『わたしの台所』沢村貞子

 

 

4回目の書評ブログ。今回は何にしようかと少し迷ってしまった。

 

というのは、あまりにシリアスで心の奥底まで届いてしまったような本の書評は、まだ書きたくないのだ。あまりにも奥の部分を出す心の準備がまだできてないような。

 

と言っても、自分にとって大事な本を選びたい。

 

で、今回は沢村貞子さんの本。大先輩の女性のエッセイが大好きなことは以前に書いたが、それは沢村貞子さんあってこそなのである。生き方を学ぶという意味で、沢村貞子さんのエッセイからどれだけ多くのものを学んだことか。いや、多くはないかもしれない。でも女優という仕事をこなしながら、日常の暮らしを本当に丁寧に生きた沢村さんからは、本当に大切なことを学んだ。と言っても、自分の生活や生き方に反映させるにはまだまだ、まだまだであるが。

 

明治生まれの女性である。明治生まれの女性は、何て美しい生き方をしたのだろう。生きるということへの覚悟が違う。自分の暮らし、ひいては生き方、人への思いやり、付き合い方、身の回りのケア、処し方、仕事への態度、意気込み、夫君を愛し、支え、楽しみ、礼儀をわきまえる…全ては「覚悟」から来ている気がする。潔く、優しく、深く、美しい。姿勢が違うのである。

 

私が明治生まれだったとして、こんな生き方ができたとは思えないが、人生の前半昭和時代を生きた私にとっては、まだ沢村さんのような生き方が現実的だった。細やかな気遣い、それでいて程よく距離を置いた人付き合い、生活を愛おしみ、小綺麗に、丁寧に暮らす。それは暮らしそのものへの愛であり、夫君への最大の愛の反映なのである。

 

ご自分が綺麗でいるのも、ご自分も気持ちがいいが、旦那様への礼儀だと考えられている。そんな考え方のできる女性が昨今いるだろうか…。もちろん私も含めてであるが。家では自分が思いっきりリラックスできる、破れたティーシャツなどをだらだら着ている私である(汗)

 

沢村さんが東京の下町で育ったことも多いにその生き方に影響している。江戸っ子の、人情、近所で助け合う大掃除、しかしさっぱりした人付き合い。恥ずかしいことは恥ずかしい、天井から埃が落ちてくるなんてもってのほか、きちんとしていて、でも温かい、何が常識なのか、ちゃんと、自然に、母から、近所の人から学べた時代・そして土地柄である。

 

『わたしの台所』を読めば、確かに時代を感じるところもある。しかし、変わってはならないもの、本当に大切なことは変わらないのだ。沢村さんのように暮らせたら、どんなに人生豊かだろうか。時代のせいにせずに、少しでもその姿勢を学ぶことができれば…

 

「日常の暮らし」を大事にしたいという気持ちが私の中に根強くあって、でもなかなか実行できないのだ。それで、大先輩のエッセイを読んで、憧れたり、ちょっとでも参考にしたいと思って読んでいる。そして、読んでいる時間だけでも、ほっこりと幸せになれるのである。

 

時代のせいにはしたくはないとは言え、沢村さんの生きた時代が羨ましいなぁ、とやはり思う。でも、生き辛い時代でも、沢村さんが本を通して教えてくれる。時々読み返して、自分の大事なもの、憧れる暮らしを確認したくなるのである。

 

余談だが、前回書いたキョンキョンも、尊敬する女性は沢村貞子さんと言っていた。嬉しいなぁ、わかるなぁ。全然近づけないけど、ちょっとでも沢村貞子さんに近づきたい。

 

ちなみにとんぼの本(このシリーズも好きすぎる!いつか全部(?)集めてみたい(⇦夢))から出ている『沢村貞子の献立日記』もとっても素敵な本です。そのもととなった沢村貞子さん著の『わたしの献立日記』はまだ持っていないのですが。(日々の献立をひたす書いている本なのですが、まだなんとなく参考にできる余裕がない気がして…。でもいつかは書いたい本です。)

 

沢村さんは若い頃に信じることを貫いて投獄されたり、家族のあった後に旦那様になった大橋恭彦さんと長い、長い不倫の末に中・晩年になってからようやく結婚したり…波乱万丈とも言える人生からは程遠くも思える丁寧で穏やかな日常生活も、実は情熱と覚悟から来ているのではないかな、と思います。筋が一本通った、でも謙虚な、見事な人生、暮らしだなぁ、と思います。

 

こうやって書いていて、私の人生、あまりにも甘えすぎてるなぁ、なんて思いました。どうでもいいことで不満言ったり、際限なくだらだらしてるなぁ。反省です。

 

沢村貞子さん、素敵な本を残してくださって、本当にありがとうございます。