6月20日~23日山形旅行

 

6月22日 3日目。

肘折温泉から山形駅へ12時03分到着。

この日の宿はスーパーホテル。

安さと温泉がついているからここにした。

それに空いてるところが少なかったのだ。

後から分かったことだが、

この日、優里のライブが県民ホールで行われていたのだ。

そのために宿がいっぱいだったのかもしれない。

 

スーパーホテルに荷物を預けて、

早速、山形街歩きに出かけた。

 

まずはお昼。

ホテルからすぐのところにある

ちょっとおしゃれなカフェ。

事前に調べておいた。

 

レディースランチをお願いした。

前菜・夏野菜のパスタ・デザートにシフォンケーキと飲み物。

これで1230円だったかな?

クオリティがすごく高くて、どれも美味しかったラブラブラブラブ

なのにこの値段。

近かったら毎月通いたいくらい。

ゆっくりといただいてお腹いっぱい。

 

さて、街歩きスタート。

山形市は、わが国の県庁所在地の中で数少ない戦災に遭っていない町である。

山形市内には洋風建築、特に擬洋風建築

(東京の洋風建築を模範に地元大工棟梁が見よう見真似で造ったもの)

も多く残されている。

現在、山形市内は道路拡幅事業があちこちで盛んに行われている。

主要な歴史的建築物については、取り壊すことなく残しながら行われているようだ。

と書いてあった。

 

まずは旧千歳山街道(古笹谷街道)を歩いた。

そこには数々の古い蔵などが残っていた。

少し歩くと上に「出羽桜山形工場」という看板が目についた。

 

奥には酒蔵があるようだった。

商店はなかったが、蔵も残っていて見ごたえがあった。

 

少し歩いて角を曲がった処にあったのは

山形城三の丸石垣跡。

石垣が残っているのがすばらしい。

けど上まで行っても何もなかった。

 

そこからさらに住宅街の中へ入り、細い道を進んだ。

夫は「人の家みたいだけど入っていいの?」

と言ってたけど、

調べてきたから絶対あるはず・・・

と言ってどんどん進んでいった。

そしたら階段にたどり着いた。

というか、この辺一帯に石垣が所々残っていたり

他とは違う地形になっていた。

この辺一帯が跡なんだろうなあって思った。

石碑に「山形城跡三の丸 八日町吹張口」と

記されていた。

跡しかないから、おもしろいことはないが、

それでもここにいることが嬉しいのだ(笑)

 

街道へ戻り進んだ。

ここは八日町あたりで醸造業、酒造業が多いらしい。

蔵があちこちに残っていた。

 

味山醤油店

 

 

 

 

男山酒蔵

ここは申し込みをすれば酒蔵見学もできたそうだ。

蔵や母屋?がりっぱだった。

 

男山酒蔵の前を左に曲がって羽州街道に入った。

羽州街道は、江戸時代の主要街道の1つであった奥州街道から

桑折を起点に分岐し、小坂峠を越え、七ケ宿、山形、秋田を経て

油川(青森市)に至る街道とのこと。

羽州街道は奥州街道は東北を代表する二大街道とのことだ。

乃し梅本舗佐藤屋 

 

丸十大屋 と暖簾に書いてあった。

 

創業元禄二年 長門屋

山形漆器のお店らしい。

 

蔵を利用したおしゃれなお店もあった。

 

 

紅の蔵

ここはお土産屋さんかと思っていたら、

レストランになってた。

紅花商人だった長谷川家所有のもので母屋と五棟の蔵を

それぞれ活用しているとのこと。

 

 

こんな風に蔵を残したお店がたくさんあった。

 

八日町から七日町へ向かって歩いていると

古い医院があった。

吉池眼科医院。

洋風建築が目をひいた。

 

写真だけ撮ろうと近づいたら、

なんと、ちょうど中の公開を行っているとのこと。

 

大正初期の洋風建築

6月20日の朝日新聞山形版に

地区112年洋風建築存続願いという

記事が載せられていたそうだ。

 

