、いうことはなく、しばらくしてからまた普通に色んな本を読んでおります。でも、しばらくは他の本は読めなかったなぁ。

 

今でこそあの感動は薄れましたが、でもこれほど揺るがされた本は、多分小学生の時に読んだ、平澤興先生の『人間と教育』以来だろう。

 

その後、何度かかいつまんだりしながら読んだが、最初ほどの衝撃はなく。でも林氏は私が最高に尊敬する人の一人となったのでした。

 

林語堂氏は、ノーベル賞候補にもなったとか。それにしても知名度が低いなぁ。信じられないくらい。この本だって、見つけるのに苦労した。

 

このブログを書きながら、また私は生き方を忘れてるなぁ、って思った。日々の生活に巻き込まれて、ちょっと必死で、ストレスもたまりがちで、ユーモアも忘れがちで、ちょっと真面目すぎるような自分になってしまう。また思い出したい、林氏が教えてくれたこと。

 

それにしても、前回の『Gift from the Sea』を読んだ時もそうだったが、こんな一時代も前に書かれたことが、なんと自分の感性にぴったりとくることか!!驚きである。人間はどれだけ長い間ストレスをためながら生きてきてるんだ?原始時代からか?林氏が書いていることが、そのまま現代にも当てはまることが、衝撃である。パソコン・インターネット・メール・SNS・携帯電話があるからこんなにストレスたまるんだと思いきや、昔の人もためてたんですね〜、ストレス。これは驚きだわ。

 

とにかく、この本を書いてくれた、最高にユーモアがあって、最高に知識人で、最高に人生を楽しむ術を知っていた、最高にチャーミングな林氏に感謝!!本当に、本当に、ありがとうございました。

 

そう言えば、この本を読んだ当時、しばらく熱に浮かされていて(?)、林語堂氏の最後の住居で、今は観光スポットになっている、旧居のことを調べたりしてました。家のレイアウトも見習いたい、と思ったり。

 

後は、林語堂氏が最高に尊敬する蘇東坡の本も読みました。(林語堂氏著)これは、読みにくかったなぁ。日本語訳がイマイチだったのか、ちょっと歴史物すぎたのか、いくらなんでも時代が違いすぎたのか、ほとんど全く感情移入できなかった、残念なことに。なんとか上下巻読破したけど、かなり苦痛だった(^ ^;)。でも林氏が蘇東坡を尊敬する気持ちは、すごく伝わってくる。本自体は私にはイマイチだったが、きっと蘇東坡という人自身、そして生き方は、私も見習いたい、素晴らしいものだったのだろうなぁ、と思う。

 

本当に、林語堂氏、ありがとうございます。こんな楽しい生き方を示してくださって、どうもありがとう!そのうち原文の英語バージョンも読まないとね。

 

追記:「生活の発見会」という、神経症治療の森田療法の会があります。これはこの林語堂氏の本からきているのでしょう。私も神経症気味だと自分で思うので、森田療法の本を読みましたが、林語堂氏の掲げる生き方は、まさに神経症が治るような生き方、考え方だと思う。「生活」が大事なんだよね。それをまた大仰にせず、ユーモアがとにかく大事、というところが素敵。

 

追記2:原題は「Importance of Living」。これがなぜ『生活の発見』になるのか。最初は『生活の発見―東洋の叡知』次に『生活の発見』、その後『人生をいかに生きるか』という題になったようだ。でも、林語堂氏は、「叡知」なんていう知識人ぶった言葉を使ってほしくなかっただろうし、「人生をいかに生きるか」ってそんな大げさなことを言ってほしくなかったと思う。いや、内容は本当にそのぐらい言ってしまいたいぐらい素晴らしい、でも、もっとカジュアルに気楽に読んでほしい、勝手に読みたけりゃ読んでね、僕は言いたいこと、思ってること勝手に書いちゃうよ〜、くらいのつもりだったんだと思う。というか、そういう風にとらえてほしいと思っているふしがある。ってか結構はっきりそんな風に書いている。なのに『人生をいかに生きるか』ってそりゃないでしょ!意気込みすぎでしょ!著者の意向と全然違うでしょ!

 

『生活の発見』が一番近いし、その題は個人的には好きだが、ほんとは『生活の大切さ』って感じだと思うんだよね、直訳だけど。アメリカで言えば、Martha StewartのLivingっていう雑誌みたいな。日々の生活が大事だよ、っていう。

 

ああ、やっぱり私は結局充実した日常生活に憧れてるのかなぁ。そこを突かれると、思いっきり気に入ってしまうんですね。なかなかできないからかもしれないなぁ。