毎年11月22日と23日は、神農さんの大祭です。
大阪は北浜の道修町に少彦名神社がありまして、大国主と共に国造りで活躍した少彦名命をおまつりしています。
そして人々に医療と農耕を教えたとされる、古代中国の伝承に登場する神農さんも合祀されていますが、ワタシ的にはこちらのほうがしっくりくると常々思っていたのですよ。
そしたら以前、momoさんが
神農さんの存在のほうが濃いですよ
とおっしゃってたので、すごく納得しました。(^ω^)
実はね、誰にも話したことはないんですが、
ワタシは一度だけ神農さんにお会いしたことがあります。
この神社の鎮座されている道修町は、昔から薬種商の街として栄え、
薬問屋や製薬会社が連なる街並みです。
実家が薬屋だったので、子供の頃から親が問屋さんへ行く時について行き、
その帰りにはいつも神農さんへお参りにいっていました。
小学校5〜6年生のころのワタシはイジメられっ子だったので、
学校へ行くのがとても辛くて、でも親には言えなくて、毎日普通の顔をしていました。
ある日、一度だけ学校へ行きたくないと言って休んだことがあります。
どんな理由を言って休んだのかは覚えていないのですが、
死ぬ決心をしたことは覚えているので、ギリギリに追い詰められていたのでしょう。
その日は親が問屋さんへ行く用事がある日だったので、
多分無理やりだと思いますが一緒に連れていかれました。
今から思えば、親の方も「1人にさせてはいけない」と感じていたのかもしれません。
親が商談中は子供には退屈なので、近くの神農さんへ時間をつぶしに行きました。
ご存知のかたもいらっしゃると思いますが、境内の形が今とは若干違っていて、
鳥居からはストレートに参道がありました。( 今は参道が2つあります )
今よりはご神木は参道の端のほうに位置していて、
隅の方に掃き集めた枯葉がうず高くつまれていました。
その狭い境内を歩いて行き、手水舎の柄杓でぐるぐる水をかき回したり、
奉納された絵馬を全部裏向けにかけかえたり、提灯に書かれている字でしり取りしたりと、
何をやってるん?(^_^;)的なことをしてましたね。
ひとしきり遊んだ (←? ) 後、ふと横を見ると、
ご神木の枯葉を積み上げた横に、おじいさんが座っていました。
えっ!?いつからいたの?Σ(゚д゚lll)
びっくりしたし、そこから立ち去ろうとしたのですが、
なぜかそのまま、おじいさんと見つめ合ったままで立ってました。
ボサボサの長い白髪で、薄い灰色っぽい服を着ていて、
確か裸足だったので秋の終わり頃なのに、寒くないのかな?と思ったのを覚えています。
どれぐらい、そのままで立ってたのかわかりませんが、
鳥居の方から声がしてそちらを見ると、数人の方が入ってこられました、
周りの会社員の方々がちょこちょこ参拝に来られるので、そういう人たちなのでしょう。
視線を元に戻すと、おじいさんはいませんでした。
その後はどんな風に日々を過ごしたのか覚えていませんが、
ワタシは中学・高校・大学と進み、死んでません ( 笑 )
その間、親の代わりに問屋さんへ行くことが何度もあり、
その都度神農さんへお参りに立ち寄るのですが、おじいさんに会ったのは後にも先にも、あの時だけでした。
その後骨董に入れ込むようになってから、あのおじいさんと再会することができました。
神農さんです。
怖いお顔をしてますが ( 笑 )、とても懐かしくて心があったかかったです( ´∀`)
あの頃のワタシを心配して、様子を見に出て来てくださったんだと思っています。
ワタシは毎年11月になったらこの掛け軸を出して、大祭の日には自分で作った薬茶をお供えしています。
神農さんゆかりの張子の虎の香合と、馬上杯です。
どちらも骨董品です。
多分、お導きをいただいて薬を扱う仕事をするようになったのだと思いますので、
毎年この日は感謝と共に、神農さんとゆっくりお話する日にしています。
大祭には毎年必ずお参りし、昨日の仕事帰りに行って来ました。
お祭りは今日まで。
でも、いつでも神農さんは歓迎してくださるハズ(^ω^)
ぜひ、お参りされてくださいね。