ゴミ屋敷‥ではないけれど、モノにあふれた私の実家。
母は健在ではあるけれど、一人で生活できるくらいの物忘れ傾向があり、
面倒くさかったり忘れちゃったり、
片付けも言ったところでするわけではなく、
たまに行っては強行硬片付けをしてくるけどあっという間に元の木阿弥。
じゃあ私はどうなんだというと、
そんなに人のことを言える立場ではなく、
いつ人が来ても困るくらいの有様だ。
実家ほどになるにはまだまだ遠いけど、
既にモノあふれ屋敷への道のり歩みを進めている! と思い、
何とかしなくてはと、コロナ後期にやっと重い腰を上げた。
とりかかったのはまず、自分の写真。
実家の片づけをしていて一番困ったのは祖父母の写真だったからだ。
父母の写真には手を付けていないけど、さすがに祖父母のものとなると、
思い切りが必要だ。
ちらちらと祖父母の思い出を振り返りながらも、処分。
でも相当に心が痛む。
(それもカビのにおいプンプンで古い雑誌や新聞などと共に出てきたので、そうした作業はくしゃみと鼻水もひどい状態だった。)
これが父母の写真の処分の時にはどれだけ気が落ち込むかと思うと、
自分の写真は自分で始末しておかなきゃ!‥と。
最初はアルバムから剥がして多少残しておこうとも思ったけど、
古い写真はもろく、アルバムの粘着と一体化していたので、
破れたりしたのを機にパチッとスイッチが入った。
その勢いで、大量にある子供たちのアルバムも処分しようと、
こちらは丁寧にはがして、写真裏についた粘着物の欠片たちも一枚一枚取り払い、
一か月くらいかけてジップ式の袋にアルバムごと・ページ順に入れた。
そしたらかなりのスペースが空に!
着ないのに季節になっちゃぁ出したりしまっていただけの服も(タグが付いたものも多数あり‥)、
2ndストリートに売りに行って、捨てるつもりと思っていたのにあまりの売値に唖然とし、
娘に教わったメルカリでも推しのグッズや使わなくなったモノを売り、案外高値で売れてびっくりしたり、
スイッチが入れば、クローゼットも気分もスッキリしてお酒がうまい。
目下の難所が、旅行先で買ってきた思い出の、まったく興味すら失せたモノたちの存在だ。
なぜ、こんなに小さな蓋つきツボのようなものをいくつも買ってしまっているのか。
このベトナムで買った小さな木彫りの像は、どういうつもりで購入に踏み切ってしまったのか。
チェコのボヘミアンのグラスたち‥
全く使わないのに、かなり高額で買ってきたのはどんな精神状態だったのだろう。
まぁまだ置物より実用性があるので良しとしても、
その日の自分の首根っこをつかまえて怒鳴りつけてやりたい。
そんなこんなで、納得いくまでにはまだまだ時間はかかりそうだ。
やる気スイッチの場所が毎回変わるので、スイッチ探す前に疲れてしまうことがどんどん増えてくるからだ。
スイッチが機能するうちにコツコツやっていこう。
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