日本近代建築の先駆者で山形県米沢市出身の中條精一郎(1868~1936年)が設計した。

偉大な県人が建て、市民に長く愛された建物を後世に残す方法はないか、

市民有志らが運動を始めているとのことだった。

 

木造モルタルの2階建てだそうだ。

 

階段も重厚な造り。

アーチ型の窓が可愛らしい。

懐かしくとても素敵なデザイン。

ピアノのような楽器。

チェンバロという 歴史的な鍵盤楽器だそうだ。

中に描いてある模様もすばらしい。

とても貴重なものなのだろうという

感じがした。

ちゃんと音が出る。

 

思いがけず入った建物。

「単に古いから残そうではなく、

『この建物が街の宝物だ』と気づく人を増やしたい」とのことだそうだ。

夫は興味深かったらしく、

たくさん写真を撮っていた。

こういう建物がなくなってしまうのは悲しいので

建築の存続を願って寄付をしてきた。

とても感慨深い建物だった。

 

こんな標識があった。

江戸へ100里 津軽へ100里

山形はちょうど真ん中なのね。

こんなのを見ていると

この街道を全部歩いてみたいと思った。

 

 

このあとにも蔵がたくさん残っていた。

 

 

七日町の御殿堰

農業用水堰「山形五堰」の一つだそうだ。

山形城の城濠に流入する堰であったことから

御殿堰と名付けられたとのこと。

 

ここは観光化されていて商業施設がたくさん連なっていた。

 

 

柳の下で椅子のに座ってちょっと休憩。

いい雰囲気。

 

 

 

 

 

 

本町通り正面に建っていたのが文翔館

国指定重要文化財 旧県庁庁舎および県会議事堂

大正2年に復元したものだそうだ。

 

内部の見学もできた。

重厚な階段

 

ステンドグラスがきらめいていた。

 

正庁 現在だと講堂にあたるそうだ。

 

2階のバルコニーから見た時計台。

 

貴賓室 

 

 

暖炉や寄木張り、カーテンなど当時のものが残っていたそうだ。

絨毯も素晴らしかった。

この部屋は、

るろうに剣心「京都大火」編のロケに使われたとのこと。

佐藤健の写真が飾られていた。

文翔館全体でもロケが行われたそうだ。

 

 

中側はレンガ造り。

中庭。石畳になっている。

 

会計課・銀行出納係の人形

 

 

設計図も残されている。

貴重なものがたくさんあり、見ごたえがあった。

 

七日町 大手口

 

歩いているとまたもや目を惹く建物があった。

市立第一小学校旧校舎 国の登録有形文化財。

リノベーションし、

「近代化産業遺産」「山形まなび館」として活用しているとのことだ。

 

 

山形城 三の丸土塁跡。

 

国指定史跡になっている。

 

山形市内には山形城の跡がたくさん残っていた。

 

山形城と二の丸・三の丸の位置。

 

時間とホテルの位置の関係で山形城は最後の日にしてしまったのだが、

ここまで来てから、山形城を先に見てから回ればよかったと反省した。

来るまでは、山形城や郷土館・文翔館ぐらい見ればいいと思っていたのだが、

こんなにたくさんの蔵や大正時代の重要な建物が残っていたなんて・・・

とっても楽しい街歩きだった。

 

 

一旦ホテルに戻り、一息ついてから夕食に向かった。

山形郷土料理 「おしょうしな」

入り口に山形地酒のラベルがたくさん。

夫はこれを見ただけで満足そうだった爆  笑あせる

人気店らしかったので事前に予約しておいた。

 

中には、ぐい呑みがこれでもかと言うほどならべられていた。

すごい!!

天井からは一升瓶がぶら下がっていた。

日本酒好きな夫にはたまらない演出だった。

 

一番人気というコース料理にした。

蔵王チーズにハチミツをかけていただくクラッカーや

米沢牛串・豪華な地魚盛り・魚の煮つけ・エビの唐揚げなど

どれも美味しかった。

地酒の種類が多く、よくもこんなにおいてあるものだと

感心した。

お酒もお料理も美味しく、山形を満喫できた。

 

ホテルに戻り、ゆっくろ温泉に入り就寝した。

 

最後の日に続く・・